第8話 ギヴァルシュ伯爵邸へ
「よし、しばらくはここを拠点に動けそうね!」
――ジネットたちが家を出てから、一週間。
サラとともに宿屋の部屋を見渡しながら、ジネットは満足そうにうなずいた。
この数日、ジネットたちはいくつかの宿を転々とし、最終的にたどり着いたのがここだ。
王都で一番賑やかな通りにほど近く、通された部屋も品の良いたたずまい。何より治安の面で信頼できると評判で、これからの活動拠点にぴったりだ。
必要なお金も既に銀行から取り出してあり、父を探すための準備は万端だった。
「お嬢様、この後の計画を教えてください! 私は何をすればよいでしょうか?」
期待に満ちた目を向けられて、ジネットは頭の中で今後の流れを整理しながら答える。
「もちろん、最初はクラウス様との婚約破棄です! まずはあの方を解放してあげなければ……。仕事探しはそれが済んでからよ。私を雇ってくれるところがあればいいのだけれど……」
それを聞いたサラが眉をひそめた。
「そううまくいきますかねえ……」
「いくら付き合いがあるとは言え、おじ様たちが雇ってくれるかどうかはわからないものね。私は女だから、男性方と同じように扱うわけにもいかないでしょうし……最初は苦労するかもしれない」
「あ、いえ、そっちの話ではないです。私が言っているのはクラウス様の方です」
「えっ?」
「えっ?」
ジネットがきょとんとしてサラを見る。
どうやら、ふたりの話は噛み合っていなかったらしい。
「それは、どういう……」
けれど深く聞こうとしたところで、サラはあわててジネットの背中を押した。
「いえっ! 私の話を聞くよりクラウス様にお会いするのが一番です! さあさあ! 早くしないと日が暮れてしまいますから、今すぐにでも!」
「た、確かに。明日にしようかと思っていたのだけれど、こういうのは早い方がいいわね?」
戸惑いつつも、やたら勢いのあるサラに背中を押されてジネットは辻馬車に飛び込んだ。
それから揺られること数十分。
ふたりは落ち着いたたたずまいが美しい、ギヴァルシュ伯爵邸の門前に降り立っていた。馬車から降りながら、ジネットが困ったように眉を下げる。
「連絡もなしに押しかけてしまったのだけれど、大丈夫かしら……。というかよく考えたら、そもそもクラウス様がいらっしゃるかもわからないわ……」
「大丈夫ですよ。万が一いなかったら、また後日くればいいんですから」
不安げなジネットとは対照的に、なぜかサラの方はやけに自信満々だ。
サラはそのまま足取り軽く門番のところまで行って何か囁いたかと思うと、門番が目を丸くして大声で叫んだ。
「ジネット様がいらっしゃっています!!!」
途端、どこに潜んでいたのか、庭のあちこちから使用人たちが飛び出してくる。
「ジネット様だって!?」
「こりゃ大変だ! 誰か、すぐに坊ちゃまにお知らせして!」
「いまのうちに、それっ! ジネット様を確保ーーー!!!」
わけがわからぬうちにわらわらと、まるで珍獣を捕まえるように取り囲まれてしまう。
「えっと、あの!?」
助けを求めようとサラを見ても、なぜか彼女はニコニコと微笑むばかり。
そうしているうちに、屋敷の方からあわてた誰かが姿を現した。
――すらりとした長身に、遠目から見ても輝かんばかりのまばゆい銀髪。いつも穏やかな笑顔が浮かぶ顔に、今はなりふり構わない必死さが浮かんでいる。
門まで猛然と走ってきたのは、婚約者のクラウスだった。
「ジネット!」
「クラウス様! よかった、帰国しておられたのですね。実は折り入ってお話が――」
けれどジネットの言葉はそれ以上続かなかった。
クラウスが近くまで来たと思った次の瞬間――ジネットは彼の腕の中に包まれていたからだ。
「ク、クラウス様!?」
クラウスの腕の中で、ジネットは目を白黒させた。