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第66話 最後の理由は……私の義母

「ふたつめは、チューリップを“儲け話”として担ぐ人が出てきたからです」


 資産価値自体は、チューリップにもオーロンド絹布にもある。

 けれどずっと変わらず、あるいはそれほど変化のなかったオーロンド絹布と違って、チューリップは『価値が上がる』と言われ、投機目的の投資家が大量に押し寄せて来たのだ。


 この時点で、チューリップには実際以上の価値がつき始めている、とジネットは感じたのだ。


「そして最後の理由は……私の義母が、その話を知っていたことです」


 それはあの日、球根をもらいに来たアリエルが教えてくれたことだった。

 義母レイラが投機のために、球根を買っていると。


「義母……って言ったら、レイラ奥様ですかい?」


 商会の母親的女性が言う。その声にギデオンも続いた。


「レイラ奥様は旦那様と違って生粋のご貴族でいらっしゃいますが、商売にはとんと疎かったはずでは……?」

「そうです。だからこそ危険だと思ったのです」


 最近は商売らしきことをしているようではあるものの、元々義母には商売に関する知識もなければ、勉強もしたことはないはずだ。

 そんな彼女ですら『チューリップは儲かる』と思い込んで手を出しているとなれば……チューリップの市場価値が買い手を置いてけぼりにしたまま、売値だけ異常にふくれあがっているとジネットは考えたのだった。


「……なるほど。時間が経つにつれ、売り手だけが盛り上がっていくようになった、ということか」


 耳を傾けていたキュリアクリスがぽつりと言う。ジネットはうなずいた。


「はい。最初はきっと、売る方も買う方も熱狂の最中にいたと思うのですが……ふとした瞬間に、熱意が冷めたら? あるいは誰かがきっかけとなって、目が覚めたらどうでしょう」

「確かにパブロ公爵なんかはその辺シビアだから、遠慮なく言い出しそうだね……」


 チューリップの値上がりを、ある程度の価格まではパブロ公爵も許容していただろう。

 だがチューリップの価格が家一軒と同額になった時、公爵なら『ただの花にそんな金額を?』と言い出しかねなかった。

 そして社交界で影響力のある公爵がそんなことを言った日には、『はだかの王様』に気づいた人々のように、皆一斉に目が覚める……ということも十分考えられるのだ。

 ジネットが説明すると、「なるほどなぁ……」「確かに」といった声が次々と上がった。


「何にせよ、ジネットちゃんのおかげで我がルセル商会は危うく難を逃れたってことだねぇ!」

「いやあ危なかったよ……。商会ひとつ、まるまる吹っ飛んでしまってもおかしくなかったな」

「そうですね……。これからチューリップ市場がどうなるのか、私は最初に売り始めた者の責任として、きちんと見届けようと思っています」




 買い手の消失という大きな事件が起きたその日から、チューリップの価格は暴落の一途を辿った。

 暴落は価格が上昇した時よりもさらに早く、まさに崖から転がり落ちると言うべき速度で下がり続けて行く。

 買い手が消失した二日目には三分の一に、そして三日目にはさらにその半分の価格に。

 どこもかしこも手形を売りさばこうととする人であふれ、市場は混沌を極めていた。


 そんな中、ジネットたちはギヴァルシュ伯爵家にいた。

 疲れ切った顔のエドモンド商会長やゴーチエ商会長ら、付き合いのある商人たちと話をしていたのだ。

 彼らは皆チューリップに多額の資金を投入し、ジネットの助言によって致命傷は避けられたものの、それでもかなりの損害を被ってしまったらしい。


「聞いたところ、一番被害が大きい人で五千万クランダーもの損害を出した人物がいるみたいだね……。バルテレミーとかいう商人だったかな? 不払いを理由に、裁判所に引っ立てられていたはずだよ」

「バルテレミーって、あの詐欺商人の方ですか?」


 その名は以前、レイラたちにガラスを宝石と偽って売りつけた詐欺商人のものだ。


「ああ。そのはずだ。まだこの国で活動していたことも驚きだが、さっさととんずらしていればよかったものを」

「本当、悪いことはできないものだねぇ。ただ逆に、貧しい一家が育てた野生産チューリップを売って大金を手にしたとも聞くし」

「ある意味、お天道様は見ているのかもしれませんね……」

「良き者には恵みを」

「欲深き者には罰を、か……」


 ある者はため息をつきながら、ある者はしんみりとしながら、商人たちがうなずき合う。


「すべてが水面に生じた泡のように、ぱちんと弾けて消えてしまいましたね……」


 やがて彼らを見送った後、部屋に戻ったクラウスがしみじみと言った。


「それにしても、本当にジネットはいい判断をしたね。君のおかげでルセル商会はほぼ無傷。さすが僕のジネットだ」


 そう言ってにこりと微笑んだ後、無言で立っているキュリアクリスに気づいて「あー」と続ける。


「その、キュリ? 今回の件は仕方がないと思う。熱狂の最中、自分が巻き込まれていることに気づく方が至難の業だと思うんだ」


 だがそんなクラウスに、キュリアクリスは顔をしかめただけだった。


「よせ。気遣うな。余計みじめになる」


 それから彼は大きくため息をついた。


「今回の件で、自分の考え方が甘いことをよく思い知らされたよ。やはり商売は難しいな……。だが私がこれくらいで落ち込むと思ったら大間違いだ。むしろ、ジネットのそばにいたおかげで大損をせずに失敗だけ経験できたんだ。これは運がいいと思わないか?」


 なんて不敵に言ってみせるキュリアクリスに、クラウスが声を上げて笑う。


「ははっ! そう来たか。さすがキュリだね。立ち直りの速さは並じゃない」

「そうとも。私もこう見えて今はルセル商会の一員だからね。であれば会長の〝めげなさ〟はぜひとも真似しないと」


 よくわからないが褒められたらしいことを察して、ジネットも力強くうなずく。


「前向きなのは大変よいことです! 落ち込んでいる時間がもったいないですからね!」

「それにしても盲点だったな。義母殿の話をそんな風に解釈するとは。寓話にできそうなくらいだ」

「それもこれも、アリエルのおかげですよ。投機のために球根を買いたいお義母様と、たかが花なのに、と冷静に見ているアリエル。そのふたりの対比がなかったら、私も熱狂の渦に巻き込まれたまま帰ってこられなかったかもしれません」


 そこまで言ってアリエルはふと思い出した。


「そういえば……お義母様の方は大丈夫だったのでしょうか?」


 同じく思い出したクラウスが、うーんと腕を組む。


「彼女が使えるお金と言えば、この間ルセル商会の権利書を売ったお金ぐらいのはず……。最悪それを全部溶かしたとしても、それ以上の被害は出ないはずだ。彼女が借金でもしない限り」


『借金でもしない限り』


 その言葉にジネットだけではない、言った本人であるクラウスもぞくりと悪寒を感じた。


「まさか、ね……」

「まさか、ですよね……?」


 言いながらふたりは恐る恐る顔を見合わせたのだった。

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