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第51話 私だけひとりで何しているんだろ(アリエル視点)

 そんな会話がされていたとは夢にも思っていないであろう、あくる日のルセル家では。

 お日様の光が燦々と差し込む居間で、アリエルが針を持ってちくちくと刺繍をしていた。

 一方斜め前のソファに座っている母レイラは不機嫌で、今日も頬に手をついたままぶすりと窓の外をにらんでいる。


 ――ルセル商会の権利書をジネットに買い戻されて以来、母はずっとああなのだった。


「……お母様。今日はいいお天気よ。たまには気晴らしにお散歩でも行ってきたら?」


 けれど、しばらく待ってみても返事は返ってこない。

 アリエルは再度声をかけた。


「ねえお母様、散歩が嫌ならお買い物はどう? 以前はよくしていたでしょう?」

「ああもう、うるさいわね!」


 ところが、ようやく嫌そうな顔でこちらを見た母はアリエルを怒鳴りつけた。むっとしてアリエルも言い返す。


「何よ、そんな言い方しなくたっていいでしょう。これでも私、お母様のことを心配しているのよ? ずっと家に閉じこもってイライラして……ジネットお姉様のことはもういいじゃない。商会を売ったお金も結構あるんでしょう? ならそれで気晴らしでも――」


 そう言いかけた瞬間だった。

 母レイラの瞳が、今まで見たことないほど険しくなったのだ。


「その名を出さないで!」


 ぴしゃりと言われて、アリエルが肩をすくめる。


「ああもう! 忌々しいジネットめ! どうせ今頃、勝ち誇ったように社交界を闊歩しているのでしょうね! 想像しただけで腹が立つわ!」


 言いながらドン! とソファを叩く。アリエルが「やだ、お母様たらはしたないわ」といさめたが、母はじろりとアリエルをにらんだだけだった。


「大体、あなたは悔しくないの!? クラウスをあの子にとられて!」


 煽られて、アリエルは憤慨した。


「もちろん悔しいわよ! だってどう考えてもお姉様より私の方が美人ですもの」


 言ってアリエルは立ち上がった。それから自分の美しい金髪に指を通し、さらりとすいてみせる。


「見て。この美しい金髪に青い瞳。顔だってお母様譲りのまぎれもない美人。血筋だってあの成り上がりと違って、私は生粋の貴族なんだから!」


 アリエルがふん! と鼻息荒く言うと、そこでようやく母は微笑んだ。


「そう。あなたは私と前の夫の娘で、まぎれもなく高貴なる青い血の一族ですもの」

「そうよ! それになんと言ったって、お姉様は淑女らしくなさすぎるわ。刺繍もピアノもダンスもしないで、一日中お金の話ばかり。商売のことを考えている時の顔だって、気持ち悪いったら! その点、私は完璧でしょう?」

「そうね。現にあなたには求婚者が殺到していたものね」


 母の言葉に、アリエルは「そうよ!」とうなずいた。


「……なのに」


 そこで唐突に勢いを失ったアリエルが、ぶすりとした顔で再度座り込む。


(クラウス様は、お姉様を選んだのよね……)


 その事実を思い出して、アリエルはハァ……とため息をついた。


 ――アリエルの天使。クラウス・ギヴァルシュ伯爵。


 初めて見た時の衝撃は忘れない。

 高貴な輝きを放つ銀色の髪に、神秘的で澄んだ紫の瞳。鼻筋も唇も作り物のように美しく、その場に立って微笑んでいるだけで辺りが楽園に変わるようだった。


(ああ……クラウス様……生きているだけで奇跡のようなお方……!)


 ひと目見た瞬間から、アリエルはクラウスのことで頭がいっぱいになってしまったのだ。

 だからなんとか自分の方を向いてほしくて、自分の婚約者にしてほしくて必死で。

 そしてそんなクラウスの婚約者の座に、のうのうと納まっている姉ジネットが妬ましくて憎らしくて。なんとか追い出そうと家でだっていびり倒したし、蹴落とすような真似だって躊躇なくやってきた。


(あの美しい人が手に入るなら、なんだってしたのに……)


 けれど、結果は惨敗。


 好かれている、手ごたえがあると思ったのも、全部アリエルの思い込みだった。しかもクラウスは、アリエルが裏でジネットの悪口を吹聴していたことも全部知っていたのだ。


 そのことに気づいた時……アリエルの顔は羞恥で真っ赤になった。


 自分が選ばれなかったことよりも、憧れて、恋い焦がれてやまなかったクラウスに、自分の悪行を全部知られていることが、生きてきて一番恥ずかしかった。

 母には「何よ、それくらいでめげてるんじゃないわよ」と言われたけれど、アリエルは母のように強くはいられない。血の繋がった親子であっても、そこは違ったのだ。

 それに、舞踏会で再会した時のクラウスの顔と言ったら。


(お姉様のことが好きで好きで好きで、お姉様以外何もいらない、って顔をしていたわ)


 クラウスはいつも優しく笑みを絶やさないが、それでいてどこか遠くを見るような、熱のないひんやりとした瞳をすることもよくあった。

 そんなところもまたアリエルの心を惹きつけてやまず、いつかその瞳に自分こそが熱を灯したいとすら思っていた。


 ……それがこの間の彼はどうだ。


 まるで、この世界に女性はジネットしか存在しないとでも言うような甘い瞳をしていたのだ。


 同時にアリエルは気づいてしまった。その熱っぽい眼差しは、自分がどんなに頑張っても決して手に入れられないものだと、

 彼にそんな瞳をさせられるのは、ジネットが散々罵ってきた姉だけなのだと。


 考えて、アリエルは大きなため息をついた。もうすっかり刺繍を続ける気分ではなかった。


(それにお姉様は、一度も私たちにいじわるはしなかったのよ……)


 アリエルは母と一緒になって今まで散々ジネットをいじめてきたが、ジネットは逆にずっとアリエルたちに優しかったのだ。

 あのキラキラ光る夜空みたいな布だって、アリエルに持ってきてくれたのはジネットだけだった。


『はい、これどうぞ』


 そう言って笑顔で手渡された時、ジネットの瞳に浮かんでいたのは純粋なる善意。

 見せびらかしてやろうとか、見下してやろうとか、そんな気持ちがちょっとでもあったのなら、きっとアリエルはすぐ気づいて憎らしく思っただろう。


 でも。


(あんな純粋に優しくされたら……なんかもう、張り合うのも馬鹿らしいって言うか、私だけひとりで何しているんだろって気になってしまったのよね……)


 思い出してアリエルは遠くを見つめた。

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