第56話 機は熟しました!
翌日。ルセル商会のお店に立ったジネットは従業員たちが見守る中、朗々と声を張り上げた。
「皆様! 機も熟しましたし、いよいよこの子たちの出番です!」
そう言って高々と抱え上げたのは、木でできた簡素な額縁だ。
複雑な模様は何も入っておらず、ただ木枠を組み立てただけの代物。
ただし一か所だけ他と違うのは、額縁自体が自立するよう、取り外し可能なスタンドの板がついていることだった。
「うちの会長、今度は何をする気なんだ?」
と楽しそうな様子で見守っているのは、キュリアクリスだ。その隣ではクラウスがどこか誇らしげにふふふと微笑んでいる。
「おや? まさか君はまだ教えてもらっていないのかい? 僕はひと足先にこの間教えてもらったけど、なかなかいい案だと思っているよ」
その自慢げな物言いに、キュリアクリスがイラッとした顔をした。
「そうかそうか。……で、クラウス。お前、なぜルセル商会にずっといるんだ? マセウス商会と違って、ルセル商会にお前はなんの関係もないだろう」
怪訝な顔をするキュリアクリスに、クラウスは露骨に驚いた顔をしてみせた。
「関係ない? まさか。ルセル商会はジネットにとって宝だろう? ならば僕も、愛しい婚約者の宝を守るために奔走するまでさ」
「……そうかい。ところでお前、領主の仕事やマセウス商会の仕事はどうしているんだ」
「もちろんこなした上で来ているとも。僕抜きでは進められない案件は早々に片づけているし、ギヴァルシュ伯爵家は最近義母殿のおかげで人材が潤ったからね。任せられる仕事はすべて彼らに任せているんだ。皆優秀で助かる」
ふふふ、とクラウスが満足げに微笑んでいる前では、ジネットが両手を上げて堂々と開店宣言をしたところだった。
「さぁ! お店を開けましょう!」
明るい声とともに、店の扉が開け放たれた。すぐさま並んでいた客たちが一斉に中に入ってくる。皆噂を聞きつけて、朝早くから待機していたのだ。
「ねえ、チューリップにぴったりな新商品が発売されたって聞いたんだけど、何なんだい!?」
「手に持っているそれが新商品?」
「はい! こちらが今日の新商品でございます。皆様ごらんください!」
皆の注目を集めるように言ってから、ジネットはそばに控えていたサラに向かってうなずいてみせた。
すぐにサラが、奥に隠してあった植木鉢を取ってくる。
そこに咲いているのは、一輪の赤いチューリップだ。
「それが一体……?」
という疑問の声が上がる中、ジネットとサラは互いにうなずき合った。
まず、店の中央に置いてある机の上に、ジネットが持っていた額縁を立てる。
そしてその額縁の中に収まるように、サラがことりと植木鉢を置くと……。
「……ん!? なんだか、チューリップの絵みたいだな!」
それは声を上げた男性の言う通り、チューリップの植木鉢が立体的な絵のように見えていた。
気づいた人々が「本当だ!」と声を上げる。ジネットは笑顔でうなずいた。
「見ての通り簡素な額縁ではありますが、この額縁をつけるだけで、まるで絵画を飾ったような気分を味わえるんです。もちろん、もっと豪華なものが欲しい方向けの額縁も用意しています!」
ジネットの言葉に、待機していた従業員たちが一斉に額縁を取り出した。
それは清潔感あふれる白い額縁に、複雑な模様が彫り込まれた美しい額縁。高級感のある金色の額縁など、予算に合わせて選べる様々なものがあった。
「絵画か……。ジネット嬢も考えたね」
感心したように言ったのはキュリアクリスだ。
「へぇ、すごい! じゃあ、あたしんちにも、絵画みたいに飾れるってことなのかい!?」
「値段も思っていたよりずっと安いぞ! これなら買えるな……!」
客たちが値札を見てざわめき出す。ジネットは満足げに微笑んだ。
チューリップが開花しだしてから、画家たちは示し合わせたように一斉にチューリップの絵を描き始めた。貴族の肖像画に描かれるのはもれなくチューリップだし、巷で一番リクエストが多いのはチューリップ畑を描いた風景画。
けれど時間をかけて精密に描かれる絵画は、労働者階級にはなかなか手が出せない高級品だ。
そこでジネットが考えたのがこの額縁だった。
作りを極力簡素にして作る手間を短縮し、大量生産を可能にすることで価格を抑える。そのおかげで、チューリップの球根ひとつを買うのがやっとの人であっても手が届く値となった。
さらにジネット発案のこの額縁を使えば、本物のチューリップが一輪あるだけでその場を絵画のように演出できる。
お金はない。けれどチューリップを楽しみたい! という人のために作られた額縁だったのだ。
そんなジネットの気遣いは、すぐさま歓喜とともに受け入れられた。
「これ、ひとつおくれ! ううん、ふたつだ! お隣さんにも持って行ってあげたいんだ!」
「せっかくだから、もうちょっとだけいい額縁を買おうかな。だってこれ、花と違って枯れないからずっと使えるだろう?」
「はい! では皆様、欲しい額縁の係の前にお立ちください! ご案内いたします!」