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第63話 あなたが育てたチューリップは


「アリエル?」


 予想外の人物に、ジネットが目を丸くする。それからすぐにパッと笑顔になったかと思うと、急いで彼女のそばに駆け寄った。


「どうしたの? あなたがここに来るなんて初めてだわ!」


 今までアリエルは、ルセル商会に決して近づこうとはしなかった。

 労働者階級向け商品の多い商会にはアリエルが欲しがるような物は置いていなかったし、そもそも商売していることをずっと気持ち悪がっていたのだ。


「うん……あの……お姉様にちょっと相談したいことがあって……」


 そう歯切れ悪く言ったアリエルに、ジネットが眉をひそめる。


(あら……? アリエルはどうしたのかしら。いつもだったらもっとハキハキとしているのに、今日は歯切れが悪いわ。どこか体調が悪いのかしら)


 おまけに、服装も以前とはだいぶ違う。

 アリエルはずっとピンクが好きで、いつも趣向を凝らした様々なピンクドレスを着こなしていた。そのこだわりは髪飾りから靴先にまで至り、いつどんな時でもふわふわで可憐な姿を保っていたというのに。


(今のアリエルは……なんだか違う人になってしまったみたい……?)


 着ている服はいつも通りピンク色なものの、よく見るとフリルが少しへたれてしまっている。きっと同じ服を何度も洗濯したからなのだろう。それもアリエルには珍しいことだった。彼女は一度着た服は、すぐに侍女に下げ渡してしまうのが常だったのに。

 それに、いつも念入りにくるくるに巻かれた髪も、今は申し訳ない程度に結われているのみ。

 清潔感こそ保たれているものの、身なりにうるさいアリエルとは思えないほど質素な格好をしていた。

 ジネットは後ろを振り向くと、何事かとこちらを見ているクラウスとキュリアクリスに向かって言った。


「あの……申し訳ないのですが、私とアリエルをふたりきりにしてもらってもよいでしょうか?」


 すぐに察したふたりがうなずき、無言で出て行く。

 やがてジネットとアリエルのふたりきりになった部屋で、ジネットはアリエルをソファに座らせた。用意してもらったティーポットからとぽとぽと薄紅色のお茶を注ぐ。


「それで相談とは? もしかしてお義母様に何かあったのですか? それともあなた自身に……!?」


 心配しながら、恐る恐る尋ねる。

 いつも会うなり「お姉様! 私欲しいものがあるの!」と大声で言ってきた今までの彼女が嘘だったように、アリエルは部屋に入ってからもずっと無言だった。

 こんなに大人しい彼女は初めてで、見れば見るほど不安になってくる。

 ジネットがドキドキしているのが伝わったのか、その時になってやっとアリエルは少し照れたように言った。


「ち、違うのよ。別にそんな大したことじゃなくって……ただ、お母様が球根をもらってこいってあんまりうるさいものだから……!」

「球根? ……って、チューリップの?」

「……そうよ」


 言って、アリエルが恥ずかしそうにぷいとそっぽを向く。ジネットは目をぱちぱちとまばたかせた。


(球根をもらいに来ただけなの? 意外だわ。もっと大きなことを頼まれるかと思っていたのに)


 それに前回会いに行った時、義母はチューリップの球根を鼻で笑っていた。それがなぜ急に……と気づいて、ジネットは「あっ」と声を出した。


(そっか! 社交界でブームが起こっているから、お義母様もきっと欲しくなってしまったのね!)


 元々義母もアリエルも、流行には目がない人たちだ。まだジネットがルセル家にいた頃もいち早く最先端の品を手に入れるよう、何度も頼まれた記憶がある。


「でもごめんなさい……。今はまだ時期じゃないから、私たちも現物を持っていないの」


(とは言ってもきっとアリエルに怒られるわね。うーん、ここはなんて対応すべきでしょう……)


 義母にもアリエルにも「できない」は通用しなかった。

 どんな理由があれ、「入手できない」というのはつまり、ふたりにとってはジネットの無能が原因なのだ。

 けれど、そこでもまた予想外のことが起きた。


「そう……なの。時期じゃないのなら……仕方ないわよね……」


 と、アリエルがなぜか怒る様子もなく、うなずいてしまったのだ。

 これにはさすがのジネットもあわてた。


「あの……アリエル? あなた本当に大丈夫……?」


 心配になり、思わず手を伸ばしてアリエルの額にぺたりとくっつける。


「ちょっ、やめてよ! 私は大丈夫ですわ!」


 その時にようやくいつものアリエルらしさが戻って、ジネットはホッとした。

 様子を観察されていることに気づいたのだろう。アリエルが照れを隠すように、つっけんどんに言う。


「……私も本当は嫌だったんだけれど、お母様がどうしてももらってこいって言ったのよ」


 それを聞きながらうんうん、とわかったようにジネットがうなずく。


「社交界のみならず、今この国全体でチューリップブームになっていますからね! 入手困難だと聞きますし、それでもあの美しいお花を飾りたいという気持ちは痛いほどわか――」

「そうじゃないわ」


 けれどジネットの言葉が終わる前に、アリエルはばっさりと切った。


「えっ違うんですか」


 驚くジネットに、アリエルが「わかってないわね」とフンと鼻息荒く言う。


「お母様はチューリップになんか興味ないわ。お母様はただ、チューリップを転売してお金を稼ぎたいだけよ」

「チューリップを……転売……?」

「ええ。なんでも儲かるんですって。この間お姉様にもらったチューリップだってお母様が売り払ってしまったわ。ばっかみたいよね、たかだか花の球根に三十万クランダーだなんて」


 そう言ったアリエルの顔は怒っていたが、同時にどこか傷ついているようにも見えた。


「そりゃあ、確かに綺麗なお花だと思うわよ? でもそれだけのためにあちこちで奪い合って、それだけじゃ足りなくて盗みまでって……異常よ」


(あら! 盗みが異常だなんて……アリエルは以前からずいぶん変わってしまいましたね!?)


 確かに、巷ではチューリップ泥棒が多発している。

 国内で新たに栽培されているチューリップを盗む者があまりに多く、チューリップ畑専門の警備員が雇われるほどなのだ。

 けれどルセル家にいた頃、ジネットの髪飾りなどを盗んでいったのは他らぬアリエル自身。

 てっきり彼女は何も気にしていないのかと思っていたのだが……。

 そんなジネットの視線に気づいたのだろう。頬を赤くしたアリエルが、あわてて否定する。


「わ、私だってダメなことはダメってちゃんとわかってるつもりよ! もちろん、そもそもやるなって話なんだけど……」


 もごもごと、気まずげに言い訳する。ジネットは微笑んだ。


「ふふ、いいんですよアリエル。あなたがちゃんとした考えを持っていてほっとしました! では、今こそちゃんと謝ってくれますか!」

「えっ」


 ジネットの言葉に、アリエルが驚いた表情をする。その顔には「今謝らなくちゃダメ……?」と書かれていた。


「過去のことでも、悪いことは悪いことですからね! さぁどうぞ!」


 うながされて、アリエルはうぐぐ……と顔をしかめた。それから散々うめいたのちに、ジネットから目を逸らしつつも、蚊の鳴くような小さな声で言う。


「その……い、今まで……ご…………ごめん……なさい……」

「はい! 許します!」


 この話はこれでおしまい、とばかりに、ジネットはパンッと明るく手を叩いた。


「え? ほ、本当にこれでいいの?」

「? もちろんですよ。だってあなたはちゃんと謝ってくれましたからね。これですべて水に流しましょう。あ、もちろん物は返してくれると嬉しいのだけれど!」


 どれも思い出がある品ですからね! と言うと、意外にもアリエルは大人しくうなずいた。


「それよりさっきも言ったけれど、チューリップの球根は現物がないし、当分アリエルたちと言えどあげられそうにないんです」


 再度ジネットが説明すると、今度はどこかすっきりとしたような顔でアリエルは首を横に振った。


「大丈夫よ。お母様にはこの時期現物はないって言えばいいんでしょう?」

「はい! あ、あと今はチューリップの転売もおすすめしません! 素人が手を出すにはややリスクが高いと思うんです……!」

「わかった。それも伝えるわ」


 言ってアリエルがすくっと立ち上がる。ジネットもそれに続くと、扉のところまでアリエルを見送った。


 それから彼女が立ち去る寸前、声をかける。


「アリエル」

「何」

「あなたが育てたチューリップ……綺麗な色をしていた?」


 そう聞くと、アリエルは一瞬立ち止まったのち、ニカッと令嬢らしくない笑みを浮かべて言った。


「とっても綺麗なピンク色だったわ」


 と。

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