第6話 一体どういうことですか!?(クラウス視点)
「――なんだって? ジネットがいないとは、どういうことですか?」
通されたルセル家の応接間で、夫人の言葉を聞いたクラウスがぴくりと眉を震わせた。
普段声を荒げたりせず、それどころか微笑み以外を見せたことのないクラウスの切迫した表情に、夫人だけではなくアリエルも目を丸くする。
「ルセル卿が行方不明になったと聞いて留学先から飛んで来たのに、まさか彼女まで消えてしまうなんて……!」
額を押さえるクラウスに、あわてた様子のルセル夫人が猫なで声で話しかけた。
「そ、そんなに心配しなくても大丈夫ですわ。だってあの子、自分から出ていくって言ったんですもの。ねえ? アリエル」
「そうですわクラウス様。それにお姉様は令嬢なのに商売などと、殿方の真似事ばかり。心配などしなくても、どこかで図太く生きているに決まっています」
その言葉に、クラウスの瞳がギラッと光る。
――彼は普段、“聖人”などと呼ばれるほど穏やかだが、それは外向けの顔。
本当は、皆が思っているよりもずっと苛烈なことを腹の中で考えていた。
(父親が行方不明になったばかりなのに、彼女がみずから出て行っただと? たとえそれが事実だとしても……そこには、必ずこの女たちが噛んでいるはずだ)
だが、それは彼の推測であり何も証拠はない。
噛みつきそうになるのを、クラウスはぐっとこらえる。
「……それで、ジネットの行き先は?」
「さあ? わたくしにはさっぱり……。おおかた、親戚の家にでも行っているのではなくて?」
「お姉様ったら、全然お友達がいらっしゃらないから」
くすくすと笑うふたりを前に、クラウスは声を荒げないよう必死に自分を抑え込んでいた。
(……今すぐこの性悪たちを再起不能なぐらいまでに罵ってやりたいが、万が一ジネットの命が握られていたら取り返しのつかないことになる。ここは慎重に行かないと……)
クラウスはなんとか呼吸を整えると、無言で立ち上がった。
そんな彼の本音にはまったく気づかずに、ルセル夫人があわてて声をかけてくる。
「あっ! お待ちをクラウス様! ジネットはルセル家を出てしまったので、あなたとの婚約を解消しようと思っているんですの」
その言葉に便乗するように、頬を赤らめたアリエルも高い声で続く。
「そして代わりに、わ、私と婚約を――!」
「失礼。急いでいるもので」
そんなふたりの言葉を、クラウスは乱暴に切った。
「えっ!?」
「クラウス様!?」
何やら騒ぎ立てているふたりを振り返ることなく、クラウスがさっさと部屋を後にする。
普段の彼なら絶対にそんな失礼な行動はとらないのだが、今は別。なぜなら、ジネットのことが心配で心配で、胸が張り裂けそうだったのだ。
クラウスは馬車に乗り込むと、ぎゅっと拳を握った。
(ああ、頼む……ジネット、どうか無事でいてくれ)
――ジネット・ルセル男爵令嬢は、控えめに言ってクラウスの天使だった。
沈みゆく夕日を思わせる赤髪に、緑がかった神秘的なグレーの瞳。丸い大きな目はいつもキラキラと輝き、愛らしい顔立ちは妖精のよう。
そんなふたりの出会いは、招待されたルセル家のティーパーティーだった。
(最初はひたすらに化粧の濃い、変な子だと思っていたが、とんでもない。ジネットほど賢く強く、美しい女性はどこにもいない……!)
出会った時のジネットは、十三歳だというのに道化のような化粧をしていた。
目のまわりにぐるりと乗せられた濃いアイシャドウに、塗りたくった頬紅、不自然なほど真っ赤な唇。
あまりにけばけばしい姿にクラウスはぎょっとしたが、自分の婚姻にギヴァルシュ伯爵家の命運がかかっていると知っていたので何も言わなかった。
(他の令嬢同様、紳士に接すればいいだけ)
そう思っていたクラウスに変化が訪れたのは、どこぞのお茶会の庭で令息たちに囲まれた時だった。
「――おいクラウス。お前、あの“成金ルセル”に身売りしたんだろう?」
にやにやと、侮蔑の態度を隠しもしないで一番前に立つ令息が言う。クラウスは顔に穏やかな笑みを浮かべたまま、ちらりと見た。
(やれやれ……令嬢たちを撒けたと思ったら、今度は彼らか)
目の前に立つのは、寄宿学校時代一緒だった令息たちだ。
彼らは成績、教師たちからの評判、令嬢たちからの人気など、何ひとつとしてクラウスに敵わないのが気に食わないらしく、ことあるごとに突っかかってきていた。
「よかったなあ。そのお綺麗な顔を買ってもらえて」
「それともあれか? 娘との婚約は建前で、実際はルセル男爵にかわいがられているのか?」
下品すぎる発言に、ドッと令息たちが笑い出す。クラウスはため息をついた。
「ルセル男爵は立派な人だ。誹謗中傷はよしてくれ」
それから冷たい瞳でちら、と彼らを見る。
(僕に構う暇があるのなら、彼らも家の役に立つことをひとつぐらいすればいいのに……)
確かにクラウスは、ギヴァルシュ伯爵家のために身売りしたと言われても仕方がない状況で婚約した。
だがそれはクラウスの外見や能力をルセル男爵が評価してくれたからこそであり、自分が家を救えたことを誇りに思っている。
(彼らはきっと、思い出の品を二束三文で売らなきゃいけない苦しみを知らないのだろう。……羨ましいことだな)
母が毎日弾いていたピアノを、見知らぬ人たちが運び出していく悲しさ。給金が払えなくて、次々と使用人たちがいなくなっていく寂しさ。そして住み慣れた家を追い出されるかもしれない恐怖。
それらを思い出しながら、クラウスは静かに彼らを見ていた。
(……でも、わざわざ自分の苦労を語る気も、わかってもらう気もない)
それに、この手の輩には何を言っても無駄だ。
適当にやり過ごそうと、クラウスが口を開きかけたその時だった。
ガサガサガサッ! と音がして、生け垣から、頭に大量の葉っぱをくっつけた令嬢が飛び出してきたのだ。
「クラウス様を、悪く言わないでください!!!」
真っ赤な髪を振り乱しながら叫んだのは、クラウスの婚約者であるジネットだった。