第85話 「僕の愛する人」
目を丸くして見つめる前で、クラウスの美しくしなやかな指がそれをぱかりと開けた。
中に入っていたのは、輝くダイヤモンドの指輪だ。
「ジネット。僕の愛する人」
そう言ったクラウスの瞳を見て、ジネットは危うく鼻血を出すところだった。
彼の瞳がとろけるように甘く、ジネットを見つめていたからだ。
「ジネット、僕は君のことが好きだ。君の隣に立ち、君と家庭を作り、そして最後まで君を守る人でありたい。だから――君にこの永遠の輝きを贈らせてくれ。どうか僕と結婚してくれないか」
それは二度目のプロポーズだった。
ジネットの顔が、みるみるうちに真っ赤になる。
離れたところでは、観客たちがざわざわと囁き合っていた。
「えっ? あれも演出のひとつ?」
「それにしてはやけに女の子の方が初々しくないか?」
「見なよあの顔、真っ赤だぞ。あれは演技じゃないと見た」
(おっしゃる通り演技ではありません!)
と叫ぶわけにもいかず、ジネットはひええと顔を覆った。
「……ね、ジネット。返事は?」
そんなジネットに、クラウスが催促してくる。その瞳にはジネットの答えをわかりつつも、でもほんの少しだけ不安も覗いていた。
「あああ、あの、それはもちろん、はい、どうぞよろしくお願いいたします……!!!」
「ありがとう」
返事をするとほぼ同時に、ジネットはクラウスに強く抱きすくめられた。
その瞬間見ていた観客たちがワッと声を上げ、ヒュウ! と指笛が吹かれる。
「よかったな兄ちゃん!」
「おめでとー!!!」
「ふたりとも幸せにな!」
あちこちから飛んでくる野次とも言える声援に、ジネットはただ目を白黒させるだけ。けれどクラウスは余裕たっぷりに微笑むと、手を振って「ありがとう!」と声を張り上げた。さらに、
「ダイヤモンドはぜひマセウス商会で! どんな方でも購入できるよう、様々なものを揃えています!」
という宣伝も忘れない。その輝くような笑顔に、またキャー! という黄色い悲鳴が上がった。
やがてふたりがはやし立てられながら舞台から降りると、あちこちでマセウス商会の仲間たちが観客にチラシを配っていた。そこに書いてあるのはもちろんマセウス商会の名とダイヤモンドの指輪のことだ。ちゃっかり婚約指輪と結婚指輪の二段仕立てで書いてあるのが憎らしい。
「クラウス、貴様……やってくれたな」
ザッ、という足音とともに現れたのはジネットの父クレマン――ではなく、険しい顔で腕組みをしたキュリアクリス。
「まさかこんなところで、公開プロポーズで私に牽制をかけてこようとは……!」
ピキピキと顔に青筋を立てるキュリアクリスの後ろでは、「いやークラウスくん、思い切ったことをやるねえ!」と父がニコニコしながら拍手している。
そんな父に微笑みかけながら、クラウスが余裕たっぷりにふっと笑った。
「君に牽制? 違うよ。僕はこの場にいる全員に牽制したんだ。ジネットは僕の婚約者だよ、と」
「ぐあっ!? なんだその余裕しゃくしゃくの笑みは! 絶妙に腹が立つぞ!」
ギャンギャンとキュリアクリスがクラウスに噛みつく横で、頬を紅潮させたクリスティーヌ夫人がそばに駆け寄ってくる。
「ジネット様! あれは一体なんでしたの!? そんな素敵なことをやるなんて、わたくし知りませんでしたわ!」
「ええとあの、実は私も初耳でして……!」
「まあやっぱり! だって顔が真っ赤でしたものね」
ふふふ、と笑いながらクリスティーヌ夫人がぷにっとジネットの頬をつついてくる。
「彼ったら策士ですわね! まさか私たちにまで隠していたなんて。おかげでいいものを見られました」
「すすす、すみません! 今回はクリスティーヌ様たちが主役でしたのに、最後だけ私たちが目立ってしまって……!」
ジネットが恐縮すると、クリスティーヌが心外だと言うように目を丸くする。
「あら、何をおっしゃるの? 主役はいつだってあなたたちよジネット。そうでしょう? あなた」
「うむ。これは君たちの事業、君たちが主役だ。それに我々も、懐かしいものを見せてもらってもう十分に楽しんだからね」
「クリスティーヌ様……パブロ閣下……!」
ふたりのジネットを見つめる優しい瞳に、ジネットは目頭が熱くなる気がした。
「それにこの戯曲、まだあと何回かやるんでしょう?」
さらっと言い放ったクリスティーヌ夫人の言葉に、パブロ公爵が目を見開く。
「何っ!? そうなのか!?」
どうやら公爵は、一回で終わりだと思っていたらしい。
だがパブロ公爵にとっては残念なことに、クリスティーヌ夫人から許可を得た上で繰り返し上演することが決定していた。もちろんその分のロイヤリティはふたりに支払われる。
「はい! 〝永遠の輝きをふたりに〟。このフレーズが根づくまで、何回でもやりますよ!」
「ぐぬぬ……わしの暴走が王都に知れ渡ってしまう……!」
「あら何を今さら。それにあなたのあれは勇姿と言うのですよ。わたくしの自慢ですわ」
言いながらクリスティーヌ夫人がちゅっとパブロ公爵の頬にキスすると、公爵の顔がふにゃふにゃっと崩れた。
その仲睦まじい様子は、あいかわらずのパブロ公爵夫妻だ。ジネットが微笑みながら見ていると、遠くからあわてた顔のサラが呼びに来た。
「お嬢様、大変です! 出張店舗に想定以上のお客様が来ていて、このままだと広場に大混乱が起きてしまいます~!」
「ええっ!? 閣下、クリスティーヌ様ごめんなさい! 私、もう行かないと」
ジネットは公爵夫婦に挨拶すると、あわててサラと一緒に出張店舗へと走った。
――今回のジネットたちの戦略は、こうだ。
ただ指輪を紹介しただけでは、今までダイヤモンドに馴染みのない層にはきっと響かない。
そこで戯曲を使って、〝ダイヤモンドの結婚指輪〟にストーリーを持たせよう、と言うのがクラウスの案だった。
パブロ公爵夫妻の物語に感情移入し、胸をときめかせてくれれば取っ掛かりとしては成功。そこからさらにダイヤモンドの持つ意味や長く伝えられてきた言い伝えを知ることで、ダイヤモンドに対する愛着と憧れを作り出したのだった。
結果は、大成功。
実際に手にとって見られるよう出張店舗も設営していたのだが、思った以上の大盛況にジネットやクラウス、それからなぜかキュリアクリスやサラも総出で対応に走った。
さらに見学だけではなく実際に購入を希望した人は、急遽マセウス商会に案内することになったくらいだ。
◆
今日だけで叩き出したとんでもない契約数を見ながら、ジネットが遥か彼方の夜空を見上げる。
(いい感じだわ! この調子で、もっともっとダイヤモンドが知れ渡りますように……! そしていつか、あの子に届きますように……)
キラキラと煌めくダイヤモンドが彼女の細い指で輝いている姿を想像しながら、ジネットはそっと星々に向かって祈ったのだった。