第82話 だって、人生は長いですから
「――さて、いよいよ準備も大詰めだ。新商品発表の場が間もなく完成するよ」
その日満足そうに言いながら、クラウスは広場に設置された舞台を見た。
彼はここで、一般の人々に向けてダイヤモンドをお披露目しようと考えているのだ。
「しかしずいぶん大きくて立派な舞台だが、それだけでみんなが『じゃあダイヤモンドを買おう』なんて思うものなのか?」
そう言ったキュリアクリスの言葉ももっともだった。
大きくて派手な舞台を作り、そこで大々的に宣伝をすれば人々の注目は集められるだろう。
けれどそれが実際の購入に繋がるかどうかは、また別物なのだ。
「もちろん対策はしてあるさ。そうだろう? ジネット」
「はいっ!!!」
ニコニコと嬉しそうな顔のクラウスに声をかけられて、ジネットは元気よくうなずいた。
“対策”は、ジネットとクラウスが連日相談をしてふたりで決めたことだ。この部分は細心の注意を重ねに重ね、密かに色々な人の協力も仰いでいる。
「なんだ、私には内緒なのか?」
機嫌を損ねたように、キュリアクリスがムッと顔をしかめる。そんな彼に、クラウスは先ほどの仕返しばかりだと言わんばかりににやりと笑った。
「それはそうだ。サプライズは秘密にしてこそだろう? 当日を楽しみにしていてくれ」
クラウスの返事に、キュリアクリスはやれやれと大きなため息をついたのだった。
◆
そしてやってきた、マセウス商会新商品発表の当日。
人が十人以上も乗れる大きな舞台はぴかぴかに飾られ、その前にはずらりと椅子が並んでいた。
運のいいことに天気にも恵まれ、空には燦々と太陽が輝いている。
「天気だけはどうにもならないから心配していたけれど、見事な快晴。これなら発表にうってつけだね」
「はい! ものごとには運も大事ですからね。とっても幸先いいような気がします!」
うきうきと言ってから、ジネットは遠くに立つ父の姿を見つけた。
「お父様!」
声をかけると、気づいた父が上機嫌で歩み寄ってくる。
「今日は楽しんでいってください! クラウス様と相談して、とびきり自信作に仕上げましたから!」
新商品発表に辺り、ジネットは父を招待していたのだ。もちろん、招待客は父だけではない。
「ほぉお。皇帝のダイヤモンド鉱山が一体どんなものに化けるか楽しみだのう」
「はい!」
言いながら、ジネットは父の隣をちらりと見た。
こういった催しがある時、父はいつも必ずレイラと一緒に参加してきた。けれど当然ながら離縁した今、その隣に彼女の姿はない。
ジネットが考えたことに気づいたのか、父がふっと寂しげに微笑む。
「レイラのことが気になるか」
「あっ、い、いえ! ただ、本当に離縁してしまわれたのだなと思って……! ごめんなさい、思い出させてしまって」
「よい。気にするな」
それから父は、少し遠くを見るような目でジネットに教えてくれた。
「レイラはわしの言いつけ通り出て行ったよ。それからギルバートが調べたところによると、どうやらここから遠く離れた修道院に自ら身を寄せたようだ」
修道院。
その単語をジネットは意外な気持ちで聞いていた。
レイラは、父から結構な額の手切れ金をもらったと聞いている。それなら彼女のことだから、何が何でも都の生活にこだわるかと思っていたのだ。
「修道院の生活は全部自給自足で結構厳しいと聞きますが、大丈夫なのでしょうか……?」
「さあ。それはわしにもわからんな。……だがもしかしたらレイラも、何か思うところがあったのかもしれん」
何せ実の娘であるアリエルを、借金のかたに売り飛ばしてしまったのだからな、と父は言った。
「今さらその罪の深さに気づいたのか、それとも罪悪感に駆られたのか……。どちらにせよ、もうわしとレイラの道が交わることはないだろう。それでも一度は夫婦となった身だ。彼女にも修道院で新たな道を見つけてほしいと、願うぐらいはいいだろう」
「そうですね」
ジネットはしみじみとうなずく。
「アリエルにした仕打ちはしっかりと償ってほしいですが……いつか彼女にも憎しみや恨みを忘れて、心穏やかに過ごせる日が来るといいなと思っています。だって、人生は長いですから」
本当に様々なご褒美をくれた元義母レイラだが、ジネットは攫われかけても、最後まで彼女を嫌いになれなかった。それはジネット自身に、レイラのせいで苦しんだ記憶がないからかもしれない。
そのまましばし会話を交わした後、父は用意された席へと向かって行った。
次に顔を上げた時、ジネットは新たな客の姿に気づいた。
「クリスティーヌ様! パブロ閣下! 来ていただいて嬉しいです!」
満面の笑みで駆け寄ると、いつになくはしゃいだ様子のクリスティーヌ夫人がジネットを抱きしめる。
「ジネット、すごいわね! わたくしこんな舞台は初めて見たわ」
「私も初めてだ。まさか劇場ではなく、こんな街中に舞台を作ってしまうなんて、あいかわらず君たちは斬新なことを思いつく」
感心する夫妻に、照れながらジネットが説明する。
「最近は戯曲と言えば劇場で見るものですからね。でもひと昔前までは、こういった移動式の劇団が多かったんですよ」
「へえ、そうなの……! あなたはこういった歴史にも詳しいのね」
さすがジネットね、と夫人は嬉しそうに言った。ジネットは照れながら、パブロ公爵夫妻を最前席へと案内していく。
――そう。今日のサプライズは何を隠そう、新商品発表の場で上演される“演劇”だったのだ。