第26話 ピンクサファイア……?
「まあ、アリエル! それにお義母様もいらしていたのですね」
ふたりの姿を見たジネットが、にこやかに言う。
(そして今日も胸元に燦然とガラス玉が輝いていらっしゃるわ……! もしかして新しい流行なのかしら? 後で調べないと)
そんなジネットとは反対に、ふたりはなぜかものすごく機嫌が悪そうだった。
はぁ、とため息をつきながら義母のレイラが続ける。
「まったくあなたは……悪目立ちして、我が家の品格を下げたいの? 何なのかしらその化粧は。あなたは顔が地味だと、前に忠告してあげたじゃない」
「そうよお姉様。それにそのドレスは何? ギラギラして、まるで娼婦みたいだわ」
「娼婦ですか……? この生地は先ほど、クリスティーヌ公爵夫人が褒めてくださったものですが……」
クリスティーヌ公爵夫人の名前に、アリエルがぎくりとした顔になった。
一介の男爵令嬢が、公爵夫人の褒めたドレスをけなしたと知られたら……当然、とてつもなく顰蹙を買う。
アリエルは急いでごまかすように咳払いした。
「お、おほん! 私の見間違えですわ。……とってもお上品で綺麗なドレスです」
「ありがとう! 嬉しいです!」
(まさかアリエルに褒めてもらえるなんて……やっぱりクリスティーヌ様はすごい! 今日はいいこと続きだわ)
ジネットがほくほく顔でアリエルを見つめて微笑んでいると、たまりかねたらしい義母が一歩ずいと進み出た。
「大体、お前は何なのです!?」
それから周りに聞こえないよう、ひそひそと囁く。
「パブロ公爵とあんなに親しそうに話して……! 一体どんな汚い手段を使って近づいたのですか!?」
「ああ、あれはすべてお義母様のおかげです! その節は本当にお世話になりました」
「わたくしの……!?」
怪訝な顔をする義母にジネットがきりっとした表情で答える。
「はい! 実はお義母様たちが私にくださった数々のご褒美のおかげで、公爵閣下の危機をお助けできたのです!」
それを聞いた途端、今度は一転して義母がそわそわとし始めた。その姿はまるで、美しい令息を前にした乙女のように恥じらっている。
「ふ、ふうん? よくわからないけれど、わたくしのおかげなのね? ……そのことは、ちゃんと公爵閣下には伝えた?」
「はい! 根掘り葉掘り聞かれましたので、ちゃんとしっかりお伝えいたしました! 今までお義母様たちが愛のムチで私の精神を鍛え上げてくださったこととか、短期間で要求された数々の品をどうやって手に入れたのかとか、なぜ私が家を出たのかとかも全部――」
「まってまってまって! そこも話したの!? 全部!?」
あわて始めた義母に、ジネットは満面の笑みで答えた。
「はい! 以前お義母様に言われた『お前はメス豚ね!』という言葉が斬新だったようで、閣下は目を丸くしていました。それからアリエルに言われた『お姉様はアバズレと言うのですって』という言葉を聞かせましたら、感動で涙ぐんでいらっしゃいましたよ」
ヒュッと息を呑んだのは、義母だったかアリエルだったか。どちらにせよ、ふたりはそろって顔面蒼白になっていた。
「あ、あれ……? ふたりとも、大丈夫ですか? 顔色が悪いようですが……」
心配したジネットが、義母に手を伸ばそうとした時だった。
「さわらないでちょうだい!」
わなわなと震えた義母がパンッとジネットの手をはじき、勢いあまってそのままアリエルの顔に当たったのだ。
「きゃあ!」
高い悲鳴が上がり、同時にブツンという音がして、アリエルのネックレスが千切れる。
それから――カシャーンと床に落ちる音がして、アリエルのつけていたピンクのガラス玉が砕けた。
アリエルが悲鳴を上げる。
「ああっ! 私のピンクサファイアが!」
(ピンクサファイア?)
その言葉に、ジネットは首をかしげた。
一方のアリエルは、割れたガラス玉を見ながら哀れっぽく叫んでいる。
「ひどいわお姉様! いくら私が嫌いだからって、こんなことをするなんて!」
手がぶつかったのは義母だが、アリエルの中ではジネットが悪いことになっているらしい。
そこへ、飲み物を持ったクラウスが帰ってくる。
「どうしたんだい、ジネット」
「実は……アリエルのネックレスが、お義母様の手に当たって落ちた時に割れてしまいまして」
ジネットが説明している横でも、ふたりはギャンギャンと騒いでいた。
「お姉様のせいよ!」
「そ、そうよ! あなたが変なことを言うから動揺してしまったのよ!」
甲高いふたりの声に周囲が何事かとざわめき始め、ジネットは焦った。
(ま、まずい……! パブロ公爵夫妻の記念舞踏会、騒ぎを起こしたくありません!)
これぐらいの言いがかりは慣れっこだから痛くも痒くもないが、せっかくのめでたい日に水を差すようなことはしたくない。
ジネットはすぐさま進み出た。
「ネックレスは私が弁償いたします。なので教えてください。これはどこの工房のガラス細工でしょうか?」
「え? ガラス?」
その言葉に、アリエルが信じられないという目でジネットを見た。
「何言っているのよお姉様。これは選び抜かれたピンクサファイアよ?」
「え? でも……」
ジネットは困惑した。
産地が違うとかカラット数が違うとか、そういう問題ではない。
(どう見てもガラスはガラス、よね……!?)
そもそも本物のサファイアは、落ちてもこんな砕け方はしないのだ。
戸惑うジネットに、顔を真っ赤にさせた義母が怒鳴る。
「ジネット! 言いがかりはよしてちょうだい! これは私の信頼する商人から買ったれっきとした品よ! ガラスの訳がないでしょう!」
「お義母様……ちなみに商人のお名前、あるいは商会のお名前は覚えていらっしゃいますか?」
「え? ……あの素敵な殿方は……お、おほん。いえ、あの気概のある商人は、確かバルテレミーと言っていたわね」
義母が途中、頬を赤らめながら言った名前に、ジネットは口を押さえた。
(バルテレミー! 界隈では有名な詐欺商人の名前だわ!)
それは甘いマスクと巧みな話術で貴族の奥方たちに取り入り、偽物の宝石を売りつける詐欺商人バルテレミーの名だった。
彼は以前ジネットにも取り入ろうとしてきたことがあったが、当然その場で偽物と見抜いて、お引き取り願ったことがある。以来カモにならないと判断されたのか、一度もやってきていなかったはずだが……。
「どういうことだい?」
眉をひそめるクラウスに、ジネットはひそひそと耳打ちした。
「実は、お義母様たちが宝石と偽ったガラスをしこたま買わされていたようなのです……!」
状況を把握したクラウスが、すばやく周囲に視線を走らせる。
「わかった。ここは僕に任せて」
そう言うと、今度はクラウスがすばやく義母に耳打ちした。
途端、義母の顔がサァーッと青ざめる。
「そ、それは本当なの……!?」
「ええ。疑うようなら、知り合いの鑑定人をご紹介しますよ。それよりも、この状況で騒ぐと恥をかくのはあなたがたの方かもしれません。……ガラスを買わされたと、周りに知られてしまいますよ?」
『ガラスを買わされた』
その言葉に、義母がヒュッと息を呑んだ。それから青ざめたまま、乱暴にアリエルの腕を引っ張る。
「きょ、今日は体調が悪いわ! アリエル、帰るわよ!」
「えっ? でも、お母様、まだ舞踏会は始まったばかりで……!」
戸惑うふたりを、ジネットははらはらした目で見つめる。
今まで、変な輩はすべて父とジネットのふたりがブロックしていた。
けれど家を離れた途端、詐欺商人バルテレミーに嗅ぎつかれてしまうとは。
(ああ、お義母様は大丈夫かしら……! それに豪遊はともかく、偽物を買わされたなんて知ったら、お父様がきっと悲しむわ!)
ルセル家は社交界の常識から何かとはずれがちな成金貴族。
だが、だからこその美徳も持っている。
『金は惜しまず使え、その代わり偽物だけは買うべからず』
家訓でもある父の言葉を思い出しながら、ジネットは家令のギルバートに手紙を送ろうと強く誓ったのだった。