第83話 『王女の婚姻』
※番外編『王女の婚姻』未読の方は本編を読む前に読むことをおすすめします。
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「演劇? こんなところで一体何を上演する気なんだ?」
今回はルセル商会の一員ではなく、客として招かれたキュリアクリスが不満げに言う。……まだジネットとクラウスが隠し事をしていたのをすねているらしい。
「もちろんそれは見てのお楽しみだ」
この上なく上機嫌なクラウスがそんなキュリアクリスをいさめながら席に案内している。
「それにしても……大盛況ですね! 立ち見も出ているみたいですよ!」
席を見渡しながら、様子を見てきたサラが弾んだ声で言った。
何列にもわたって用意された椅子には、みっちりと人が座っている。
最前列にはジネットたちが招待した貴族がいるものの、それ以外は実に様々な人たちで構成されていた。
身なりのいい紳士服、淑女服を着た人たちに、近くの店で働いていたであろうエプロンをつけたままの従業員。鞭を持っているのは馬車の御者らしき人物だ。それから靴磨きの少年に、どこぞの料理屋のおかみさんが、数人の子どもを引き連れて座っている姿もある。
皆、無料で演劇が見られるという謳い文句に釣られてやってきたのだ。中には店じまいをして見に来ている人もいるほどだった。
頃合いを見て、クラウスは進行係に合図を送った。それからジネットとともに、最前列の一番端っこに座って成り行きを見守る。
「皆様お待たせいたしました! ただいまから上演いたします演目は、『王女の婚姻』でございます!」
朗々と響き渡る役者の声に、あちこちからひそひそ声が聞こえる。
「『王女の婚姻』って有名な演目?」
「さあ、初めて聞くな」
「まあおもしろければなんだっていいけどな」
そんな中、パーッと開始を告げるラッパの音が鳴ったかと思うと、大きな看板を立てて作った舞台袖から突如怒鳴り声が聞こえた。
『クリスティーヌ! いい加減にしないか! 君は王女だという自覚はあるのか!?』
続いて舞台に掛けられたカーテンが引かれると、そこには塀にまたがっているひとりの女性の姿。
髪はまっすぐ伸びたプラチナブロンドで、それを見たパブロ公爵が「あ!」と声を上げてあわてて口を手で押さえた。隣ではクリスティーヌ夫人が声を漏らさないよう、両手で口を押さえてくすくす笑っている。
『やだ、よりにもよって一番うるさいのに見つかるなんて、今日はついていないわ……』
『一番うるさいとはなんだ一番うるさいとは!』
言いながらずんずんと歩いてくる役者は、どっしりした体格の熊のような男。もちろんその髪は茶色だ。
……そう。
パブロ公爵が気づいたように、この劇はパブロ公爵夫妻の馴れ初めを描いたものだった。
以前ジネットがふたりの話を小説にしたいと考えていたのだが、今回クラウスが考えた案にこの話がぴったりだったため、クリスティーヌ夫人の協力を得た上で戯曲として脚本家に書き上げてもらったのだ。
クラウスがそのことを説明すると、ようやく話を掴んだらしいキュリアクリスが「なるほどね」とうなずく。
「しかしなんでまた戯曲なんだ? それも恋愛もの」
「もちろんそれが商品に関係してくるからだよ。まあ見ていてくれ」
余裕しゃくしゃくで微笑むクラウスたちの前で、『王女の婚姻』は順調に進んで行った。
気づけば物語はクリスティーヌ王女がパキラ皇国に嫁ぐシーンまで来ており、舞台上では花嫁衣装を着たクリスティーヌ役の女優が、沈痛な面持ちでうつむいている。
「ふふっ。懐かしいわ。わたくしこの時、もう二度とあなたに会えないと思っていましたのに」
こそこそと、クリスティーヌ夫人が嬉しそうにパブロ公爵に囁いている。対するパブロ公爵は「う、うむ」とどこか気まずそうだ。
やがて皆が見守る前で、突如たくましくなったパブロ公爵ことレイトン役の男優が現れて叫んだ。
『陛下、私との約束を忘れないでいただきたい!』
その登場に、観客の視線がいっせいに彼に注がれる。
かと思うとその場にいた俳優たちが舞台袖にはけていき、代わりに現れたのはパキラ皇国に住む南の部族たち。
それをレイトン役の男優が、巨大な鉄槌を構えて右へ左へとバッサバッサなぎ倒していく。流れるような動きで披露されるのは華麗な演武。その迫力に、客席から「おぉっ」と声が上がった。
『これぞ地獄から来た〝地獄から来た筋肉だるま〟だな!』
パキラ皇帝役のそんな掛け声に、今度はドッと笑い声が上がる。
それを見たクリスティーヌ夫人は嬉しそうに笑い、パブロ公爵は顔を赤らめて気まずそうにぽりぽりと頬を搔いていた。
やがて最後の告白シーンまで来ると、舞台上にはクリスティーヌ役とレイトン役のふたりだけになった。
『……クリスティーヌ王女よ。こ、こんな私と、どうか結婚してもらえないだろうか!』
『レイトン……』
目をうるませて見つめるクリスティーヌは、次の瞬間レイトンに飛びついた。そのままふたりは熱い口づけを交わし、それが合図だったかのように辺りに爆発的な歓声が沸き上がった。
「ブラーヴォー!」
「すばらしかったわ!」
「レイトン頑張ったなあ!」
戯曲の終わりを知らせる演奏と、立ち上がった人々の拍手が混じり合う。広場はかつてないほどの熱気に包まれた。
パブロ公爵だけはひとり気恥ずかしそうな表情をしていたが、それでも口元には笑みを浮かべ、他の人と同じようにパチパチと拍手をしている。隣にいるクリスティーヌ夫人は、うっとりとした表情を浮かべながら、パブロ公爵の肩にもたれかかっていた。
(話を聞いた時もとてもおもしろかったですが、実際に役者さんの演技で見ると感動もひとしおです! まさに世紀の大恋愛ですね!)
自らも力強い拍手を繰り返しながら、ジネットはうっとりと余韻に浸った。
舞台映えのために脚色を加えたり構成を変えたりした部分はあるものの、それでもほぼクリスティーヌ夫人の実体験なのだ。
(そう考えると、クリスティーヌ様はまるで物語の主人公のようですね……!)
なおも感動していると、収束してきた拍手に合わせてクラウスが立ち上がった。
(あっいけない。感動している場合ではありませんでした! クラウス様を応援せねば!)
気づいたジネットがきりりと表情を引き締める。
何を隠そう、ここからがマセウス商会――いや、クラウスの本番なのだ。




