第55話 大事なのは
人々の待ち望んでいたチューリップがついに開花の時期を迎えると、街はまさに花が咲いたように、チューリップの話題一色になっていた。
「クリスティーヌ様! あちらのお庭に並んだ色とりどりのチューリップ! まるでおとぎの国のようですわ!」
「ありがとう。私もこんなに華やかなお庭は初めてよ」
ふふふ、と嬉しそうに微笑んでいるのはクリスティーヌ夫人だ。
ジネットは彼女のサロンに招待され、何人かのご夫人や令嬢方たちと一緒に、庭に咲いたチューリップを愛でる会に参加していたのだ。
「そういえば皆様、バルリエ子爵家にはもう伺いまして? 何やらすごいとお聞きしましたわ」
クリスティーヌ夫人が言うとと、すぐさま違うご夫人がパッと顔を輝かせて身を乗り出す。
「わたくし、行きましたわ! お庭に並ぶのは一面ピンクのチューリップでしたの!」
「まあ、一面ピンクなのですか? それはすごいですわね」
「品種は〈スペルヴァンホーデン〉ではないのらしいですが、それでも全部ピンクを揃えるためにはお金も労力もかかったでしょうね」
「そういえばエドモンドおじ様が取り扱っているチューリップはピンクが多いとお聞きしました」
エドモンドおじ様はジネットと仲良しの商人であり、エドモンド商会長でもある。
ジネットがチューリップを売り出すやいなや、エドモンド商会長に限らず、嗅覚の鋭い商人たちがこぞって真似しだしたのだ。ちなみに真似や後追いは商売に付き物であり、別段怒ることでもない、とジネットは思っている。
(大事なのは真似だけにとどまらず、いかに『自分たちだけの付加価値』をつけられるか、だもの)
真似だけでもそこそこの利益を得ることは可能だが、そこからさらに一段階突き抜けるためには『自分たちだけの付加価値』――つまり特色が欠かせないからだ。
「色を揃えるのもお洒落ですわよね。バルリエ子爵家は今まであまり目立ったお家ではありませんでしたが、最近はチューリップ目当ての訪問が殺到しているみたいで、一気に知名度を上げたようですわ」
その言葉に、他のご夫人もうんうんとうなずく。
「あら! バルリエ子爵家だけではないですわよ。パスマール男爵家ではどうやら世にも珍しい一輪を引き当てたらしくて、チューリップはその一輪しかないのに、やっぱり訪問客が殺到しているのですって」
「パスマール男爵家? 一体どんなお花を引き当てたんですの?」
「それが聞いてびっくりですの、なんと花びらが特殊なんですって! 色は淡いピンクなのですが、花びらが普通のものと違って、フリルのように白くてふわふわなんだとか!」
「フリル? 花びらがですの?」
その後もキャアキャアと、夫人たちの談笑は止まらない。クリスティーヌ夫人のティーサロンはいつもにぎやかだが、今回は特に盛り上がっていた。
「それって本当にチューリップなんですの? ジネット様はどう思われます?」
「とても珍しいですが、フリンジ咲きと呼ばれるチューリップの一種なのかもしれません。男爵はそれを引き当てたのですね!」
ジネットが存在を認めると、きゃあ! と声が上がる。
その時、皆表面上は品よくニコニコと微笑んでいたが、どのご夫人の目も、「欲しい」という欲望の炎が宿っていたのをジネットは見逃さなかった。
その中で本物の余裕を宿したクリスティーヌ夫人がおっとりと言う。
「来年の今頃はさらにすごいことになっていそうねぇ。既に球根の時から予約がいっぱいなのでしょう?」
「はい、大変ありがたいことに……! 今仕入れを増やせないか駆けずり回っているのですが、やっぱり競争率が高くって。正直今の仕入れ数を維持するだけで精一杯です」
そうなの!? という驚きの声に、ジネットはまたうなずいてみせる。
春が近づくにつれて、チューリップ熱は少しずつ高まって来た。そして開花と同時に、爆発するように街で話題になったのだ。
それに釣られるように、あちこちで商人の動きがどんどん活発化しているのだ。
自分たちのところで大掛かりな栽培を試みようとするもの、未開拓の地にチューリップを求めて探し回るもの、そして他の商会から仕入れ先の引き抜きを試みる者。
キュリアクリスはパキラ皇国の第一皇子のため、さすがに出し抜こうとする者はまだ少ないようだが、そうでない商会ではあちこちで球根の値段が吊り上げられているという。
「じゃあなんとしてでも今のうちから手にいれないと! ジネット様、どうかわたくしたちのよしみで、球根を確保してちょうだいね!」
「わたくしも! 『あの家はチューリップなしだ』と笑われたくないですもの!」
ワッと一斉にすがりつかれて、ジネットはあわてた。
「大丈夫ですよ! ご注文いただいた分は、必ず確保いたしますので! それと……明日からルセル商会ではチューリップにぴったりなとあるものを販売いたしますので、皆様ぜひお見逃しなく!」
「あるもの? って一体何ですの?」
夫人たちが一斉に首をかしげる中、ジネットはふふふと笑いながら言った。
「それは――額縁です」