第50話 私も最近、だいぶ空気が読めるようになってきた気がするんです!
――チューリップはこの国にはない珍しい花だ。
さらにパキラ皇国の宮殿産とあれば、珍しいものと権威あるものが大好きな貴族たちにとってはそれだけで売れ筋が保証されたも同然。なぜなら『パキラ皇国一の花が庭に咲いている』のは、それだけでステータスになるからだ。
ステータスシンボルとしての花。それがチューリップの強みだった。
そしてもうひとつ。
『チューリップは他の花にはない秘密があるんだ』
キュリアクリスが囁いた言葉を思い出しながら、ジネットはゆっくりと言葉を紡いだ。
ここからが、チューリップの真髄だった。
「チューリップは、突然変異を起こすんです」
ジネットがそう言うと同時に、隣に立っていたクラウスがスッと胸ポケットに刺さっていた一輪のチューリップを取り出した。
それを見て、ジネットたちを取り囲んでいた群衆から、「まあ!」「見て!」と大きな歓声が上がる。目撃した公爵夫妻も目を丸くした。
そのチューリップは、クラウスのポケットに入っている時はただの黄色いチューリップに見えていた。けれど取り出してみると、下半分が赤色をした二色の花だったのだ。
「花に……二色混じっているわ……! なんて美しい色合いなの」
魅入られたようにじっと見つめるクリスティーヌ夫人に、そして周囲にいるご婦人たちに向かってクラウスが美しい笑みを浮かべる。
ここからは彼の出番だ。
クラウスが落ち着いた声で語り掛ける。
「チューリップは生育過程で、このように突然変異を起こすことがあるんです」
突然変異が起こると、チューリップの色は単色から多色に変わる。
クラウスが持っているもののように上下で色が分かれているものもあれば、違う色の筋が入ったように色が出るものもあった。
「突然変異は人為的に起こせるものではなく、どんな色が出るかは完全に運任せ。ある意味“神々の戯れ”とも言える現象なのですよ」
「ほう、神々の戯れか……おもしろいことを言う」
パブロ公爵も興味が出てきたらしい。じっと価値を見定めるようにチューリップを見つめている。
「このチューリップ……名を『スペルヴァンホーデン』と名付けたこの花は、パキラ皇国の宮殿に咲く高貴な花です」
クラウスは二色チューリップを周りにいる人たちに見せつけるように、ゆっくりと掲げてみせた。
「さらに突然変異を起こすことで、パキラ皇国の宮殿ですら見たことのない、あなた方だけのチューリップが咲くこともあるのですよ。……宮殿にすらない美しい花を独り占めだなんて……とても魅力的だと思いませんか?」
言って、クラウスはチューリップに口づけてみせた。
それは普段、紳士な態度を崩さない彼にしては珍しい、淫靡さのただよう仕草だった。
かすかに伏せられた瞳から漏れ出るのは、強烈なほどの色気。
すぐさま「はぁっ……」という悲鳴とともに、何人かのご婦人がどさどさと倒れた。
(こ……この宣伝、せっかくだからとクラウス様にお任せして大正解でしたが、心臓には大変よろしくなかったですね……!)
ドレスの裾を握り、ふるふると震えながらジネットは耐えた。
ジネットはチューリップを見つめていたことでなんとか逃れられたが、クラウスを直視していたら、きっと失神者の一員になっていたに違いない。
「く、クラウスくん。君、ちょっとその色気は押さえた方がいいと思うぞ……」
そう言ったのは、なぜか頬を赤らめたパブロ公爵だ。見れば他にも頬を赤らめてごほんごほんと咳払いしている紳士たちがいる。
どうやらクラウスの威力は女性陣のみならず、男性陣にまで威力を発揮してしまったようだった。
(なるほど……美しいものは男女問わず人を魅了してしまうのですね! さすがクラウス様です!)
ジネットが謎の感心をしていると、クリスティーヌ夫人がくすくすと笑った。
「ふふっ。私はレイトン一筋だけれど、それでもいいものを見せてもらったわ。ねぇ、このチューリップはいつから売られるのかしら? 私、たくさんいただきたいわ」
その言葉に、ぽ~っとクラウスに見とれていたご婦人たちがあわてて身を乗り出す。
「あっ! わたくしも!」
「わたくしもよ! ぜひ売ってくださらない!?」
「うちにも欲しい! 我が家に植えたいのだ!」
ご婦人たちに混じって急いで挙手したのは、どこぞの子爵だ。
すぐさま私も、私もと言う声が次々と上がり、殺到しそうな気配を感じてジネットは声を張り上げた。
「では、欲しい方はぜひ私にお名前を教えてください! この騒ぎで舞踏会をお邪魔してもいけませんので、皆様ご協力お願いいたします!」
「僕の方でも受け付けていますから、どうぞ落ち着いてお声がけください」
どこに忍ばせていたのか、隣ではクラウスが優雅な動作で手帳に購入希望者たちのリストを書き込んでいる。
――そうしてジネットたちが帰る頃には、たっぷりとしたチューリップの顧客リストが出来上がっていたのだった。
◆
帰りの馬車の中。
ジネットの隣に座ったクラウスが満足そうに微笑む。
「今回もとてもうまく行きそうだね。きっとキュリも喜ぶよ」
「はい! 早くキュリアクリス様にご報告しなければですね!」
チューリップを持ってきた張本人のキュリアクリスは、その場にはいなかった。
ジネットとしては、今夜クラウスが行っていた演技を彼にやってもらった方が説得力が増すと思ったのだが、どうやら本人はまだ正体を明かしたくないらしい。
そのためルセル商会とは直接的な関係のないクラウスが、今回のチューリップお披露目にひと役買ったのだった。
「あ、大丈夫。報告は僕の方からしておくから、ジネットは何もしないで」
けれどジネットがキュリアクリスの名を出した途端、それまで笑顔だったクラウスの顔がスッと真顔になった。
「えっ。ですが、明日になれば商会でキュリアクリス様に会えますし、ルセル商会のことでこれ以上クラウス様にお願いするのは心苦しく……」
「いいんだ気にしないで! ふたりきりにさせたくない――じゃなくて、君のためならそれくらいいくらでもお使いをするよ。だから明日、僕もルセル商会に行ってもいいよね?」
そう言ってクラウスはにっこりと微笑んだのだが、その笑顔はなぜかやたら圧が強い。
(キュリアクリス様への報告のためだけにわざわざいらっしゃるのですか……? あっ! もしかして!)
そこでジネットはハッと気が付いた。
(クラウス様、きっとキュリアクリス様にお会いしたいのですね!?)
――やはりジネットは、どこまでも鈍いのであった。
(うんうん、キュリアクリス様はクラウス様にとって、大事なお友達ですものね!)
クラウスはジネットと違って、社交界にたくさんの友達がいる。
けれどキュリアクリスと毒づきながら話すクラウスを見て、ジネットは気づいてしまったのだ。
クラウスは品行方正で誰に対しても優しかったが、それは彼の本当の顔ではないことに。
その証拠に、キュリアクリスと話している時の彼は、今まで見たことがないほど生き生きとしていた。聖人と称えられるクラウスが、キュリアクリスだけに対しては容赦ない物言いをし、遠慮なく毒づく。
それはクラウスが、キュリアクリスにだけは心を許している証拠だった。
(信頼できるお友達がいるというのはとても素敵なことです! ならば私もお手伝いしなくては!)
使命感にキラキラと目を輝かせ、ジネットは力強くうなずいた。
「わかりました! その想い、しかと受け取りました! 私にお任せください!」
「ああ、うん……。これはきっとまた何か勘違いされているパターンだけど、今回は突っ込まないでおくよ……」
「勘違いですか!? 大丈夫ですよ! 私も最近、だいぶ空気が読めるようになってきた気がするんです!」
ジネットの自信たっぷりの返事に、クラウスはあいまいにニコリ……と微笑んだだけだった。
「そういえば話は変わるけれど、今日君の義母上たちはこなかったね」
「あ、そういえば……」
言われてジネットははたと思い出した。
今日は本当に順調で、順調すぎて少し物足りないくらいだなんて思っていたら、いつも来る義母とアリエルがいなかったのだ。
「おふたりとも、どうしてしまったのでしょう? 舞踏会やお茶会が大好きで、そこに行くのを何よりも楽しみにしていらっしゃいますのに……。もしかして、お父様が生きているというお手紙を送ったから?」
父ルセル男爵の生存は、もちろん義母たちにも知らせている。手紙の返事は来ていないが、ギルバートは確かにふたりに手紙を見せたという連絡も来ていた。
「彼女たち……特に君の義母は何を考えているか読めないからな」
そう言ったあとで、クラウスが小さな声でぼそりと言う。
「……まあ大方ろくなことは考えていないだろうけれど……」
けれどジネットは、そんなクラウスの声が耳に入らないほどじっと考え込んでいた。
(お義母様にアリエル……一体どうしてしまったのかしら。少し心配だわ……)