第70話 この件に関しては……
そのままどこをどう走ったのか。
急にガタンと音がして馬車が止まったかと思うと、ジネットは乱暴に引きずり出された。それから背中を小突かれる ようにして地面に倒れこむと、手に触れたのは土ではなく木の床だった。
「!?」
自由になった手で急いで目隠しをはずし、状況を確認する。
どうやらジネットが連れ込まれたのはどこかの廃屋らしい。あちこちに蜘蛛が巣を張り、部屋の中は埃っぽい。家具は手を触れたら即座に崩れ落ちてしまいそうなほどボロボロだった。
猿ぐつわをはずしながらさらに辺りを見回したジネットは、部屋に立つ人物に気づいて目を丸くした。
「お義母様!?」
「この間ぶりね、ジネット」
義母のレイラは腕を組み、勝ち誇ったようにジネットを見下ろしていた。その隣には目を伏せ、気まずそうにジネットから顔を背けているアリエルの姿もある。
(アリエルだけかと思ったら、お義母様もだったのね!)
考えながら、ジネットはぎゅっと腰のポーチを握った。
中にはいざと言う時用の防犯ボール『目が染ミール』と『くしゃみ止まらなくナール』が入っているが、さすがにアリエルたちに向かってこれは投げられない。
「あのう……これは一体?」
義母のご褒美には慣れているジネットでも、今回の件はさすがに見当がつかなかった。そもそもジネットを攫う理由が全然思いつかない。
そんなジネットを見て、義母がフッと鼻で笑う。
「ジネット。あなたには今からこれに着替えてもらうわ」
言って義母がアリエルに目線を送ると、アリエルは小さくため息をついてから用意されていたらさしい服を広げた。
ボロボロの小屋の中で広げられたそれは、レースが縫い付けられた真っ白なドレスだ。
「もしかしてこれは……花嫁衣装ですか?」
部屋には似つかわしくない清楚さに、ジネットはぱちぱちとまばたきした。
(なぜこんなものを……はっ! まさか、私とクラウス様のひと足早い結婚祝い――)
「勘違いしないでちょうだいね。これは決してあなたとクラウスのためのものではなくてよ」
けれどジネットがそんな勘違いをする前に、何かを察したレイラが嫌そうな顔できっぱり言った。
ジネットがしょんぼりと眉尻を下げる。
「そうですか……」
「まあ、あなたに着てもらうために持ってきたという点では間違いではないけれど」
ツーと指でドレスを撫でながら、義母は楽しそうに言った。
「わたくしね……とある方に大層な御恩ができてしまったの。だからその方にお返しするためには、あなたにも協力してもらわないといけなくて」
その言葉を聞いてジネットはピンときた。
「もしかしてお義母様……やっぱり先日のチューリップ騒動で借金を作ってしまわれたのですね!?」
「そういうことははっきり口に出さないでくれるかしら!?」
クワッと顔を険しくしたレイラが、ジネットのペースに巻き込まれているのに気づいて咳払いする。
「おほん……。そのお方はね、こうおっしゃっていたのよ。『借金を返す必要はない。その代わりお前の娘を花嫁としてよこせ』と。……それならジネット、あなたがぴったりでしょう?」
(なるほど。それでお義母様は私を連れて来たのですね)
ようやく話が見えてきて、ジネットはふむふむとうなずいた。
「ちなみにそのお方はどなたでしょう? またどれほどのお金をお借りしたのですか?」
「あなたが嫁ぐのはバラデュール侯爵よ」
(バラデュール侯爵。噂は聞いたことがあります)
ジネットの情報網によれば、五十過ぎのバラデュール侯爵はとにかく若い女性が好きだという話だった。一日中とも言えるほど長い間ずっと寝室に籠もり、領地の管理などはすべて実の息子にまかせっきりなのだと言う。
遠くから侯爵を見たことがあるが、常に酒に酔っているような、どろりと濁った瞳が印象的な人物だ。一度挨拶に行こうとしたところ、クラウスにサッと止められた覚えがある。
「ちなみに金額は全然大したことないわよ」
そう言いながら義母が明かした金額は、熟年の職人がゆうに十年は暮らしていけるであろうものだった。
ただしそれくらいの金額であれば、実はジネットには今すぐにでも支払い可能だった。
――が。
(この件に関しては、私が代わりに払って解決というわけにも行きませんし……)
普段のご褒美であれば、「人脈開拓ですね!」と鼻歌を口ずさみながら飛んでいくところだが、今回の件はどう見てもただの借金。
ジネットが肩代わりしたところで、きっと義母は味をしめてまた違うところで新しい借金を作ってくるだろう。
(だとすると……今回のご褒美は一体どういう風にお答えするのが正解かしら?)
うーんうーんと考えて、ジネットは「あっ」と顔を明るくした。
「ならばこれはどうでしょう? 今回は私が借金を肩代わりする代わりに、お義母様がルセル商会でその金額分働くとか」
「嫌よ」
被せ気味にバッサリと断られた。
またジネットがしゅんとする。
「わたくしがルセル商会で働く? よくそんなつまらない冗談を思いつくわね」
「冗談ではないのですが……」
(チューリップ投機に手を出したということは、てっきりお義母様も商売に興味が出てきたのかと思ったのですが……)
ジネットが残念がっていると、それまでずっと黙っていたアリエルが控えめに義母の方を向いた。
「ねぇ……お母様……」
その顔には戸惑いと恐れの両方が混在している。そんな顔のアリエルは初めてだ。ジネットだけではなく、義母も不思議そうに彼女を見た。
「バラデュール侯爵って怖い人なのでしょう? そんなところにお姉様を送るだなんて……あんまりだわ」
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先週体調不良で更新お休みしてしまって申し訳ありません……!
代わりに明日お昼12時にも投稿予定です!