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第67話 お母様……教えて……?(アリエル視点)

「ああああもう!!! 一体どうなっているのよ!?」


 部屋の中に響き渡る絶叫は、アリエルの母レイラのものだ。

 同時に手当たり次第ものを投げつけているせいで、ガチャン! ガチャン! という不穏な音ともに砕けた破片が辺りに飛び散る。


「お、お母様! 落ち着いて! 危ないわ!」

「お嬢様はこちらに! いつ破片が飛んできてお怪我をするかわかりません。安全な場所にお隠れください!」


 と必死に誘導してくれるのは家令のギルバート。ふたりは協力して、荒れ狂う母から逃げまどっていた。


「どうして! どうして! どうして!!! つい昨日まですごい値段がついていたのに、今はこれがただの紙切れだなんて! 情報屋に騙されたわ!!!」

「騙されたも何も、奥様自身がお選びになった道じゃありませんか」

「そうよお母様。お姉様だって危ないってちゃんと忠告していたじゃない」

「うるさい!!!」


 ボスン! とクッションが飛んできて、アリエルは「きゃっ」と叫んだ。中から飛び散った羽根がひらひらと辺りを舞う。


「お前は何も知らないからそんな悠長なことが言えるのよ! この紙切れを手に入れるために、一体いくらパトロンにお金を貸してもらったと思う!? そのお金が返却できなくなったのよ!!!」

「えっ……? お母様、もしかして借金をしていらしたの……?」


 その言葉に、みるみるうちにアリエルが青ざめた。

 アリエルはてっきり、ルセル商会の権利書を売った時のお金を使っていたのかと思っていたのだが、どうやらそれだけではないらしい。隣では普段冷静なギルバートも青ざめている。それは演技ではなく、本物の驚きのように見えた。


「奥様……一体どなたにおいくら借金なさったのです!?」


 青ざめたギルバートが、ガッと母の肩を掴む。だが母はカッと目を見開いたかと思うと、ギルバートを叩き始めた。


「お前になど教えはしないわ! 出てお行き!」

「ですが!」

「私の命令が聞けないの!? だったら今すぐクビよ! どうせこのままだと破産。お前がいなくなっても少しも痛くないわ!」

「っ……!」


 これにはさすがのギルバートも諦めざるをえなかった。

 やがて彼がいなくなった部屋でアリエルがそっと近づくと、母は虚ろな目をしながら言った。


「お母様……教えて……? 一体いくら借金をしたの……?」

「……お金を借りたの、は――」


 その口から出た金額と借り主の名に、アリエルの喉がヒュッと鳴った。


 ――母がお金を借りたのは、バラデュール侯爵。別名、“老いぼれた色欲侯爵”。


 パブロ公爵にも引け目を取らぬほどの財産を持ちながら、五十を過ぎてもその色欲は治まらず、ついた異名がそれだった。


 その上、今まで娶った妻や愛人はことごとく短命で終わり、好色だけではない、異常な何かがあるのではないかとまことしやかに囁かれている。


「お、お母様……そんなところから借金をしてしまったの!? 返済はどうやって……! だって我が家を担保に入れようにも、お父様がいないから私たちにはできないのよ!?」


 アリエルがすがりついても、母は何も答えようとしない。


「ねえまさか……まさか借金のかたに、私を売り払うようなことはしないわよね……?」

「そんなことはしないわ! お前は私の可愛い、たったひとりの娘だもの。でも、それじゃ借金が返せない。であれば、残された手段はひとつよ――」

(まさか)


 硬直するアリエルの前で、母の美しい唇がニヤッとつり上がった。


「いるじゃない、ルセル家にはもうひとり、娘が――」




 チューリップの市場が崩壊してからも、ジネットたちは日々奔走していた。


 チューリップを売りだした者の責任として、お金を貸すことで救済できる者には無利子で貸し、援助できるところには援助の手を差し出しているのだ。

 そんな中、今日は領主の仕事で自宅にいたはずのクラウスが、息を切らせながら会長室に飛び込んできた。


「ジネット! 父君の行方がわかった!」

「お父様の!?」


 ガタッと立ち上がったジネットの手をクラウスが力強く掴む。その顔には喜びがあふれていた。


「足取りをたどるのにずいぶん時間がかかってしまったが、父君はどこで見つかったと思う?」


 それからジネットの答えを待たずに、クラウスがふはっと噴き出す。


「なんとヴォルテール帝国の宮殿だ。まさかの皇帝に囲い込まれていたらしい」

「皇帝にですか!?」


 予想外の単語に、ジネットは目を白黒させた。


(囲い込みって単語は聞き間違えですか!?)


 確かに父は昔から人の懐に潜り込むのがうまく、今までも散々要人に気に入られてはきたが……まさか皇帝まで篭絡してしまうなんて。


「やたら時間がかかっているからもしかしてとは思っていたけれど、さすがジネットの父君だね。皇帝が父君を気に入りすぎて返したくないと、散々ごねているらしいよ」


 聞けば、『なんでも与えるからこの国に残ってくれ』やら、『家族全員宮殿に住まわせるからこの国に残ってくれ』やら、まるで傾国の美女のような扱いを受けているらしい。

 だが父は間違いなく、五十代の立派なおじさんだ。しかも最近、だいぶお腹が出てきている。


「お父様は一体皇帝に何をしたのかしら!?」

(まさかよからぬお薬を盛ったのでは……!?)


 失礼ながら、ついそんなことを想像してしまう。


「報告してくれた調査員いわく、皇帝は父君を『魂の双子』と呼んでいるらしいよ」


 “魂の双子”

 想像以上に重みのある単語に、ジネットはごくりと息を呑んだ。クラウスがふふっと笑う。


「なんにせよ、帰ってきた父君に話を聞くのが楽しみだね」

「はいっ!」

(すごく長い間離れていた気がしますが、いよいよお父様が帰ってくるのね……!)


 それは考えただけで胸の中がぽかぽかとあたたかくなるような、素敵な知らせ。

 ずっと父の生存を信じて疑わなかったけれど、もう少しで本当に返ってくるのだと思うと、嬉しさに顔がゆるんでしまう。

 父に報告したいことも、父に聞きたいこともたくさんあった。


 同じく微笑んでいるクラウスが、喜びをにじませてジネットを見つめる。


「ジネット。父君が帰ってきたら、僕たちも結婚式を挙げようか」

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