表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/120

第9話 私の完璧な婚約者様

「無事でよかった! 君がルセル家を出ていったと知って、心臓が止まるかと……! おっと、すまない」


 腕の中のジネットが硬直しているのに気付いて、クラウスがあわてて手を離す。


「僕としたことが、紳士らしからぬ振る舞いをしてしまったね。悪かった。こんな所で立ち話しているのもなんだし、中に入って話そうか?」

「は、はい!」


 にこりと微笑んだ顔はいつも通りため息が出るほど美しく、背景に薔薇やら百合やらが飛んでいてもおかしくないほどの優雅っぷり。


(ああびっくりした! クラウス様に抱きしめられてしまったわ! ……それにしても、そこまで私を心配してくれていたなんて……あいかわらずクラウス様ったら、なんて()()()()の!)


 ――彼は昔から、ずっと優しかった。

 ジネットのせいで悪口を言われているにもかかわらず、ジネットを責めたりなじったりしたことは一度もない。それどころかジネットの悪口を聞きつけると、穏やかな、けれど毅然(きぜん)とした態度で抗議さえしてくれる。


 ほかにも季節のイベントでは必ず気の利いたプレゼントを欠かさなかったし、夜会でも毎度完璧なエスコートを披露。


 何より、ジネットが商売の話をしても嫌な顔ひとつせず、それどころか助言までしてくれるのだ。


(商売のお話をすると、令嬢たちには「またお金の話をしているわ」と笑われるし、男性たちには「女性はそんなことを考えなくてよろしい」と一蹴(いっしゅう)されてきたのに……。クラウス様だけは、いつも真摯(しんし)に聞いてくれたのよね……)


 いついかなる時も穏やかで優しく、紳士。まさに婚約者として完璧だった。


(そんなクラウス様の足を、これ以上引っ張りたくない……! やはり、早急に婚約破棄してもらわなければ……!)


 改めて決意しながら、ジネットはサラとともにギヴァルシュ伯爵邸の廊下を歩く。


 屋敷に並ぶ調度品(ちょうどひん)は、華美(かび)ではないものの品のいいものがそろえられている。また、流行の最先端を要所要所で取り入れているあたり、家主のセンスの良さもうかがわせる。


 それは通された応接間でも一緒で、ジネットはテーブルに載っている白いキャンドルスタンドの美しさに感心しつつ、案内されたソファに腰かけた。


 クラウスとジネットが向かい合うように座ってから、彼がほっとしたように口を開く。


「それにしても本当に驚いたよ。君の父君ちちぎみ——ルセル卿が行方不明になったと聞いてあわてて帰ってきたら、君まで家を出たと言うのだから」


 聞くと、どうやらクラウスはジネットがルセル家を出た直後ぐらいに帰ってきたらしい。


「ええ、実はお義母様たちとは離れて住むことになりまして」


 その言葉に、なぜかクラウスの肩がぴくりと揺れた。


「……と、言うと? その辺りを、詳しく話してくれるかい? ジネット」


 そう言った紫の瞳は、なぜか好戦的(こうせんてき)な光を放っている。


「隠すことなく、あますところなく、全部、話してくれるね?」


 単語がひとつひとつ区切られ、ゆっくりと発音される。


 その顔は笑顔なのだが、なぜか目がまったく笑っていなかった。


(クラウス様……?)


 初めて見る彼の表情を不思議に思いながら経緯を話すと、聞き終えたクラウスが抑えた声で言う。


「……なるほど、そんなことが」


 その声は低く、ジネットは眉をひそめた。


(クラウス様、もしかして怒っていらっしゃる……? いつも笑みを絶やさないあの穏やかなクラウス様が? なぜ?)


 だがそれを聞く前に、彼が話を変える。


「それより、君は今どこに寝泊まりしているんだい?」

「今は大通りにある宿屋です!」

「宿屋だって!?」


 ジネットとしては安心させるつもりの言葉だったが、逆効果だったらしい。

 クラウスの顔が(くも)る。


「君が街に慣れているのは知っているけれど、変な(やから)に目をつけられたらどうするんだ……! 君は僕の婚約者なのだから、遠慮せずうちに来るといい」


 当然だろう? と言わんばかりに優しく微笑まれて、ジネットはしどろもどろになった。


(ああ、やっぱりクラウス様はお優しい! でも、これだとしばらく宿屋を拠点にするつもりだなんて言い出しづらいわ。それに……!)


「あの……そのことなんですけれど、クラウス様」


 おずおずと切り出したジネットに、クラウスがさらに慈愛(じあい)に満ちた目で語りかけてくる。ジネットがこれから言おうとしていることを、夢にも思っていないであろう顔だ。


「もちろん、お金のことは心配しないで。私の留学で結婚が延びていたが、すぐに結婚しよう。父君もきっとわかってくださるはずだ」


 どうやらクラウスは、ジネットが金銭的なことを気にしていると思っているらしい。


 けれどそれは違う。


 盛大に違う。


「ち、違うんです、クラウス様!」


 冷や汗をかきながら、ジネットは続けた。


「その……私が今回やってきたのは、お願いがあったからです」

「お願い? 何かな、言ってごらん」


 クラウスが優しく微笑む。

 ジネットはドキドキしながら、思い切って口に出した。


「私がしたいのは結婚ではないのです。その……クラウス様! どうぞ私のことを、婚約破棄してくださいませ!」


(言った! ついに言ったわ!)


 達成感で、ふぅと安堵(あんど)の息がもれる。それから顔を上げて、はたと気付く。


「……なんて?」


 ――クラウスの表情が、完全に死んでいた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 宮之みやこ先生 こんにちは。はじめまして。 お話、楽しく読ませていただいています。 ジネットちゃん、たのもしいです。 サラさんもあっぱれです。 クラウス氏と無事むすばれますように。 これ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ