第52話 お姉様って本当に変な人(アリエル視点)
(きっとお母様に言ってもわかってもらえないだろうけれど……)
だって母のジネットに対する執着は、少し異常だ。
同世代のアリエルと違って恋の競争相手でもないし、何かを取られたわけでもないのに、自分よりよっぽど気にしている。
(どうせもう少しでお義父様が帰ってくるんだから、そっちを気にすればいいのに……)
理解できない母の行動に、アリエルが再度ハァとため息をついた時だった。
コンコンコン、とノックがしたかと思うと家令のギルバートが入って来たのだ。
「奥様。ジネットお嬢様がいらしています。話があるとのことなので応接間にお通ししました」
「ジネットが!?」
途端に、母レイラが険しい顔で立ち上がる。
(お姉様が?)
アリエルも急いで立ち上がると、闘牛のようにものすごい勢いでのしのしと歩いて行く母の後に急いで続いた。
「おふたりとも、ご無沙汰しています」
応接間にいたジネットは、アリエルたちを見るなりパッと微笑んだ。
その顔は明るく元気そのもので、家にいた頃とまったく変わらない。
(お姉様もお姉様で本当、よく来れたものよね)
暴力こそ振るわなかったけれど、アリエルは母レイラと一緒になって、ジネットのことをネチネチネチネチネチネチといじめてきた自覚がある。
普通の令嬢だったら、いや、アリエル自身がそんなことをされていたら、きっと実家なんて見るのも嫌になるだろう。ましてやいじめてきた張本人に笑顔を向けるなんて、絶対にできない。
(やっぱりお姉様って相当おかしいわ。それとも何か狙っているのかしら?)
じぃっと疑いの目を向けてはみたものの、すぐさまジネット本人にはこれっぽっちも企みがないことも知っていた。
いつだってこのまっすぐで愚直な義姉は、アリエルたちを傷つけやろうと思って何かをやったことはないのだ。……よかれと思って言ったことが結果的に大暴露になったことはあるが。
「一体なんの用かしら!? ここはもうあなたの家ではないはずだけれど!」
ツンと、顎をそびやかして母レイラが言う。その声はイライラしながらも同時にどこか勝ち誇ったような響きを持っていた。
そのことに気づいて、アリエルは眉をひそめた。
(気のせいかしら。お母様、どこか楽しんでない?)
「いえ、最近お義母様たちがどこの催しにも出席していらっしゃらないという話を聞いたので、どうしたのだろうと思いまして」
そう言ったジネットの顔は、本当に心配しているように見えた。
「そんなこと、あなたに心配される筋合いはないわ。私たちだって、毎回催しに参加するほど暇じゃなくってよ」
(本当は暇で暇でしょうがないんだけれどね……)
口には出せないが、心の中で呟くぐらいはいいだろう。アリエルがそんなことを考えていると、母がふんと鼻を鳴らして、なぜか勝ち誇ったように言う。
「ジネット。あなたは最近ちやほやされて勘違いしているようだから言っておくけれど、身の程はちゃんとわきまえておくことね! でないと痛い目を見るわよ! 私がそれをあなたにわからせてあげる!」
それを聞いて、アリエルは丸くした。
(驚いた! お母様、何やらずっと考えているなと思ったけれど、もしかしてずっとお姉様を"わからせる”方法でも考えていたの!? ……お母様も本当に全然めげないのね……)
アリエルの方はもうとっくに、ジネットに対する執着など捨てているというのに。
「そう……ですよね! ご忠告ありがとうございます!」
ジネットはジネットで、母の言葉を馬鹿正直に真正面から受け止めてしまったらしい。
「ごめんなさい、私がお義母様たちの心配するなんて差し出がましいことでした! またお父様のことでも何かわかったら、ご連絡いたしますね! ……あ、あとこれを」
言いながらグッと両手を握ったジネットは、そこで何かを思い出したらしい。
そばに置いてあった四角い箱を手に取ると、机の上に載せた。
(何が入っているのかしら?)
さすがの母も物には釣られるようで、ツンとした態度を続けながらも、目はしっかりと箱に釘付けになっている。アリエルも興味を惹かれて、顔を近づけた。
「もうすぐルセル商会で売り出す新商品なんです。ありがたいことに予約をたくさんいただけたので、売り切れになる前にひとつだけ持ってきました」
言いながら、ジネットはぱかっと箱を開けた。
すぐさま目を輝かせた母がワクワクしながら箱の中を覗き込み――そしてがっかりしたようにふんと鼻を鳴らした。
「何なのそれ。汚らしい」
箱の中から出てきたのは小さな植木鉢と、野菜のようにまるっこい何かだった。
(玉ねぎかしら?)
見た瞬間出てきた感想はそれだった。以前お菓子をもらいに行った厨房でちらりと見た玉ねぎと、目の前のそれはよく似ていたのだ。
「これはチューリップの球根です。チューリップはとても綺麗な花なんですよ!」
言いながら、さらにポケットの中からハンカチに包まれた花を取り出す。
それは今まで見たことがないほど鮮やかで、そして大きな花びらをした花だった。
「このお花はパキラ皇国の宮殿で咲いているお花なんです! とても希少で、そしてとても綺麗なお花が咲くんですよ!」
「いらないわ」
興奮気味に語るジネットをバッサリと切り捨てるように母は言った。母は既に球根から興味を失っており、めんどくさそうに窓の外を見ている。
「そんな汚らしい土くれ、さっさと持って帰ってちょうだい」
「そうですか……。とても綺麗なのですが、お気に召していただけないのならしょうがないですね」
レイラの冷たい言葉にジネットが両眉の端を下げながら、球根を箱の中に戻そうとする。
それを見たアリエルは、気づいたら口走っていた。
「それ、私がもらうわ」
アリエルの言葉にレイラが眉間に皺をよせ、ジネットの顔がパッと輝く。
「もらってくれるのですか!?」
その瞬間、緑がかった灰色の瞳が太陽の光を受けてキラキラッと光った。
ジネットの眼差しを直に浴びて、アリエルの息が一瞬止まる。
(お姉様って、こんなに綺麗な方でしたっけ……?)
父が失踪する前、ジネットはいつ見ても埃にまみれていた。
家の掃除や雑用、商売に使うための道具やら何やらで髪を振り乱して、そして時々化粧した時も母レイラの指示でとんでもない厚化粧をされて。
(この間舞踏会で見かけた時は、ドレスのおかげでいつもより綺麗に見えているかと思ったのだけれど……)
今、ジネットは特別めかしこんだわけでも、美しいドレスを纏っているわけでもないのに、内側から輝くような美しさを放っていた。
つややかな赤毛はやわらかなカーブを描き、大きな瞳には生き生きとした活気が宿っている。鼻だって唇だって、よく見るとアリエルに負けず劣らず綺麗な形を描いていた。
(……ま、まあ? それでも私の方が綺麗だけれど?)
コホン、と咳払いしてから、アリエルは気を取り直して言った。
「別に深い意味はないわよ? どうせ暇だし、パキラ皇国の宮殿の花とやらを、植えるだけ植えてもいいかなって? 世話は使用人たちがやってくれるだろうし?」
「うん、うん! とても素敵です! 世話の方法は後で私からギルバートに伝えますね!」
少し気恥ずかしくなって言い訳を重ねるアリエルに、ジネットは嬉しそうな顔でうなずいている。
(球根を植える、たったそれだけのことでこんなに喜ぶなんて、お姉様って本当に変な人……)
顔をしかめながら、アリエルはその植木鉢をしっかりと受け取ったのだった。
いつの間にか気が付けば隠れ才女2巻発売まであと一週間と一日……!
バタバタしていて告知全然できていないのですが、
12/7からしばらくの間毎日更新予定です!