第87話 結婚式に向けて
ギヴァルシュ伯爵家の朝食の席。
隣に座るクラウスが、にこにこしながらジネットに言う。
「そういえばジネット、僕たちの結婚式はどんなものにしたい?」
その時のジネットはと言えば、ちょうど大口を開けてパンにかぶりついていたところだった。
「ふぇっふぉんふぃふぃ」
確かめるようにもごもごと呟くと、クラウスがまた嬉しそうに微笑む。
「ああ。ルセル卿も無事に帰って来たし、もう僕たちが結婚する上で障害となるものは何もないだろう?」
(確かに……!)
ジネットは口の中のパンをごくんと飲み込んだ。
――思えば、ここに来るまでずいぶんと色々あった気がする。
クラウスが留学してる間にジネットの父が失踪し、元義母レイラがルセル家を乗っ取り、ジネットが家を出た。
その後帰って来たクラウスと合流し、パブロ公爵のバイラパトルマリンがひとつ偽物であることを見抜いた。それをきっかけにパブロ公爵に贔屓にしてもらい、社交界でオーロンド絹布を流行らせることに成功。
やけを起こした元義母にルセル商会の権利書を売られそうになったが、それもクラウスの友人キュリアクリスの協力で無事買い戻すことができた。
その後はキュリアクリスが持ち込んだチューリップで思わぬバブルを経験し、そのせいで借金を作ってしまった元義母レイラに誘拐されかけ、それをアリエルがかばい……。
(……そういえばアリエルももう人妻だものね)
思い出して、ふふっと笑う。
借金のカタに売り飛ばされてしまったアリエルだったが、当初の心配とは裏腹に意外と元気にやっているらしい。
(一番新しい手紙には、『最近侯爵がやたら一緒に過ごしたがるようになって気持ち悪い』と書かれていたけれど、そのあと侯爵とどう過ごしたか事細かに書いてあって、意外と仲が良さそうな気もするのよね)
ジネットはアリエルからもらった手紙を思い出していた。
そこには、
『どうしてもって言うから最近社交界で噂だと言うチューリップ園について行ったけれど、お姉様にもらったチューリップの方が綺麗だったわ。そのことを言ったら侯爵が落ち込んでしまって、こっちがあわてて慰めるはめになって大変だったのよ』
とか、
『仕方ないから侯爵家でもチューリップを育ててあげることにしたの。そしたらあの人も世話をしたいとか言いいだすのよ? 侯爵なのに手をドロドロにして土いじりして、なんか変な人だわ。でもあの人、爪の形が綺麗だったわ』
なんてことが書いてあった。
(爪の形が綺麗だなんて、よく見ないとわからないことよね? アリエル、きっと自分で気づかないうちに侯爵様の手を凝視しているんだわ)
つんけんとした態度を取りながらも、実は夫である侯爵の手を凝視しているアリエル。
その姿を想像して、ジネットはまたふふふっと笑った。
(アリエルが楽しそうでよかった)
こんなことを本人に言ったら「これのどこが楽しそうだと思えるの!? お姉様ったら本当に目の付け所が気持ち悪いわね!」なんて言われそうだが、もちろんそんなことは気にしない。
「何やら楽しそうだね、ジネット。それは僕たちの結婚式を思ってのことかい?」
気づいたクラウスに声をかけられる。
ジネットはあわてて謝った。すぐに思考が四方八方に飛んでいくのはジネットの悪い癖だ。
「すみません! 実はアリエルのことを考えていて……!」
「アリエル嬢? 何か違うことを考えているだろうなとは思ったけれど、アリエル嬢のことだったのか」
(違うことを考えているって、バレていました……!)
ジネットがドキドキしていると、そのことも見透かしたようにクラウスがくすりと笑った。
「これくらいすぐにわかるよ。何年君だけを見つめて来たと思っているんだ」
ジネットを見る紫水晶の瞳が、爽やかな朝の陽ざしの中できらきらと光っている。
まだタイのつけられていない首元はラフにシャツが緩められ、そこからゴツゴツとした男らしい喉ぼとけが覗いている。その武骨さは普段優美なクラウスには似つかわしくなく、似つかわしくないからこそ、その差にジネットの心臓がドキドキした。
(ゆ、油断していましたが朝のクラウス様もなんてお美しいのでしょう……!)
「えええ、えっと、何の話をしていたんでしたっけ⁉」
高鳴る心臓を必死に抑えて聞くと、クラウスがまた楽しそうにくすくす笑う。
「僕たちの結婚式の話だよ、ジネット」
「そうでしたね! 結婚式! もう何も待つ必要はないですもんね!?」
言って、ぽっと頬が赤くなる。
(婚約者であるからにはいつか結婚するだろうと思っていましたが、いざこの時が来るのだと思うと照れますね……!)
そんなジネットの前で、クラウスは楽しそうだ。
「結婚式の主役は花嫁だから、ジネットのしたいことを全部しよう。仲のいい人たちを全員呼んで盛大に楽しく開いてもいいし、そこまで盛大にしないなら親族のみの控えめな式でもいい」
言って、クラウスがぐいっと顔を寄せてくる。
「――もちろん、僕と君のふたりだけで、ひそやかに愛を誓ってもいいんだよ?」
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