表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

66/121

第65話 ルセル商会は

 ドカドカドカドカッ。


 廊下から乱暴な足音が聞こえて来たと思った次の瞬間、朝食を取っていたクラウスとジネットのいる居間に、焦った顔のキュリアクリスが飛び込んできた。


「ふたりとも聞いてくれ」

「……君が勝手に入ってくるのはいつものことだけれど、その形相はどうしたんだ?」


 驚いた様子でクラウスが尋ねる。ジネットもあわてて口の中の食べ物を飲み込んだ。


「おはようございますキュリアクリス様! 一体どうされたのですか?」


 キュリアクリスは走って来たのか、あるいは相当早足だったのか、肩で荒い息をしていた。それから息を整えるため、すぅっと吸い込んで言い放つ。


「――市場から、買い手が消えた」


 と。

 その言葉を聞いた瞬間、すぐさまジネットとクラウスの表情が変わった。真剣そのものの表情でクラウスが問う。


「チューリップか」

「そうだ」


 やっぱり、とジネットが呟く。


「では、これから価格の大暴落が始まるということですね?」

「恐らくそうだ。今市場で真っ青になった人々が手形を抱えて叫んでいる」

「教えてくれ。なぜそんなことに?」


 身を乗り出したクラウスが尋ねると、キュリアクリスが首を振りながら教えてくれた。

 いわく、キュリアクリスはキュリアクリスで、ルセル商会とは別にチューリップ市場の監視をしていたらしい。

 チューリップは通常の市場や商人を介さない販売も多く、そのほとんどが酒場でオークション形式を使って売買されていたのだと言う。

 その白熱ぶりは日に日に勢いを増していったのだが、今朝になって突然、市場から買い手の姿が消えてしまったのだ。


「今朝市場にやってきたのは、チューリップを高く転売しようとしていた売人たちだけ。だがいつもならいる買い手が、皆揃えたかのように消えてしまったんだ。当然希少種ですら高値で売れない。安く買えたと売人が喜んだのも一瞬で、すぐその異常さに気づいて大パニックになったんだ」

「しかしなぜ買い手が急に消えたんだ? 原因は?」


 クラウスの質問に、ジネットも耳を澄ませた。けれどキュリアクリスは「はっきりしたことは何もわからないんだ」と首を振っただけだった。


「色んな噂が錯綜している。一番チューリップに熱狂していた貴族が破産しただの、顧客が全員病気に倒れただの、銀行がチューリップに融資しないと宣言しただの、話がありすぎてどれが真実なのかわからない。ただわかっていることはひとつだけ」


 真剣な瞳でキュリアクリスがふたりを見る。


「チューリップ市場が崩壊したことは間違いない」


 それから流れるしばしの間。

 やがてクラウスがふーっと息を吐きながら、椅子の背もたれにもたれかかった。


「……危なかったね。ジネットの言う通り市場を手放していなかったら、今頃ルセル商会は借金まみれに……いや、下手すると潰れていたかもしれない」


 同じようにふぅっと息をつき、ジネットも胸をなでおろす。


「ほ……本当に危なかったですね……! ここ最近、どういう風に転がっていくのかじりじりした気持ちで見守っていましたが、まさか〝その日〟がこんなにも早くやってくるなんて……」


 すんでのところで危機を乗り越えたことに、ジネットの胸はドキドキとしていた。




 ――あの日、ルセル商会のみんなを呼び出したジネットは、彼らひとりひとりの顔を見ながら、ゆっくりと言った。


「ルセル商会は、これ以上の値上げには応じないことを決めました」


 その発表に、ざわざわっとその場からどよめきが上がる。そばでは事前に話を聞いていたクラウスと、同じく話を聞いていたキュリアクリスが静かに立っていた。


「この決断がどう転ぶかは、正直なところ私にもわかりません。これ以上の値上がりがずっと続くようであれば、私たちはチューリップ市場をすべて失うことになるでしょう。もしかしたらルセル商会は、大きな商機を逃してしまうことになるのかもしれません。それでも、私はこの決断を変える気はありません」


 部屋に響くジネットの声は落ち着き、凛とした響きを持っていた。ルセル商会の仲間たちの視線が静かに、じっとジネットに注がれる。


「ジネットちゃんが決めたことなら反対しないが、なぜそうなったのかだけは教えてくれねぇか」


 古いメンバーの言葉に皆も、そしてジネットもうなずく。


「私が決断したのはみっつ理由があります。ひとつめは皆があまりにも熱中しすぎていたことです」


 ジネットは説明した。


 チューリップが売れるよう、クラウスとともに仕掛けたのは他らぬジネット自身だ。

 大成功してくれたことは嬉しい反面、オーロンド絹布の時と比べて、あまりにも規模が大きくなりすぎたことが気になっていた。

 以前やってきたアリエルが『ばっかみたいよね、たかだか花の球根に三十万クランダーだなんて』と言っていたが、今はさらにその十倍、なんと三百万クランダーにまで値上がりしていたのだ。


(三百万クランダーと言えば、職人の一年分のお給料よ。いくらなんでも上がりすぎだわ)


 オーロンド絹布の時も実は買い占めや転売はあったものの、ここまでではなかった。


(そして今回ここまで話が大きくなったのは……)


 考えながらゆっくりと顔を上げる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ