第59話 でもそのチューリップは、私のよ……?(アリエル視点)
「アリエル! アリエル! どこにいるの!?」
アリエルが庭にしゃがみこんで作業をしていると、母レイラの声が聞こえた。どうやら自分を探しているらしい。
アリエルは作業を中断すると、家の中にいる母親に向かって大声で叫んだ。
「私はここよ、お母様!」
その声を聞きつけた母がいそいそと家の中から駆け出してくる。もちろんその手には日傘を持っていた。
「お母様、一体どうなさいましたの?」
言いながら、アリエルはぱんぱんと手袋をつけた手をはたいた。たちまち土ぼこりが辺りに舞い、母がウッと顔をしかめる。
「ちょっと! 何なんですのその格好は! 淑女らしくないわよ!」
「あっ」
指摘されて、アリエルは自分の格好を見下ろした。
日よけの大きな麦わら帽子に、髪は汚れないよう後ろでひとくくり。ドレスの上には土避けのエプロンをつけ、手袋をつけた手にはスコップを持っている。
「鼻の頭にまで土がついている!」
嫌そうに言われて、アリエルはあわてて手の甲でごしごしとこすった。
「ごめんなさい、チューリップの球根を掘っていたから……。でも見てお母様! ギルバートの言う通りにしたら、本当にもう一度球根がとれたのよ!」
なんて言いながら、アリエルは無邪気に小さな球根を差し出した。それは義姉のジネットにもらった球根でもあった。
――アリエルは球根をもらってすぐ、家令のギルバートに花の世話を押し付けていた。それが今自分で掘り起こしていたのには理由がある。
実はいつからか、アリエルがジネットをいじめていたことが社交界で噂されるようになってしまったのだ。
そのせいでアリエルへの求婚は激減。
さらに舞踏会に出ると、かつてのジネットのように、今度はアリエルがくすくすと笑われるようになっていた。『優しくしてくれた義姉をいじめた悪女だ』と。
大方、令嬢たちの暇つぶしの使われていることは想像がついたのだが、ジネットと違ってアリエルのそれは全部事実。
自業自得すぎるがゆえに肩身が狭く、また居心地も悪く、気づけばアリエルは逃げるようにして社交界とのかかわりを絶ってしまったのだ。
けれど、家の中ではあいかわらず母が毎日イライラしていて居心地が悪かったし、刺繍やピアノも飽きてしまった。
その結果あまりに暇を持て余したアリエルは、自らの手で花に水をやり始めたのだ。
ギルバートに教わりながらせっせとお世話を続けたところ、チューリップはそれはそれは見事な花を咲かせたのだ。
咲いたのは、アリエルの大好きなピンクと白が淡く入り混じる、幻想的で可愛い花。
初めて開花したその花を見た時、アリエルは感動にしばらく立ち尽くしていた。初めて自分の手で咲かせた花ということも大きかったかもしれない。
今まで花なんて少しでも萎れればさっさと捨てていたのに、このチューリップだけは風や虫にやられないよう毎日様子を見てまめまめしく世話をしていたのだ。
その上ギルバートいわく、もう一度この球根を植えることで、来年もまたこの花に会えるらしい。
それを知ってから、アリエルにとってはこの花が唯一の楽しみになっていた。
「ふぅん? この土くれみたいなのが球根なの? これを植えると、またチューリップが生えてくるということ?」
「そうよ! すごいでしょう!」
アリエルは目をきらきらと輝かせながら説明した。
チューリップはただ花を咲かせて球根を掘るだけじゃだめなこと。事前に花を摘み取ってから球根に栄養を与えて太らせる必要があること。これらは全部、ギルバートから教わったことだ。
(最初は土に触るなんて汚いと思っていたけれど、触ってみたら意外とおもしろかったのよね。ま、一番は暇だったからというのもあるのだけれど)
母は「ふぅん……」と興味なさそうに聞いていたが、アリエルは構わず喋り続けた。
「花が咲いた時の感動ってすごいのよ! 植物って生きているんだなって思ったもの。次はぜひお母様もご一緒に! きっといい気晴らしになると思うの!」
「そうね。考えておくわ」
言って、母はアリエルが持っていた球根をひょいと摘まみ上げた。それを見たアリエルは、てっきり母が球根に興味を持ってくれたのかと思った。
けれど――。
「ま、でもあなたがそんなに言うのなら、きっとこの球根を使えばチューリップが育つのでしょう? よくやったわアリエル。これは家のためにもらっていくわね」
「はい……えっ?」
(もらっていく、って……?)
とっさのことに、アリエルの思考が止まる。母は満足そうに続けた。
「今チューリップの球根はとんでもない値で売られているそうよ。あなたがもらったのは、ジネットが売っている〈スペルヴァンホーデン〉でしょう? その球根には信じられないことに、最安値でも三十万クランダーの値がつくらしいのよ。笑っちゃうでしょう? こんなただの球根が、宝石よりも高いだなんて」
くつくつと、レイラは楽しそうに笑った。
(えっ。お母様、もしかしてこれを売ろうと思っていらっしゃるの……?)
母が何をしようとしているのか思い当たって、アリエルは戸惑いながらも主張してみた。
「あの、お母様? でもそのチューリップは、私のよ……?」
けれどアリエルがそう言うと、母レイラはわざとらしいほど大きく「はぁ」とため息をついた。
その仕草にアリエルがびくりと震える。
――ジネットがいる時は、アリエルは母と一緒になってジネットを攻撃することで災難を逃れてきたのだが、元々母レイラは気が荒いのだ。
ジネットがいなくなってから、アリエルは母から八つ当たりをされることがぐんと増えた。特に最近はずっとイライラしているため、少しでも怒らせないよう常に機嫌を伺っていたのだが……。
冷たい青い瞳にじろりとねめつけられて、アリエルはびくっと肩をすくめる。
「アリエル……。あなたわたくしに口答えするつもり? そもそもあなたがいい縁談相手を見つけてこないから、わたくしがお金を工面するはめになっているのでしょう!? 男爵は生きているらしいけれど全然戻ってこないし、我が家の財布はあいかわらず忌ま忌ましいギルバートが握ったままだし! 文句があるならお金持ちの結婚相手でも捕まえてきなさい!」
「ごめんなさい……」
アリエルはしゅんとなって謝った。その様子に、母が満足そうに鼻を鳴らす。
「そういうわけだから、この球根はもらっていくわよ」
「で、でも……どうしてもそれを売らないとだめかしら? 私の宝石はどう? 私、その球根がもう一回咲くのを楽しみにしていて……」
「アリエル」
氷のような冷たい声だった。
心臓をぎゅっと握られたような気がして、アリエルの細い首筋を冷や汗が伝う。
「これを売ることで、あなたはようやく家の役に立てるのよ。わかる? だからこれを売るわ。いいわね?」
そう言って母は微笑んだが、その瞳はちっとも笑っていなかった。
「は、い……」
拒否を許さない母の眼差しに、アリエルはうつむいた。
確かに、アリエルは今までほとんど家の役に立ってきてはいない。
ジネットのように家にお金を入れることもなければ、悪評が広まってしまったせいで、求婚者もほとんどいなくなってしまった。そもそもクラウス以外の求婚を受け入れるなんて考えられないし、このままだと嫁ぎ後れになりかねないのは自分でもわかっている。
そんな中で、あの小さな球根が母の助けになると言うのなら。
(……そうよね。私の花が役に立つのなら喜ぶべきよね……)
そう思いながら、アリエルはいつまでもいつまでも、じっと空っぽになった花壇を見ていたのだった。
今年も1年ありがとうございました!これが年内最後の更新となります(次の更新はいつも通り木曜日です)