第29話 ああ、イライラする(義母視点)
「ねえお母様……。お姉様が売っているあのキラキラする布、私も欲しいわ。どうにか連絡をとって持ってきてもらえない?」
レイラたちが大恥をかいた舞踏会から、一か月。
その日、いつものように甘い声でねだる娘アリエルの声を聞きながら、レイラはイライラと爪を噛んでいた。
「やめてちょうだい! あなたまであの子の話をしないでよ!」
「だって社交界でみんなが着ているのよ。綺麗だし、私だけ流行に乗り遅れたくないわ!」
――舞踏会の後、ジネットはすぐさまお礼にとパブロ公爵夫人にオーロンド絹布を使ったドレスを贈った。
夫人はそのドレスをいたく気に入って、連日サロンで色々な人に推薦していたのだという。
その結果“パブロ公爵夫人お気に入りの品”として、オーロンド絹布が社交界の流行の最先端に躍り出ることに。満を持してマセソン商会で売り出されるや否や、注文が殺到。
今はどんなにお金を出そうとも、入手自体が困難となっていた。
「何よ。お母様のケチ。いつもみたいにお姉様に持ってきてって言えばいいだけじゃない!」
口を尖らせてすねる娘に、レイラははぁと大きくため息をついた。
(まったく! どいつもこいつも口を開けばジネット、ジネットって……! この家の主人は私なのよ! だというのに、使用人はやめていく一方だし……一体どうなっているのよ!)
レイラたちの食事は相変わらず料理人見習いが作っているし、使用人が次々とやめていくせいで、最近は屋敷の中が常にほこりっぽい。
何より腹が立つのは、やめた使用人たちが皆ジネットのいるギヴァルシュ家に引き取られていることだ。
(クラウスもクラウスよ! 今まで面倒を見てやった恩も忘れてジネットを選ぶなんて……! 見目が良いからこれからも引き立ててあげようと思っていたのに、なんて腹の立つ子なの!)
面倒を見たのはあくまでルセル男爵。
だが、レイラの中ではその功績もレイラのものとなっていた。
(ジネットなんて、すぐに社交界から消えると思ったのに、消えるどころかパブロ公爵夫妻に取り入って返り咲くなんて……! ああ、腹立たしい! 何か、ジネットをぎゃふんと言わせるような楽しいことはないのかしら!?)
レイラがイライラしていると、窓の外を見ながらアリエルが声を上げた。
「あら? お母様。今、門のところで追い返されようとしているのって、お母様のお気に入りの商人じゃなくて? 名前はバルテレミーだったかしら?」
「何がお気に入りよ! あの男、わたくしたちに偽物の宝石なんか売って……! おかげで大恥かいたのを忘れたの!?」
宝石だと思って買ったものが全部ガラスだった事件は、思い出すだけで顔から火が出そうなほど恥ずかしい。
(どれだけ顔がよくても許すものですか!!!)
レイラが憤っていると、アリエルが「あら?」と声を上げる。
「ねえ……もしかして彼が持っているのって、お姉様の売っている布じゃない!? すごくキラキラして綺麗! 私、見せて欲しいわ!」
「ちょっとアリエル、やめなさい!」
だがレイラが止める間もなく、アリエルがさっさと駆け出してしまう。
――数分後。レイラの前にはキラキラした布を抱えながら、ニコニコと微笑む若き詐欺商人バルテレミーがいた。
「奥様! 再びお会いできて大変光栄です。わたくしの審美眼が足りなかったばかりに、奥様……いや、レイラ様に恥をかかせてしまったことを、とても申し訳なく思っていたのです! ああ、それにしてもなんと美しい……! わたくし、久々にレイラ様にお会いして確信いたしました。社交界ではパブロ公爵夫人が話題になっているようですが、私から言わせればレイラ様こそ、社交界の花であるべきです!」
並びたてられる美辞麗句を、レイラはイライラしつつもしっかり聞いていた。
(ふん。何よ詐欺師のくせに……。まあでも見る目だけはあるようね? パブロ公爵夫人は元王族で公爵夫人だから騒がれているけど、生まれが違えば、私だってあの位置に立っていたはずなのよ)
とは言え、まだ偽物を売りつけたことを許してはいない。
ツンと横を向くレイラに、バルテレミーが猫なで声で話しかける。
「この間はわたくしの落ち度で高貴なレイラ様に大変ご迷惑をおかけいたしました。そのお詫びと言ってはなんですが、レイラ様にだけ、特別な話を持ってきたのですよ」
「そう言ってまた私を騙そうとしているんでしょう? その手には乗らないわよ。さっさと帰ってちょうだい」
すげなく追い返そうとするレイラに、バルテレミーが意味ありげな笑みを浮かべる。
「聞いたところによると……レイラ様は継子であるジネット嬢に、思うところがおありのようですね?」
「っ……! どこでそれを!? でもあなたには関係ないことだわ!」
「いいえ。関係あります。なぜなら私が持ってきたのは、彼女――ジネット嬢の名声を、一瞬で奪える布地なんですから」
『ジネットの名声を、一瞬で奪える布地』
その単語に、レイラがばっと商人を見た。
「……どういうことなの。説明してちょうだい」
「おおせのままに」
待っていましたとばかりに、バルテレミーが腕に抱えていた布地を広げてみせる。アリエルが、『ジネットの売っているキラキラした布』と言っていたものだ。
机の上にさらりと広がる布地は、まぎれもなく先日舞踏会で見た輝きを放っている。
「ご覧ください。これは社交界で話題のオーロンド絹布……によく似た布です。どうぞお手に取って見てください。素人目には、これはオーロンド絹布にしか見えないでしょう?」
「本当だわ。どう見てもお姉様の持っていた布そのものだけれど……違うの?」
横から口を出してきたアリエルが不思議そうに首をかしげると、バルテレミーは微笑んだ。
「ええ。非常に近しいものではありますが、別物なのですよ。……これは仕入れ値が高いのでわたくしひとりではあまり買えませんが、レイラ様が出資してくだされば話は別。そして供給が追い付いていない今、入荷すれば入荷した分だけ、飛ぶように売れるでしょう。もちろん、出資してくださった分の利益は、レイラ様にも還元いたします」
「つまり、どういうことなの?」
レイラは普通の伯爵令嬢として生きてきたため、お金のことにはあまり詳しくない。
バルテレミーは表情を崩さずに、レイラにもわかるよう優しくかみ砕いて説明した。
「レイラ様がお金を出し、私がそれを売る。そして出た利益を山分けすることで、ふたりとも儲かり、さらにジネット様の市場を奪うこともできるということです。……きっと、ジネット様は悔しがりますよ」
ジネットが悔しがる。その言葉に、またレイラの肩がぴくりと揺れた。
(市場を奪えば、ジネットが悔しがる……!? 魅力的な提案じゃない……! でも)
レイラは警戒したように目を細める。
「でもねえ……。先にお金を渡したら、あなたは逃げるかもしれないじゃない。そんな口車にやすやすと乗るほど、わたくしは愚かではなくてよ」
「おお、おお、もちろんそうは思っていませんとも。レイラ様がそう言うと思って、いくつか段階をご準備させていただきました。安心できるよう最初は少額でお取引し、信頼を勝ち得るまでは大きな取引はしないというのはいかがでしょう?」
「ふ、ふうん……?」
(ずっと少額なら……最悪お金だけ持って飛ばれても、大した損失にはならないわよね? それに、商品もバルテレミーには渡さず、直接この家に運んでもらえれば持ち逃げのしようがないわ。その上でジネットに嫌がらせできるのなら……)
レイラは頭の中でじっくりと考えた。
それから真っ赤な唇をにぃっとつり上げると、女王のように威厳たっぷりの仕草で手をバルテレミーに差し出す。
「乗ったわ、その話」




