第75話 お父様
ふさふさの髪に、ジネットと同じ緑がかった灰色の瞳。
居間に座っていたのは、数カ月ぶりに見るジネットの父だった。
「おぉ、ジネット! 久しぶりだなあ!」
一年近く行方不明になっていたとは思えない軽快な調子で、父はあっけらかんと言った。
以前より日に焼けた顔は精悍さを帯び、体は全体的にシュッと引き締まっている。前までぽよぽよだったお腹もやや薄くなっていた。
それは長旅の大変さを物語っているようで、ジネットの瞳に見る間に涙が盛り上がった。
「お父様っ!!!」
「おぉっとっと! あいかわらずジネットはイノシシ並みに元気がいいな!」
どん、と抱き付けば、父が朗らかに笑いながら抱き留めてくれる。その匂いも体温も、ジネットが覚えている父そのもので、懐かしさにまた涙がにじむ。
「お父様! お父様!」
――ずっと生還を信じていた。
――会えて嬉しい。
――無事で本当によかった。
けれどそのどれもが言葉にならず、ジネットはただ無言で涙をこぼしながら父の名を繰り返すだけ。
そんなジネットの頭を、大きく分厚い手がぽんぽんと撫でる。
「お前にも心配をかけてしまったな。だがわしは見ての通り、ぴんぴんしている」
「はい……! はいっ……!」
耳を心地よく打つ低音は、父の懐かしくも優しい声。
嬉しさに、ジネットがコクコクとうなずく。
(そうですよね! だってお父様は、雷に三度打たれても生きのびた方でしたものね!)
クラウスを経由して無事は聞いていたが、やはりこうして目の前に本人がいるのは格別だ。
父からは離れてクラウスを見れば、彼も本当に嬉しそうな笑みを浮かべてジネットたちを優しく見守ってくれていた。気づいた父が言う。
「クラウスくんも本当にありがとう。色々あって一時は帰国を諦めていたが、君がわしを見つけてくれたことで、こうしてまた戻ってこれた。本当に世話をかけてしまったね」
「何をおっしゃるのです。そもそも今まで僕を散々助けてくれたのはあなたの方ですよルセル卿。これぐらい、当然のことをしたまでです」
言って、今度は父とクラウスががっしりと抱き合った。
再会を喜び合うふたりの姿に、ジネットも胸がいっぱいになる。
やがて散々再会を喜び合った後に、父は話を切り出した。
「……さて。道中クラウスくんからの手紙でひと通りの近況は把握しているつもりだが、わしが離れている間にルセル家はずいぶんと変わってしまったようだな?」
その言葉にジネットは無言でうなずいた。
父が行方不明になっている間にジネットは家を出て、ルセル商会の権利書を手に入れ、義母は借金を作り、そのせいでアリエルは嫁いで行った。
一連の出来事を父がどう思うのかは、実の娘であるジネットであっても読めなかった。
「まず、ジネットや」
「は、はいっ」
父の大きな手が、ふたたびジネットの頭にぽんと乗せられる。
「わしのいない間に、ずいぶんと頑張ったと聞いている。レイラから商会を守ってくれてありがとう。予定より少し早いが、ルセル商会はもうお前のものだ。これからはクラウスくんや商会のみんなと一緒に、お前の好きな道を歩みなさい」
「はいっ!」
ジネットは力強くうなずいた。今まで商会長代理として頑張って来たが、これからは正式にジネットが商会長となるのだ。それからはたと気づく。
「でも私が商会長なら、お父様はどうされるのですか?」
「なあに。わしは引退してのんびりやるさ。どのみち皇帝から、『早く遊びに来い!』とうるさくせっつかれているしのぉ。まだ帰って来たばっかりだというのに、やれやれ。人使いの荒い皇帝だ」
父はあいかわらずヴォルテール皇帝にずいぶんと気に入られているらしい。
「お父様、一体何をしたら皇帝にそんなに気に入られてしまったのですか?」
「特に何もしとらんがねぇ 。しいて言うなら、熊に襲われていたのをわしがたまたま助けたぐらいか?」
「熊!?」
父の言葉に、ジネットもクラウスもぎょっと目を丸くした。
「まあひとりじゃなかったし、運がよかったんだよねえ。でもその話は長くなるからまた今度ね」
(あああ! また今度じゃなくて今すぐ聞きたいですお父様!)
本当はそう言いたかったが、帰って来たばかりの父に無理をさせるわけにもいかない。ジネットはぐっと言葉を飲み込んで我慢した。
やがて父はジネットやクラウス、ルセル商会の無事を確かめてから、義母レイラが待つ家へと帰って いったのだった。