第24話 私は、商売が大好きです
ジネットはハッとした。
(しまった! 社交界で労働は悪なのに、うっかり売ると言ってしまったわ!)
特に女性が商売を行うのは忌避されており、婚約者であるクラウスまで非難されてしまう可能性もある。
(……けれど)
ジネットは顔を伏せた。
(異端かもしれないけれど、働くのが恥ずかしいことだなんて私は思わない……。自分の力が社会の役に立っているのなら、それはすばらしいことだって、以前クラウス様もおっしゃっていたもの。今ここで私が恥じたら、それこそクラウス様の気持ちを踏みにじることになってしまう……)
それからジネットは顔を上げ、まっすぐに夫人を見つめる。
「はい。……実は私、商売が大好きなんです」
『――お嬢様! これ、すごく便利ですね!? 背伸びしなくても部屋の隅々まで届きますよ!』
ジネットの開発した伸縮式ハタキに目を輝かせるサラの姿を思い出しながら、ジネットは続けた。
「私が見つけてきたもの、手掛けたものでみんなが笑顔になってくれるのが、とっても嬉しいんです」
『――ジネットちゃんのところで売ってるハンドクリームが一番いいね。あれ以来、冬でもあかぎれ知らずだって、うちの奥さんが喜んでいたよ! また頼めるかい?』
そう言って喜んでいたのは、父とも付き合いの長いおじ様だ。
「商品を売ることで感謝したり、感謝されたり、思わぬ方と縁が繋がったり……そしてそれが、まわりまわって自分たちの幸せにも繋がると思っているんです」
『お嬢様!』
『ジネットちゃん』
『ジネットお嬢様』
ジネットを支え、商品を喜んでくれる人たちの顔を思い出しながら、ジネットはクリスティーヌ夫人に向かって真剣な表情で言う。
「だから……貴族女性が労働なんてと、気分を悪くさせてしまったら申し訳ありません。でも、私は商売がとっても好きで、同時にとっても誇りに思っているんです……!」
頬を紅潮させ、ドキドキしながらジネットは言いきった。
(言った……! ついに言ってしまったわ……!)
目の前ではパブロ公爵とクリスティーヌ夫人が、ジネットの勢いに驚いて目を丸くしている。
そこへ、声を上げて笑うものがいた。
「……ぷっ。聞いた? あの子、あいかわらず商売しているんですって。貴族なのになんて品がないのかしら。さすが成金ね」
一瞬夫人が言ったのかと思ったその言葉は、近くに立つ令嬢の言葉だった。
ジネットは表情を変えずに、ぎゅっと拳を握る。
(それくらい、今までずっと言われてきたこと。全然平気よ!)
けれどそんなジネットとは反対に、眉間にしわを寄せて令嬢の方を向いた人がいた――クリスティーヌ夫人だ。
「あら、そうかしら? 私はそうは思わないわ」
(クリスティーヌ様……!?)
思わぬ言葉にジネットのみならず、パブロ公爵やクラウスたちも驚いている。
みんなが見つめる中、クリスティーヌ夫人がジネットを鼻で笑った令嬢に冷たく言った。
「お金は大事なものよ。私たち貴族が、いいえ王族だって、民たちが頑張って働いているからこそ生きていられるの。なのに労働をバカにするなんてとんでもないわ。元王族の私ですらそんなことはしないのに……もしかしてあなた、神にでもなった気でいらっしゃる?」
威厳たっぷりの言葉に、嘲笑していた令嬢がサーッと青ざめる。
「も、申し訳ありませ……! そんなつもりでは……!」
「ならその口はつぐんでいることね。わたくしのお客様に対して侮辱は許しませんよ」
「はっ、はい! 大変申し訳ありませんでした!」
それから彼女はひとしきり謝ると、同伴の男性と一緒にそそくさとその場から逃げ去った。
そんな令嬢の後ろ姿を見ながら、夫人がふぅとため息をつく。
「まったく、一体どこの誰なのかしら? 貴族女性が働いたら恥ずかしいなんて考え方を広めたのは!」
「いやあ、それはなんというかこう、時代の流れ的な……」
思い切り保守派であるはずのパブロ公爵が、苦笑いしながら言う。そんな公爵には構わず、クリスティーヌ夫人がジネットに優しく微笑みかける。
「わたくし、以前から常々思っていたのよ。貴族女性だって働いてもいいじゃない、家以外の場所で輝いたっていいじゃないって。それに、商売ができるだけでも素晴らしいのに、あなたは信念を持っていてとてもかっこいいわ! わたくしは機会を失ってしまったけれど、ぜひ応援させてちょうだい!」
その瞳は優しく力強く輝いており、夫人が本心から言っているのがわかる。
(嬉しい……! まさかクリスティーヌ様が、味方をしてくださるなんて!)
感動に、目が潤みそうになる。
そんなジネットを励ますように、夫人はジネットの両手をつかんだ。
「先ほど、そのドレスの布地を売り出すと言っていたわね。ならば、一番初めにわたくしに売ってくれないかしら? ぜひ顧客第一号になりたいわ」
願ってもいない提案だ。ジネットは嬉しくなって、にっこり微笑んだ。
「もちろんです! いいえ、むしろ私からクリスティーヌ様にプレゼントさせてください!」
美しく、それでいて絶大な知名度と人気を誇るクリスティーヌ夫人が着てくれれば、その名は一夜にして広がることは間違いないだろう。
オーロンド絹布の注文が殺到するのは、この時点で確定したも同然だった。
「嬉しいわ。わたくしたち、ぜひお友達になりましょうね!」
ジネットはクリスティーヌ夫人とともに、キャッキャと喜んだ。
それからひとしきり歓談した後、後ろの列に気付いたクラウスがそっとジネットに囁く。
「さ、ジネット。そろそろ僕たちは行こう。他の来場者も閣下の挨拶を待っている」
「はい! それでは、私たちはこれで」
夫妻に見送られて、クラウスとジネットはダンスホールに進み出た。
頭上では豪華なシャンデリアがキラキラと揺れ、まるでふたりの登場を待っていたかのようにタイミングよく音楽が始まっている。
気付いたクラウスが、優しい瞳でジネットに手を差し出した。
「ジネット、僕とぜひ一曲」
「はい! クラウス様」
嬉しそうに微笑みながら、ジネットはクラウスの手に自分の手を重ねた。