第4話 すべては、私と婚約したせいです
ジネットが婚約者であるクラウス・ギヴァルシュ伯爵令息と婚約したのは、ジネットが十三、クラウスが十七の時だ。
彼は由緒正しい、けれど没落してしまった名家の跡取り息子だった。
祖父の代で膨大な借金をこさえてしまい、前伯爵であるクラウスの父がなんとか食いつないできたものの、それもついにある日限界が。
いよいよ爵位も家もすべて売らなければいけなくなった時に颯爽と現れたのが、ジネットの父だった。
(お父様は爵位を買い取るのではなく、クラウス様を私の婚約者にしてくださった。それからギヴァルシュ家の借金をすべて返済して、金銭面でも援助を始めて……)
そうしてジネットの婚約者となったクラウスは、社交界で名を知らぬ者はいないと言われるほどの美男子だった。
神々しいまでの艶を放つ銀髪に、紫色の瞳はどんな宝石よりも澄んでいる。その美しさは絵画に描かれた大天使のようだと言われ、おまけに誰に対しても優しく紳士な、“聖人”だともっぱらの評判だった。
ルセル家に初めて彼がやってきた時も、ジネットはこんなに綺麗な男の人がいるのかととても驚いたものだ。
そしてもうひとり、ジネット以上に、クラウスに魅了された人物がいた。
アリエルだ。
義妹のアリエルは、クラウスをひとめ見て気に入ってしまったらしい。父に自分が婚約者になりたいと騒ぎ立て、それが叶わぬと知るやいなや豹変した。
執拗にジネットの周辺をうろつきまわるようになり、探りを入れ、同時に根も葉もない噂を流し、少しずつジネットの名を貶めていった。クラウスとの婚約でジネットを妬むものは多く、喜んでその噂に乗った令嬢も多かったらしい。
(だから社交界から離れられるのも、少し嬉しかったりするのよね……)
鞄に服を詰め込みながらジネットは思った。
元々令嬢たちとは話が合わない上に、クラウスとの婚約以降、やれ成金だの、やれ化粧が濃すぎるだの、やれ赤毛が下品だの、好き放題言われてきた。
その中でも耳が腐るほど聞いたのがこれだ。
「婚約者のクラウス様がかわいそう!」
さらにジネットのせいで、心無い言葉はクラウスにも及んでいた。
「クラウス様は身売りしたのね」
と言われるのはまだいい方。
中には公共の場で、こんな話をする令嬢もいた。
「じゃあお金を出せば、クラウス様は誰とでも結婚するってこと?」
「だってあの“成金”と結婚するくらいだもの。よっぽどよねえ」
「そんなにお金に困っているなら、彼に聞いてみようかしら? 代金をはずむから、私と一晩いかがって」
クラウスの悪口を聞くたびに、ジネットは腹が立ってしょうがなかった。
自分が悪く言われるのは痛くも痒くもない。でもあんなに完璧で優しく、すばらしいクラウスをけなされるのは許せなかった。
怒ったジネットが文句を言いに行っても、令嬢たちはくすくす笑うばかり。自分たちが見下した相手に対しては、どんな態度をとってもいいと思っているらしい。
それもジネットが社交界を好きになれない理由のひとつだった。
(そもそもクラウス様の婚約者が私じゃなかったら、きっとこんなに悪く言われることもなかったのに……!)
それは長年、ジネットがずっと気にしていたことだ。
ルセル家ではなく、もっとよい家柄のご令嬢と婚約していたら。
周りは何か思っていても、ここまで堂々と言わなかっただろう。
(でも、それももうおしまいにできるかもしれない!)
パタンと旅行鞄の蓋を閉じて、ジネットは顔を上げる。
(ギヴァルシュ伯爵家は、お父様のおかげで持ち直したと聞くもの。婚約を望んだお父様には申し訳ないけれど、クラウス様を解放するなら今がチャンスだわ!)
ジネットはぐっと拳を握った。
(なんとかして、私を悪者にして婚約破棄してもらわないと!)
いま“婚約解消”したら、クラウスは心無い人たちに『ルセル家を利用してお金だけ手に入れた』と言われてしまうかもしれない。
そう言わせないためには、“婚約破棄”してもらって、ジネットが悪かったことにしてもらおうと思ったのだ。
もともとジネットの評判は地に落ちている。今さら失うものもない。
そこまで考えて、ジネットはふと思い出した。
「と言ってもクラウス様は、留学先から戻ってきていましたっけ……?」
彼は現在、父の支援のもと、東のヤフルスカ王国に留学している。それもあってふたりの結婚は実現していなかったのだが。
(手紙はもう届いているはずだけれど……)
考えていると、クラウスの名を聞きつけたサラが嬉しそうに近づいてくる。
「もしかして、クラウス様のところに行かれるのですか? それがいいですよお嬢様! このまま結婚して向こうのお屋敷に住んじゃいましょうよ!」
ジネットはあわてて否定した。
「違うの、サラ。クラウス様には、私との婚約を破棄してもらおうと思っているの」
「お嬢様、正気ですか!?」
クワッと、サラが目を見開いた。