第44話 実は……
「――というわけで、今日からまたルセル商会の一員としてよろしくお願いいたします!」
久しぶりに訪れたルセル商会の直営本店には、長年父を支えてくれた仲間たちがずらりと並んでいた。
彼らの多くは父と歳が近いため、従業員というよりはもうひとつの家族に出迎えられたような気持ちになる。
そんな彼らの顔をひとりひとりゆっくりと見回しながら、ジネットは感極まったように言う。
「こうしてふたたび皆さんと働けてとても嬉しいです。どうぞまた色々教えてください!」
元気いっぱいな声に、自然と店内から拍手が上がった。
「おかえり! ジネットちゃん!」
「こっちこそまた一緒に働けて嬉しいよ!」
「思ったより取り戻すのが早かったじゃないか。さすがあたしのジネットちゃんだねぇ」
あたたかく朗らかな声。ジネットは照れた。
「お義母様が、思ったよりも優しくしてくださったんです」
けれどそう言った途端、従業員たちがぴたりと黙った。
それから何やら気まずげに「うーん……」と互いの顔を見合わせている。
「そう……なのかぁ?」
「あれのどこに優しさがあったんだ?」
「思い切り権利書を奪われていたよな……?」
ひそひそ、ひそひそと話は止まらない。そんな中、その場を制するようにパンパンと手を叩く音がした。
見ると、奥から出てきたのは身なりのいい男性だった。彼の姿に、ジネットのそばに立っていたクラウスが目を細める。
「あれは……ルセル家の家令じゃないか? 彼はルセル商会でも働いていたのか?」
クラウスの言う通り、目の前の男性は確かにルセル家の家令、ギルバートにそっくりだった。
きっちりと撫でつけられたロマンスグレーの髪に、シャンと伸びた背筋。浮かぶ水色の瞳は穏やかで、片目につけられたモノクルが太陽光を反射してきらりと輝いている。
男性はクラウスの言葉を聞くとにこりと微笑んだ。
「どうも、弟がお世話になっていますよ、ギヴァルシュ伯爵様」
「弟?」
その単語にクラウスが眉をひそめると、代わりにぴょこんと身を乗り出した者がいた。
ジネットだ。
「あっクラウス様は初対面でしたか!? 紹介いたしますね! 彼はギデオン。お父様と一緒にルセル商会を支えてきた右腕的存在で、同時にセル家の家令、ギルバートの双子のお兄さんなんです!」
「双子の兄? 道理で……!」
クラウスが見間違えたのも無理はなかった。
実はルセル家の家令ギルバートとルセル商会のギデオンは一卵性双生児の兄弟。普段働いている場所は別々だが、一度並ぶと彼らを見分けるのはジネット以外には至難のわざだった。
「伯爵様のことは弟から色々聞いています。我らのジネットお嬢様をお守りくださっただけではなく、旦那様の捜索もしてくださっているのだとか」
そう言って感極まったように目を潤ませるギデオンに、クラウスは軽く首を振る。
「ギヴァルシュ伯爵なんて、そんな硬い呼び方はしなくていい。私たちはジネットとともに家族になったも同然なんだ。クラウスと呼んでくれないだろうか」
「では、お言葉に甘えまして」
「そうだ、ちょうどあなたたちに報告したいことがあってやってきたんだ」
そう言って、クラウスはスッと従業員たちを見回した。
本店にいる従業員たちは皆、ルセル男爵を囲む会――もとい、ルセル商会の中でもひときわ男爵に近く、長年働いてきた者ばかり。
そんな彼らにうってつけな報告をクラウスは持ってきたのだ。
「報告したいこと……?」
目を細めるギデオンの前で、クラウスが嬉々として言う。
「ああ。実は――ルセル男爵が生きていることがわかったんだ」
「なんですと!?」
その言葉に、周囲から「おお!」「よかった!」といった声が一斉に上がる。
「そうなんです! お父様、やっぱり生きていらっしゃったんです!」
クラウスの隣でこの上なくニコニコしているのはもちろんジネットだ。
――先日、父の捜索を頼んでいる調査員から急ぎの手紙が来た。
そこに書いてあったのは、調査員たちが近くにあった川をひたすらたどって行ったこと。そしてその先にあった小さな村のひとつに、父……ではなく、父の馬車に乗っていた御者がいたと書かれていたのだ。
彼は足を骨折しており、その怪我が完治していないためまだ身動きがとれなかったものの、男爵が自分をここまで連れてきてくれたことを話したのだと言う。
そしてジネットの父は身に着けていた金品と引き換えに、村の人たちに彼の面倒を見てもらうよう約束を取り付けた。
その後、父自身はというと――……。
「どうやら、村で困ったことが起きていたみたいでね」
ギデオンたち従業員を見回しながら、クラウスが続ける。
「不作続きだというのに税収だけがどんどん上がって、村の人々はとても困っていた。その時、ルセル男爵は気づいたんだ。その村で、農作物の買い取り価格が異様に低いということに」
気づいた父は、文字が読めない村人たちの代わりにすぐ買い取り商人のところに乗り込んでいったのだと言う。それからカタコトのノーヴァ語で何やらまくし立てたかと思うと、あっという間に商人を丸め込んで適正価格に変えてしまったのだとか。
「話がそこで終われば早かったのだが、村の困りごとはそれだけではなかったらしく」
クラウスがそう言った途端、ジネットを含めた皆が何かを察したように「あぁ……」と言った。
「お父様ならきっと、その人たちのことを放っておけないでしょうね……」
「普段は超合理主義なくせに、変なところで人情に厚いですからねぇ」
「ま、それが旦那様のいいところですが」
口々にこぼす人々を見ながら、クラウスがうなずく。
「あっちでお手伝い、こっちで事件……とやっているうちに、どうやら帝国内をかなり移動してしまったようでね。今、調査員が必死にその足取りを追っているんだ」
「でも……お父様がご無事で本当によかったです!」
頬を赤らめたジネットが嬉しそうに言う。それはジネットが心底喜んでいるのがわかる笑顔で、見ている者も思わず微笑んでしまう。
「なら旦那様が帰ってくるまで、みんなキリキリと働かないとな!」
「そうさね。帰ってきて業績が伸びてなかったらがっかりさせちまうから」
「はいっ! 皆様一緒に、またルセル商会を盛り上げていきましょう! ……あ、そうだ。もうひとつ皆様にお知らせがあります」
「もうひとつ?」
注目を一身に集める中、ジネットは後ろに控えていたキュリアクリスの方を向いた。
「皆様、紹介いたします。期間限定とはなりますが、今回新たにルセル商会に加わることとなりましたキュリ様でございます!」
ジネットの言葉に合わせて、キュリアクリスが一歩進み出た。
その姿を見て、従業員たちがハッと息を呑む。
すらりとした立ち姿に、浅黒い肌。凛々しい眉は野性味を感じさせつつも、同時に彫刻のように整った顔から高貴さも漂っていた。
蠱惑的、と言ってもいい彼の華やかな雰囲気に、若い女性従業員がほぅと頬を赤らめている。
「どうもよろしく。私のことはキュリと呼んでください」
その笑顔に、ルセル商会の中でも特に見識高いギデオンが「おや?」と眉をひそめる。
「気のせいでしょうか……。どこかでお顔を見たことがあるような」
「きっ、気のせいじゃないでしょうか!?」
ジネットはぎくりとして、あわてて遮った。
実はキュリアクリスから「普通に扱われたいから正体は極力隠しておいてほしい」と言われていたのだ。そのため名前も、従業員たちには「キュリ」として紹介している。
「と、ともかく! 皆様キュリ様をよろしくお願いいたします!」
ジネットの言葉に、皆まだ戸惑いながらもパチパチと拍手をした。