第33話 お金がないってどういうことなの!?(義母視点)
「もうお金がないって、どういうことなの!?」
家令ギルバートの部屋に、レイラの怒声が響き渡る。
それから淑女とは思えない乱暴な仕草で、レイラは机にバンッと手をついた。
「お言葉ですが、奥様」
一方のギルバートは、突然怒鳴り込んできたレイラをものともせず、淡々と返した。
「お金がないというのはそのままの意味です。以前より旦那様から与えられていた“奥様用のお金”が底を尽きましたため、しばらく浪費はご遠慮願えればと思います。先日の事件があったばかりですし」
言いながら、ギルバートがじろりとレイラを睨め上げる。普段飄々としている彼が怒りを見せる姿は珍しく、レイラはびくりと肩をすくめた。
「あ……あれはしょうがないじゃない! 私だってまさかあんな形で騙されるとは……!」
「騙される? いいえ、奥様は騙されたのではありません。偽物と知っていながらそれに乗ったのです。しかも、お嬢様の邪魔になることを知った上で。違いますか?」
「うっ……!」
厳しい追及に、レイラは唇を噛んだ。
――先日、詐欺商人バルテレミーの口車に乗ったレイラは、まず小口の取引として少量の偽オーロンド絹布を買っていた。
それが瞬時に売り切れ、売上金が入ってくると、今度は前回よりも多くの絹布を買う。そしてそれもまた売り切れると、レイラはさらに大量の絹布を買う。
そうして何度か成功を積み重ねた後、レイラはにやりと口の端を吊り上げて笑った。
(ふふん。小さな成功で油断させてから、大口購入をさせて一気に持ち逃げするつもりだったんでしょうけれど、考えが甘かったわね、バルテレミー)
この取引を始めるにあたって、もちろん、レイラが詐欺を警戒しなかったわけではない。
大金を渡すと逃げられる可能性があったため、代金は必ず少額少額に分けて、現物と引き換えでなければお金は渡さないようにした。
その上、商品を持ち逃げされないよう、偽布はぬかりなくルセル家に置いていた。
ギルバートや使用人たちは苦い顔をしていたが、夫であるルセル男爵がいなくなった今、レイラに文句を言えるものは誰もいない。
「なぁんだ、商売って簡単じゃない。この調子なら、ジネットの市場なんてすぐに潰せてしまえるんじゃなくて?」
日々新しく入ってくる金貨を見ながら、レイラは高笑いした。
(このままオーロンド絹布の人気に便乗して、偽布を売って売って売りまくってやるわよ! そしてジネットが悔しがる顔を見てやるんだから!)
――だが、そんな彼女の野望は、一晩ですべて虫に食われることとなる。
「奥様、大変です! 保管室にあるオーロンド絹布が……!」
「一体何よ……。え? なにこれ……!?」
使用人のあわてた声に呼び出されてみれば、なんとレイラがため込んでいたオーロンド絹布が、一夜にして穴だらけになっていた。
「きゃあああ! 何よこれ! 私の布が……どうなっているのよ!!!」
使用人たちがバタバタと虫の除去に追われるそばで、レイラはイライラしながらバルテレミーの到着を待つ。
だが、いつもなら朝いちばんに飛んでくる美貌の詐欺商人は、その日に限ってはいつまで経ってもやってこない。
その上、宿泊しているという場所に使いをよこしても、部屋の中は既にもぬけの殻。
――実は昨夜のうちに、布に穴が開き始めたことに気付いたバルテレミーは、さっさと荷物をまとめて夜逃げしていたのだ。もちろん、レイラからもらったお金と、まだ渡していなかった売上金を持って。
(やられたわ! あの詐欺師め!!!)
思い出して悔しさに爪を噛むレイラに、ギルバートがやれやれと頭を振った。
「まったく。わたくし共は散々お止めしましたのに。それに虫を駆除するだけで、一体どれだけの労力と費用がかかったことか」
「だからって意地悪するのはよしてちょうだい! あなたも知っているでしょう? あの詐欺師に、今までの売り上げも渡して追加分も購入していたのよ。お金はもうほとんど残っていないの! このままじゃ社交界に出るドレスが買えなくなってしまうわ……!」
「なら買わなければよろしい。もしくはあなた方の宝石を売るか。どのみち、旦那様に託された奥様用のお金は底を尽きましたので、あきらめてくださいませ」
すげなく返されて、レイラは歯ぎしりした。
「なっ……! わたくしにそんな口を利いていいと思っているの!? この家の主人は私よ!? あなたのことだって、今すぐクビにできるんだから!」
「残念ながら、あなたにそんな権限はありませんよ。だって、この家の主人はまだ旦那様なのですから」
「な、何を……あの人がまさか生きているとでも!? もう行方不明になって二か月以上経つのに!」
動揺するレイラに、家令は淡々と答える
「簡単なことですよ。失踪による死亡が認められるのは、失踪から一年が経ってから。……つまり書類上では、まだ旦那様がこの家の当主なのです」
しれっと言われたその言葉に、レイラは金魚のように口をパクパクさせた。
「なっ……! なっ……! そ、そんなに時間がかかっていたら、残された家族が困るじゃないのよ!」
「おや。珍しく奥様がまともなことを言っていらっしゃいますね? それに関してはわたくしも同意ですが、法律は法律ですので」
「め、珍しくまともって何!? なんて口の利き方なの!」
来た時からずっといけすかない家令だとは思っていたが、最近は特に容赦がない。
レイラはイライラと爪を噛んだ。本当は今すぐギルバートをクビにしてやりたかったが、この男しか知らないことも多く、残念ながらそれはできなかった。
(でも……私が大人しくなるなんて思ったら大間違いよ!)
「ふん。いいわ! お金がないなら、自分で作ればいいんだもの!」
不敵に微笑むと、レイラは服の中に忍ばせてあった一枚の書類をスッと取り出した。
「それは……?」
いぶかしげに目を細めるギルバートの前で、レイラは自慢げにぴらぴらと紙を揺らす。
「ふふ……これはね、ルセル商会の権利書よ」
「なっ!? どこでそれを!?」
この国で商売をしたい場合、必ず国から小売りの権利書を取得しなければならない。
もし権利書なしに商売をすれば、それはすべて違法となるのだ。
つまりこの権利書こそ――ルセル商会の心臓とも言えるものだった。
「よりによって一番大事なその書類を、なぜ奥様が!? それは金庫に保管されていたはず……!」
動揺を見せるギルバートに、レイラはふふんと鼻で笑った。
「あの人がしこたま酔った時に、保管場所を教えてくれたのよ。もちろん、鍵の在りかもね」
その言葉に、ギルバートはくっとうめいて額を押さえた。
「旦那様……! 酒は吞んでも吞まれるなと、あれほど注意いたしましたのに……!」
「わたくし、知っているのよ。これを売り飛ばされたら商会は実質他の人の手に渡ってしまうんでしょう? それが嫌なら、さっさと金庫を開けなさい!」
レイラは権利書を手にギルバートに迫った。だが予想とは裏腹に、ギルバートは負けなかった。
「……それはできません」
「なんですって? 商会を売り払ってしまってもいいの!?」
「それが旦那様との約束ですので」
「何よ約束って!」
しかしこの後、レイラが何度権利書を盾に脅してみても、ギルバートは「約束ですので」と繰り返すばかり。
「何なのこの偏屈な家令は……! いいわ、そんなに約束が大事なら、商会は捨て値で売り飛ばしてやる! 大事な商会を失ってから泣いたって、もう遅いのよ!」
レイラはギルバートに指をつきつけると、肩を怒らせてのしのしと部屋を出て行った。
(今に見てなさい! 商会は何よりもジネットがこだわって来たものよ。それが他人の手に渡ったと知ったら……あの子、きっと悲しむでしょうね!)
いつも憎たらしいほど、ひょうひょうとしているジネット。その顔が絶望に歪むのを想像して、レイラはまたひとり高笑いした。