第30話 この世界では、よくあることです
「ジネット様! 今日の店頭分も残りわずかです!」
「なら、明日の分も出してしまいましょう! 追加分がそろそろ届くはずです!」
王都にあるマセソン商会で、ジネットは“ジネットを囲む会”――もとい、従業員たちとともに忙しく動き回っていた。
オーロンド絹布はパブロ公爵夫妻があちこちで話題にしてくれたおかげで、販売初日から売り切れに次ぐ売り切れ。
発売から一か月以上が経った今でも、入荷後即完売という状態が続いていた。
(クリスティーヌ様にドレスを贈った時点で、ヤフルスカのオーロンド絹布販売市場をすべて押さえたのに、それでもまだ足りないなんて……! 想定以上の勢いだわ!)
従業員たちに混じってジネット自身もせっせと接客をしていると、従業員用の入り口ではなく、お店の入り口から何か包みを抱えたクラウスが入ってくる。
彼はコートも脱がずにジネットのもとにやってくると、切羽詰まった様子で言った。
「ジネット、大変だ」
「どうされたのですか?」
「オーロンド絹布の偽物が出回っている」
その言葉にジネットははっと息を呑んだ。
続いてクラウスが差し出したのは、オーロンド絹布そっくりの布地が入った包み。
従業員に混じって働いていたサラが、異変に気付いて駆け寄ってくる。
「クラウス様、これは一体……!?」
「どうやら、数日前から出回っているらしい。その上、うちよりも安価なため、かなりの人がこちらに流れているようだ」
それを聞いたジネットが、思い出したようにあっと声を上げた。
「なるほど。それで先日、アイヤゴン服飾店とバリエ服飾店が、取引停止を申し出て来たのですね!」
「なんだって?」
クラウスの眉がぴくりと震えた。
オーロンド絹布は少し変わった売り方をしており、こうして店頭で売りに出す以外に、服飾店などの店にも卸している。
アイヤゴン服飾店とバリエ服飾店もその取引先だったのだが、先日急にやめたいと連絡してきていた。
「てっきり入荷が遅いのにしびれを切らしたのかと思ったのですが……新しい仕入れ先を見つけていたのなら、仕方ありませんね」
あっけらかんと言うジネットに、クラウスが眉をひそめる。
「仕方ありませんって……いいのかいジネット。取引先をふたつも失ったのに」
「大丈夫です、この世界ではよくあることですから! ……それよりも気になるのは、どこでこれを手にいれたのでしょう? ヤフルスカの正規流通ルートはすべて私が押さえたはずですが……」
言いながらジネットが、クラウスの持っている偽オーロンド絹布をつまむ。
そのまましばらくじっくり眺めてから……ジネットはにっこりと微笑んだ。
「……ああ、なるほど。でしたら大丈夫です。この布地なら、心配せずともすぐお客様は戻ってきますね」
意味ありげな言い方に、クラウスが目を細める。
彼の目には、この絹布の手触りといい輝きといい、どう見てもオーロンド絹布にしか見えなかったのだ。言われなければ、きっと偽物だとは見抜けなかっただろう。
「それは一体……? ……ああいや、今聞くのはよそう。ここで説明してもらわなくても、数日後には理由がわかるということなんだね?」
察しのいいクラウスに、ジネットはにこりと微笑んだ。
「はい! 早ければ三週間……いいえ、もしかしたら二週間でわかるかもしれません。それより、健康に害はないはずですが、買われた皆様はきっとびっくりしてしまわれるでしょうね……」
「ならば、注意喚起しなければいけないね。偽物にお気を付けくださいと」
「はい! お店の前に看板と、あとお客様方にもなるべくお知らせしなくては……!」
言いながら、ジネットがてきぱきと従業員たちに指示を出した。こういう時のジネットは、本当に行動が早いのだ。
「せっかくですから、今回浮いた分の布地は、お世話になっているお店に卸してしまいましょう。どこも最低限の数しかお渡しできなかったので、きっと皆様喜ぶと思います! 偽物の注意喚起も兼ねて、私が先方に直接持って行きますね」
「なら、僕も一緒に行こう。得意先回りデートだ。……いや、これをデートと呼んだら色気に欠けるか……?」
ううむと悩み始めるクラウスとは反対に、ジネットは口を押さえて喜びに目を輝かせた。
(と、得意先を回りながらデートもこなす……!? なんて効率的でワクワクするのでしょう!)
ジネットにとって、おいしいスイーツも綺麗な宝石もすべて市場調査の対象だ。
もちろんそういう普通のデートも楽しいが、一緒に取引先を回るデートなんて、社交界のどこを探してもクラウスぐらいしか付き合ってくれる人はいないだろう。
(ああ、さすがクラウス様……! 私の好みを熟知してくれているとは、なんてお優しいのかしら!)
「ぜひ、お得意様を回りましょう!」
ジネットは満面の笑みで答えた。そこに、クラウスが思い出したように付け加える。
「ああ、そうだ。得意先のついでに、以前舞踏会で話していたパキラの友人にも会ってもらえないだろうか? どうも彼が、僕の婚約者に会わせろとしつこくてね……会わせるまで引き下がらないと言っているんだ」
「もちろんですよ! ……でも、大丈夫なのでしょうか……? そのう、私を見たらお相手ががっかりするのでは……!?」
ジネットは、今までも散々「こんなのがクラウス様の婚約者?」と笑われてきたのだ。
自分が笑われる分には慣れっこだが、クラウスの友人をがっかりさせたくなかった。
「大丈夫だよ、ジネット。君のすばらしさは僕が保証する」
慈愛に満ちた優しい笑みを向けられて、ジネットの頬が赤くなる。
「それに、君の良さがわからないのなら、そこまでの人物ということさ」
言って、クラウスはにっこり笑った。