第36話 商人たちの絆
「もう一度話を整理しよう。君の義母は今、ルセル商会の権利書を売ろうとしているんだね?」
ギヴァルシュ家の応接間で、クラウスとジネット、それからサラの三人は、義母レイラが企んでいることについて緊急会議を開いていた。
「はい。それもギルバートからの報告によると、その競売をルセル家で行うそうです。なんでも、お母様が取り仕切るのだとか」
「なるほど。その場には確実にルセル夫人がいるのだな。だとしたら……君や私がのこのこと行ったところで、中に入れてくれるかどうかも怪しいな」
「いわく、お義母様は半ばヤケクソになっているそうです。どうやらルセル家のお金は、全部自分のものになったと思っていたようで……。実際お義母様が使っていたのは、今年度分の予算だけだったんです」
と言っても、父は決してケチではない。義母やアリエルのお小遣いだって、貴族ですら驚くような額を渡してきたはずだが……。
(それを使い果たしてしまうなんて、お義母様は一体何を買われたのかしら……?)
――義母がジネットの足を引っ張ろうとして偽布に手を出し、あげくの果てにまたもや詐欺師の罠にひっかかったことを、ギルバートはジネットに知らせていなかった。
偽布などという些細なこと、知らせるまでもなくジネットが無自覚のうちに叩き潰してしまうだろうとギルバートは考え、そして実際当たっていたのだ。
不思議そうな顔をするジネットに、クラウスが言う。
「だろうね。当主が行方不明になってから爵位や財産が相続されるには、もう少し時間がかかるはずだ」
「それで、どうやら破格の値段になってもいいから、とにかくルセル商会を売り飛ばしたいのですって。ギルバートの手紙には『お嬢様への嫌がらせだと思われます』と書いてあったのですが……」
(これのどこが嫌がらせなのでしょう? ……むしろご褒美ですよね?)
なんて考えていると、額を押さえたクラウスがはぁとため息をもらした。
「まったく呆れたご婦人だ……。その様子だとルセル商会の価値をこれっぽっちもわかっていないのだろう。嫌がらせと小遣いづくりのためだけに売り飛ばそうだなんて……」
「でも……クラウス様?」
拳を握り、ワクワクを隠し切れない様子でジネットは言った。
「お義母様が売り飛ばそうとしているのなら……むしろ、それを私たちが買ってしまえばよいのではないでしょうか!? 通常の取引と違ってお義母様はお得に売ろうとしているようですし!」
「しかし、君の義母君が僕たちに売ってくれるとはとても思えないな……」
眉をひそめるクラウスに、ジネットはニコニコしながら言った。
「私たちにはきっと売ってくれないと思います。……でも、他の方にならどうでしょう?」
「他の人?」
「はい!」
ジネットは満面の笑みで答えた。
「例えば……以前もお話したエドモンド商会やゴーチエ商会のおじ様は、お父様とも仲が良く、義理人情に厚い方たちです。その方たちに資金を渡してルセル商会を買ってもらい、その後権利書を私たちに譲っていただくのです!」
「つまり人を雇って、代わりにルセル商会を買ってもらうと?」
「そういうことです!」
ジネットの案に、クラウスが考え込む。
「ふむ……。義理人情に厚いとは言え、彼らは商人だ。君が思うほどうまくいくかな……」
「そうですね。おじ様たちもきっと抜かりないとは思いますが……まずはお話してみましょう! 早速お手紙を書いてきますね!」
言うなり、ジネットは立ち上がった。ぱたぱたとかけ去っていくその背中を見ながら、クラウスはその場に座り込んで何かをじっと考え込んでいた。
◆
――後日。ギヴァルシュ伯爵家の応接間には、ジネット、クラウスのほかに、エドモンド商会長、ゴーチエ商会長、そしてパブロ公爵がソファに座っていた。
ジネットが身を乗り出して、全員の顔を見渡しながらお礼を言う。
「皆様、この度はお集まりいただきまして誠にありがとうございます。お手紙でもお話した通り、お義母様がルセル商会を他の方に売り飛ばそうとしているのを、なんとか阻止していただきたくて……!」
ジネットの言葉に、恰幅のよい、そして頭頂部が少々涼しくなったエドモンドが身を乗り出してくる。
「おお、よいよい。ジネットちゃんの頼みとあらば、海の果てにでも乗り出してゆくとも」
「そうとも。まだあいつも見つかっていないのだろう? 不在の今だからこそ、我らが団結して悪妻に立ち向かわねばねぇ」
今度は栗色の髪を中央でふたつにわけているゴーチエだ。
昔から父の良きライバルであり仲間でもあるふたりの言葉に、ジネットが目を潤ませる。
「エドモンドおじ様、ゴーチエおじ様……!」
それからジネットはぱちりとまばたきをした。途端に、その顔は交渉に向かう商売人のそれになる。
「それで、おふたりはどんな報酬をお望みでしょうか?」
「えっ?」
にっこりと微笑んだジネットに、声をあげたのはクラウスだった。
対して商会長ふたりは、目を輝かせてニコニコとしている。
「さすが、ジネットちゃんは話が早くて助かる」
「その見返りが聞きたくて、やってきたようなものだよねぇ」
「ちょ、ちょっと待ってもらえますか!?」
こらえきれず、クラウスがさえぎった。
「お二方とも報酬、いるんですね!? てっきり今のは、人情に厚い商人たちが一致団結して、商会を取り戻す感動のシーン……かと思っていたんですが」
その言葉に、パブロ公爵を除いた三人がきょとんとする。
「? はい、クラウス様の認識であっていると思いますよ!」
「だから私たちは、報酬をつけるだけでルセル商会買取に協力すると言っているんだ。見返りなど安い物だろう」
「そうそう。本当ならこんなチャンス逃さずに、さっさと自分たちでルセル商会をモノにするところなんだけどねぇ」
あっけらかんとした答えに、クラウスは唖然とした。そこへ、成り行きを見守っていたパブロ公爵がくつくつと笑う。
「フッ……ははは! どうやら、考えが甘かったのは君のようだね、クラウス君」
パブロ公爵はなおも笑い続ける。
「ジネット嬢が私をこの場に呼んだのも、誓約を交わすにあたって立会人が必要だからだろう?」
その言葉に、ようやく理解したクラウスが額を押さえてがっくりと椅子に座り込んだ。
「ああ、わかっていなかったのは、僕の方だったんですね……」
『義理人情に厚いとは言え、彼らは商人だ』と言ったのはクラウスだったが、ジネット本人はしっかりとそのことを理解した上で、彼らを呼び出していたのだ。
ジネットの代わりに権利書を競り落としてもらい、その見返りとして報酬を用意する。そして約束を破られないよう、パブロ公爵という強力な後ろ盾に立ち会ってもらう。
取引を行う上で、これ以上ないほど完璧で安全な流れだった。
「あ、あのクラウス様。大丈夫ですか! 何か私、失礼なことを……!?」
あわてるジネットに、クラウスは笑いながらゆっくりと首を振った。
「いや、自分の未熟さを思い知らされただけだよ。どうぞ、僕には構わず話を続けてほしい」
「は、はいっ!」
気を取り直したジネットが、商会長ふたりの方を向く。
「それで、報酬なのですが……ルセル商会を取り戻した暁には、オーロンド絹布の全販売権をお譲りする、というのはどうでしょう?」
オーロンド絹布は、今やすっかりマセウス商会の新しい目玉商品となっている。
最初の爆発的なブームはいずれ落ち着くとは言え、今度は庶民たち用の小物商品など、まだまだ需要は見込める。
「うーん。オーロンド絹布ねぇ……」
エドモンドが顎髭を撫でる。それからしばらく悩んだ後、彼はパッと顔を輝かせて言った。
「――それよりも、ジネットちゃん。うちの長男坊の嫁になるのはどうだい!」
「えっ!?」