第43話 ついに取り戻したルセル商会……の仕掛け
「やった~~~!!! お嬢様、これが権利書なのですね!? これでルセル商会は、お嬢様のものなのですね!?」
「そうなの! もっと何年もかかるか、お父様がお戻りになってから譲ってもらうかになると思っていたのに……まさかこんなに早く取り戻せるなんて!」
帰って来たギヴァルシュ家で、権利書を握りしめながらジネットはサラとぴょんぴょん飛び跳ねた。それからほっこりと満足そうな顔でジネットが言う。
「ちょっとまわりくどい方法でしたけれど、その代わりとても良心的なお値段! やっぱりこれは、お義母様からのご褒美だったのですね! 優しくていらっしゃるわ!」
「お嬢様、そんなわけありませんので目を覚ましてください」
「ジネット、それはない」
冷静なふたりがすかさず突っ込んだ。
その声に困った顔をしてから、ジネットは部屋にいる男性陣を思い出してハッとする。
「あっ! し、失礼いたしました! キュリアクリス様がいらっしゃっていたのに、はしたないところを見せてしまって……!」
あわてるジネットに、キュリアクリスが優雅ににっこりと微笑む。
「構わないよ。あなたの笑顔は可憐な花と同じ。どうぞその愛らしさを、遠慮せず私に見せてほしい」
その色気たっぷりの微笑みには、珍しくサラですら赤面していた。
(やはり皇子様はすごいですね……! あのサラを赤面させるなんて!)
と考えながら、ジネットも目をぱちぱちとさせた。
「ふふっ。戸惑う表情もかわいいね。君の恥じらう姿見たさに、もっと過激なことを囁いてしまいそうだ」
「キュリ。僕の婚約者をからかうのはほどほどにしてくれないか。というか前より、距離が近くなってないか? 以前会わせた時はそんな甘い言葉を囁いていなかったはずだが」
かばうように進み出たのはクラウスだ。
その姿を見て、キュリアクリスがにやりと笑う。
「あいかわらず、私のことを警戒しているようだねクラウス、まあでも、君がヤフルスカで色んな女性に言い寄られてもビクともしなかった理由が、ようやくわかったよ。こんな婚約者がいたら、よそ見している暇などない」
キュリアクリスが、甘い笑顔を浮かべてジネットを見る。
「ジャスミンのように可憐な外見をしていながら、その中身は賢くてタフネスだ。まさか二重の策で、まんまとルセル夫人を搦め取ってしまうとはね」
――キュリアクリスの言う通り、ジネットたちは二重の策を用意していた。
最初に目くらましとして商人たちを送り込み、大本命であるキュリアクリスとはさも無関係を装う。
もし商人たちが権利書を落札できればそれでよし、駄目だったとしてもキュリアクリスが控えているという寸法だった。
「これも本当に、キュリアクリス様のおかげです! このたびはご協力いただき、心より感謝しております」
ジネットが深々と頭を下げると、キュリアクリスはまたにこりと微笑んだ。
それからすばやくクラウスを押しのけ、ジネットの手にちゅっと口づける。
「キュリアクリス!」
とがめるクラウスにも負けず、彼はジネットに向けてとびきり素敵な笑顔を向けた。
「どうだい、ジネット嬢。伯爵家の妻などではなく、パキラ皇国の皇妃になる気は? 知っているだろうけれど、こう見えても僕は皇太子でね」
すぐさまクラウスがふたりの間に立ちふさがる。
「やめてくれ。いくら君でもその冗談だけは駄目だ。まったく笑えない」
「冗談? まさか、私は本気だよ」
クラウスがうめく。
「こうなると思ったから君に頼むのは嫌だったんだ……! キュリ、何度も言うがジネットは僕の婚約者。いくら君とて、これだけは絶対に駄目だ!」
珍しく剣呑な雰囲気を漂わせるクラウスと、人を食ったような笑顔を浮かべるキュリアクリス。
ふたりの間で、バチバチと見えない火花が散った気がして、ジネットはあわてて飛び出した。
「あっ、あの! せっかくの申し出ですが……お断りします」
ジネットは逃げることなく、また恥じらうこともなく、まっすぐキュリアクリスを見つめる。
彼は驚いたように目を丸くした。
「どうして? そりゃ君たちの国とは多少文化の違いはあるが、君ならパキラ語も完璧だし、何より皇妃になれるチャンスなんだよ?」
だがその言葉に釣られることなく、ジネットが首を振る。
「皇妃なんて、私には務まりません。それに……私はクラウス様の婚約者ですから」
「彼に義理立てしているのかい? 貞淑なのはすばらしいことだが……」
「義理立てではありません」
珍しく強い口調でジネットは言った。それから恥じたように目を伏せる。
(もちろん、今まで大事にしてくれた婚約者を裏切りたくないという気持ちもあるわ。でも、そうじゃないの。私がキュリアクリス様を選ばないのは、義理立てしているからじゃない……)
ぎゅっと拳を握ってから、ジネットは顔をあげてキュリアクリスをまっすぐに見た。
言葉を紡ごうとする唇は震え、胸がドキドキしている。
それでも今言わなければ、とジネットは口を開いた。
「……私は、クラウス様以外の妻になりたくないのです。夫となる人は、クラウス様じゃないと嫌なのです」
「ジネット……!?」
驚くクラウスを見て、ジネットの顔がかぁっと赤くなる。
「すすす、すみません! 私がこんなことを言うのもおこがましいのですが、その、自分でもよくわからないのですけれど、クラウス様じゃないとどうしても嫌で、その、理由はうまく言葉にできないのですが……!」
あたふたとあわて、なんとか説明しようとするジネットに、クラウスが微笑んだ。
「……いいんだ。ジネット。今は言葉にできなくても、いいんだ」
気づけばクラウスが、嬉しそうな顔でジネットのすぐそばに立っていた。
彼の美しい手が、ジネットの白い手を優しく包み込む。
「その気持ちが何かは、これからふたりでゆっくりと見つけていけばいい。だって僕と君は、婚約者なのだから。そうだろう?」
それはとろけそうなほど、甘い笑みだった。
細められた紫色の瞳は濡れ、それでいて熱く、ドキリとするほど色っぽい。
ますます顔が赤くなるのを感じなら、ジネットはなんとか言葉をひねりだした。
「は、はいっ……! クラウス様にいつもお手数をおかけしている情けない婚約者ですが……!」
「いいんだよジネット。僕はそんな君が――ありのままの君が好きなんだ。謝る必要は、どこにもない」
「クラウス様……!」
(ああ、あいかわらずなんてお優しい……! 本当にこんな方が婚約者だなんて、私はなんと恵まれているのでしょう!)
大天使と称えられる美貌を全開にして、クラウスがジネットを見つめている。
その瞳はどこまでも優しく、甘く、胸が高鳴るのを止められない。
と、その時。
パン、と手を叩く音がして、キュリアクリスが言った。
「はい、人の目の前で見つめあうのはそこまでにしてもらおうか」
ハッとしてジネットはあわててクラウスから離れた。すぐさまクラウスが残念そうな顔になる。
そんなふたりを見ながら、キュリアクリスがやれやれと言った。
「手伝ったお礼としてジネット嬢を妻にもらっていこうかと思ったのだが……振られてしまうとはな。だが、私はそれくらいでは諦めないよ。きっと君を皇妃として連れ帰ってみせる」
「キュリ、マセウス商会を君にあげるという約束のはずだったじゃないか。変なことを言うのはやめてくれ」
「最初はそれでもいいかと思ったけどね、やめたんだ。それより、ジネット嬢の方がずっとずっとおもしろい」
そう言ってキュリアクリスがにやりと笑う。
いかにも王族らしい傲慢さと気まぐれに、クラウスがはぁとため息をついた。
「まったく……。これだから君にはジネットを紹介したくなかったのに」
「生憎だったな。ま、私がお忍びで留学していて君たちも運がよかったね」
楽しそうに言うキュリアクリスに、クラウスが少し考えてから言った。
「……いや、実はどのみち君をこの国に呼び込もうと思っていたんだ。もちろん、ルセル商会の権利書を取り戻すために」
「ん? どういうことだ?」
キュリアクリスの眉間にしわが寄る。
「今回は、彼女の義母が暴挙に出たから致し方なく僕を頼ったんじゃないのか?」
「ええと……実は……」
そこにおずおずと進み出たのは、ジネットだ。
「実は、以前からお父様は私に、“最悪の事態”に備えて準備してくださっていたんです」
――幼くして亡くなったジネットの母親は、急な病によってあっけなくこの世を去っている。
父はその経験を踏まえ、いつ自分が突然いなくなっても大丈夫なように、ジネットに教育を施してきた。それが成金教育が始まった理由だ。
「それで、もしお父様が突然いなくなるようなことがあったら、お義母様ならきっと権利書を売り飛ばしてくれるだろうからって、隠し場所をわざと教えていて……」
「そうだったのか?」
キュリアクリスが周りを見回すと、どうやら知っていたらしいサラも静かにうなずいている。クラウスが言った。
「ジネットに打ち明けられた時は半信半疑だったが……まさか本当に言う通りになるとは。ギルバートから連絡が来た時はびっくりしたよ」
「お義母様にバレなかったのだとしたら、きっとギルバートがうまくごまかしてくれたんですね。そういえば、お父様がおっしゃっていました。『ギルバートは演技派だって』」
言いながらジネットは想像した。
荒れ狂う義母をなだめながら、ジネットに向かってぱっちりとウィンクする壮年の家令の姿を――。
同じくその姿を想像したのかもしれない。クラウスがふふっと笑う。
「本当に彼は頼もしいね。きっと君の義母君はこれで諦める人じゃないだろうし、次はまた何をしでかしてくるやら。早く、君の父君を見つけないとね」
「はい! 商会は無事取り戻せましたし、残るはお父様のみですね!」
父は、きっと無事だと信じている。
けれどこれだけ見つからないということは、何か事情があるのだ。事件に巻き込まれたか、あるいは記憶を失ったか……。
(早く、お父様を見つけなければ!)
意気込むと、ジネットはそっと一歩踏み出した。優しいまなざしでこちらを見つめる、クラウスのもとへと。
★お読みいただき、ありがとうございました! 第一部はこれで完結となります。
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※そう遠くないどこかのタイミングで、クリスティーヌ夫人を主役にした話をぽいっと短編として投げる予定です。投稿した際には活動報告でお知らせいたします!