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第64話 私、ひとつ気づいてしまったことがあるんです

「大丈夫だったのかい? ジネット」


 アリエルが去った後、すぐさま心配そうな顔で戻って来たのはクラウスだ。


「嫌がらせはされなかったか? どこか怪我は」


 なんて言いながらジネットの手を取り、丹念に点検している。


「大丈夫ですよ! アリエルはそんな乱暴な子じゃありませんから。それに……どうやらアリエルも以前とは変わったようです」


 別れ際に微笑んだアリエルの笑顔を思い出しながら、ジネットはふふっと笑った。

 いつも傲慢とも言えるほど強気だったアリエルは、しばらく会わないうちにずいぶんと角がとれ、丸くなっていた。


(それに、私が贈ったチューリップもきっと自分の手で育ててくれたのね。だって手が以前と比べて少し日に焼けていたんだもの。それに爪の間に、少しだけ土も挟まっていた)


 チューリップの栽培は比較的容易で、庭師じゃない普通の人でも十分に育てられる。

 そこもまたチューリップの人気の秘密なのだが、アリエルの変化からして、もしかして自分の手で育ててくれたのかもしれない。


『とっても綺麗なピンク色だったわ』


 そう言ったアリエルは本当に嬉しそうで、そして屈託のない笑みを浮かべていたからだ。


(ふふふ、アリエルをあんな笑顔にするなんて、お花はすごいですね。今までどんな宝石をあげても、あんな笑顔を引き出すことはできなかったのに)


「その様子だと、アリエル嬢には本当にいい変化が起こったようだね? 一体どんな魔法を使ったのやら」


 思い出してニコニコしているジネットを見て、クラウスも何やら微笑んでいる。

 とその時、ジネットはあることに気が付いてハッとした。


「そうだ! クラウス様。私、ひとつ気づいてしまったことがあるんです!」

「気づいたこと?」

「はい! 後ほどキュリアクリス様にも共有いたしますが――」


 言いながら、ジネットはクラウスの耳に囁いた。その内容を聞いたクラウスが「なるほどね」と目を細める。


「君がそう決めたのなら、僕は何も言わないよ。なら皆にも伝えないと」

「はい!」


 言ってふたりは、皆のいる店舗へと向かった。



 ガチャン、とわざと音を立てるようにして、レイラは戦利品を机の上に置いた。居間でちくちくと刺繍をしていたアリエルが、「何?」と目線だけで語り掛けてくる。


「ふふ……ご覧なさいアリエル。あなた言っていたでしょう? もうジネットに頼るような生活はしたくないと。だから私、ちゃんと自分の手で手に入れてきてあげたわよ」


 言いながらレイラは机の上に置いた袋を開けた。

 そこから姿を覗かせたのは、金色に輝く金貨の小山。アリエルが目を丸くする。


「……自分の手って、お母様何をしたの?」


 その声音から感じ取れるのは称賛ではなく、『また騙されているのでは?』という懸念の気持ちだ。気づいたレイラがムッと顔をしかめる。


「私を見くびらないでちょうだい! 今回は騙されているわけじゃないわよ!」


 言いながら、レイラは説明した。

 今や人気すぎて、一攫千金のビジネスと化したチューリップ。レイラはそれを手に入れるため、密かに奔走していたのだ。

 街に繰り出し、情報屋にお金を払い、酒場で〝競り〟が行われていることを突き止めた。


 そこに持ち込まれるチューリップは生産量が少ないなどの事情から、ジネットたち商人とは契約していないものばかり。それでいて花の種類は実に多種多様で、運がよければ人気のパーロット系種や、有名画家の名前をもじったレンブラン種まで幅広く巡り合えるのだと言う。


「なあにそれ。よくわからないけれど危なくないの? しかも球根はその場でもらえないんでしょう?」


 怯えるアリエルに、レイラはまた「わかっていないわね」と笑う。


「別に危なくないわよ。球根は確かにもらえないけど、ジネットも言っていたでしょう? この時期に球根はないって。だから代わりに、ちゃーんと手形を発行してもらっているもの。時期になったこの手形を持って行けば球根と交換してくれるの。そうやってみんな、少しでもいい球根を早めに確保しようとしているのよ」


 言いながらレイラはふふんと誇らしげに鼻を鳴らした。

 この手形のために、レイラはわざわざ護衛をふたり雇い、自分自身も商人に扮して危険な酒場に出向いて行ったのだ。


「そして手形を社交界のご婦人に売って得たお金がこれよ。百万あるわ」


 ぽんぽん、と金貨の小山を叩いてみせると、そこで初めてアリエルの瞳に感嘆の光が宿った。


「お金に変えられたの!?」

「それが今の社交界よ。あなたは知らないかもしれないけれど、みんな憑りつかれたように珍しいチューリップを探しているんだから。どう? 私もなかなかやるでしょう?」


 情報を元にオークションを見つけ、競り落とし、さらにそれを貴族のご婦人に売ってお金に変える。一連の流れをすべて自分ひとりの力でやり遂げたことで、レイラはかつてないぐらいの自信に満ち溢れていた。


 さすがの娘アリエルも、そのすごさに気づいたらしい。


「それは本当にすごいわ! まさかお母様にそんなことができるなんて……!」

「ふふ。本気になればこれくらい簡単よ。ジネットにできるんなら、私にだってできて当然だと思わなくて?」

「そんなことはないと思うけれど……私は数字が苦手だから……。それにお母様、以前商売をやっているお姉様のことを下品だとおっしゃっていなかった?」


 ふたたび怪訝な目でこちらを見てくるアリエルに、レイラはハァとため息をついた。


「しょうがないじゃない。下品でも何でも、ジネットだけいい思いをしているのを指をくわえて見ていろと言うの? だったらあの子の利益をかすめ取ってやった方がよっぽどスカッとするものでしょう!」

「スカッと……。ねえお母様、どうしてお姉様のことをそこまで嫌うの?」


 自分と同じ色の青色の瞳に見つめられて、レイラは一瞬言葉に詰まった。


「……別に理由なんてないわよ。嫌いなものはとにかく嫌いなの」


(そう、別に理由なんてないわ。ただあの能天気で、なんでも自分で解決できるって思っている思い上がった瞳が嫌いなだけ)


 前の夫が死んで婚家を追い出された時、レイラは危うく娼婦に身を落とすところだった。

 もし運よく酔いつぶれたルセル男爵を見つけていなければ、今頃はアリエルともども娼婦の道を辿っていたかもしれない。

 それはレイラに限ったことではなく、若い貴族女性なら皆同じ道を辿る可能性はあった。それぐらい、家に見放された貴族女性は弱いのだ。


 だけどジネットは――。


 考えて、レイラはギッと唇を噛んだ。


(あの子だけ……ずるいのよ! 淑女からかけ離れた粗野で下品なことばかりしているのに、自分だけは男の庇護がなくても生きていけるですって⁉ 私たちがなんのために日々我慢して男を立ててきたと思っているの! ひとりだけそこから逃れようだなんて……見ていてイライラするわ!)


 ――レイラのそれは、はたから見ると〝嫉妬〟や〝八つ当たり〟と呼ばれる類のものだった。けれどレイラはまだそのことには気づかない。


 ぎゅうぅぅっと、親指の色が変わるほど強く手を握りしめてからレイラは颯爽と顔を上げた。


「ともかく、あなたも見ていなさいアリエル! あの子ができるのだったら私だってできるわ! これから希少なチューリップを社交界に売りつけまくって、ひと財産築いてやりますからね。あなたもいつまでも土いじりしていないで、さっさと結婚相手でも見つけてきたらどうなの!」


 その言葉に、アリエルがぷいと顔を逸らす。


「別にいいじゃない。どうせもう少しでお父様が帰ってくるんだから、考えるのはそれからでも」


(まったくこの子は……! まだクラウスのことなんか引きずって!)


 口では悪評が恥ずかしいだのなんだの言っているが、実際のところアリエルはまだクラウスを諦めきれていないのだ。我ながら美しい子を生んだと思っているし引き手も数多だったのに、本人が選びたがらないのならしょうがない。


(それよりも、男爵がもうすぐ帰ってくることの方が大事よ! てっきり死んだものかと思っていたのに、まさか生きてるなんて……。戻って来た時に家やジネットのことを知られたら、今度こそ離縁されるかもしれない)


 男爵は大雑把で温厚な性格だが、娘ジネットのことは間違いなく大事にしているのだ。使用人がいなくなって屋敷が荒れ、さらに最愛の娘までいなくなったと知ったら……。

 想像してレイラはぶるっと震えた。


(せめて家のことだけは元通りにしておかなくちゃ! そのためにもお金が必要なのよ! これっぽっちの金貨じゃ全然足りない!)


 机の上に載せられた金貨をじっとにらみながら、レイラは頭の中で算段をつけた。

 情報屋は抱き込んである。それに、気前のいいパトロンも見つけた。いざとなればルセル商会の名前だって出せるし、自分にだって使える手札は多いのだ。


「ねぇお母様。念のためお伝えしておくけれど、お姉様は危険だから転売はやめた方がいいとおっしゃっていたわよ?」

「転売じゃないわ! 私がやっているのは投資よ! すぐに売るんじゃなくて、値段が上がるのを待っているのだってあるんだから!」


 レイラはそう吠えると、また次の競り情報を得に出かける準備を始めた。


(いける……私ならいけるわ……そうよレイラ、自分を信じなさい……ジネットができるんだもの。私だって前の暮らしを取り戻せるはずよ)


 実際、レイラはうまくやっていた。

 掘り出し物の球根手形を手に入れ、それを社交界の繋がりを使って貴族たちに売りさばく。得たお金でさらに手形を買う。どうしても予算がオーバーしそうな時は、パトロンに少し援助してもらい、後日返す。


 それの繰り返しで、レイラはしばらくの間本当にうまくやっていたのだ。


 ――その日、突然の市場崩壊が訪れるまでは。

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