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第19話 クラウス様、どうしましょう

 ――パブロ公爵の本邸グランベロー城は、都心から馬車を走らせること半日。

 約千エーカーもの広大な敷地に、歴史を感じさせる重厚感をただよわせて鎮座(ちんざ)していた。


「この荘厳そうごんさは圧巻ですね!」


 ジネットは馬車の小窓から覗き込みながら、興奮したように言った。それをクラウスが穏やかに見守っている。


「さすがグランベロー城だね。外門から内門だけでも千ヤード、さらに内門から玄関も千ヤードあるそうだよ」

「それだけあったらお店が何件開けてしまうのでしょう!? 規模が尋常じゃありません!」


 窓の外に広がる芝生は青々と綺麗に刈り揃えられており、この広さの芝生を維持するだけでも相当な労力が必要だ。


 やがて迎え入れられたグランベロー城内部も、ドーム型の高い天井には緻密(ちみつ)な天使画が描かれ、あまりの豪華さに思わず拝んでしまいそうなほど。

 ジネットは天井画を見ながら、ほうっと感嘆のため息をもらした。


「クラウス君、ようこそ来てくれた」


 出迎えてくれたのは、もちろんパブロ公爵だ。どっしりとした体躯(たいく)に、四角い顔にはたっぷりの髭。

 威厳に満ちた様子で公爵が手を差し出すと、クラウスはその手を握りながらさわやかな笑みを浮かべた。


「こちらこそお招きいただきありがとうございます、閣下(かっか)。グランベロー城に招待していただけるなんて光栄の極み。隣にいるのが、婚約者のジネットです」


 紹介されて、ジネットはちょこんとお辞儀(カーテシー)を披露する。


「ほう、これが君の……」


 ちら、と向けられた瞳が一瞬細められる。

 しかし、それきりジネットにかける言葉はない。反応からして、やっぱりジネットの評判を聞いたことがあるのかもしれない。


 ジネットはにっこり微笑んだ。


(なんと思われていようが気にしないわ! それより今日は借りて来た猫のように振舞わなければ……! でしゃばらずに、控えめに。何より、絶対に失礼のないようにしないと!)


 社交界でのパブロ公爵の影響力は絶大。そんな彼に気に入られれば、当然社交界で一目置かれることになる。

 今さらジネットの名誉挽回(めいよばんかい)は考えていないが、これ以上クラウスの足だけはひっぱりたくなかった。


「さ、立ち話もなんだ。奥で話そうじゃないか。君がヤフルスカ王国で学んできたことを私にもたっぷりと聞かせてくれ」

「喜んで」


 通された応接間では、ジネットはふたりの会話に相槌(あいづち)を打ちながら、時折ちらりと室内に目線を走らせていた。


  壁一面に飾られた絵画はどれもよだれが出そうなほど美しく、できればこんな遠目からではなく一枚一枚、じっくりと眺めたい。


(あああ、あそこに飾ってあるのは、カブール美術の頂点と名高い名画……! こっちの緻密な描写は、希少なギュスネー派の一枚だわ……! それに防寒用のタペストリーも、すべて上質なルブット織なのはさすがです!)


 そうやってちらちらと部屋の中を観察していると、パブロ公爵が思い出したようにジネットの方を見た。


「さっきから難しい話ばかりですまないね。お嬢さんには退屈だろう」

「いえ、お気になさらず。とても興味深いお話です!」


 それは嘘でもなんでもなく、本音だった。


 実際クラウスとはよくそういう話をしていたし、彼がヤフルスカで学んできた話を聞くのも楽しみにしていたのだ。

 いつもだったらとっくにクラウスを質問攻めにしているところなのだが、今日は“大人しい普通の令嬢”を演じるのが任務のため、借りて来た猫のように静かにしていた。


(いまは我慢、我慢……。帰ってからいっぱい聞かなくては!)


 と、そこへ、コンコンとノックの音がして、執事と思わしき男性が入ってくる。


「旦那様、ご注文の品が届いたようです。お部屋にお持ちいたしますか? それとも今ここに?」


 途端、パブロ公爵の顔がパッと輝いた。

 それは、落ち着きのある公爵の顔ではなく、新しいおもちゃを目の前にした少年のように無邪気な顔。


「ここに! いますぐここに持ってきてくれ!」

「かしこまりました」


(一体、何が運ばれてくるのかしら……?)


 ちらりとクラウスを見ると、彼も何なのかは知らないらしく、不思議そうな顔をしている。

 一方、先ほどよりうきうきとした様子で、パブロ公爵が言った。


「実は、もうすぐクリスティーヌとの二十回目の結婚記念日でね。記念にこれを贈ろうと思っているのだ」


 運ばれてきたのは、南国の美しい海をそのまま固めたような、明るく鮮やかなブルーグリーンの宝石が連なったネックレス。一粒一粒がどれも大振りで、見たことないぐらいまばゆく、豪華な一品だった。


「これは……! もしかして、バイラパ・トルマリンではありませんか!?」


 すぐさまジネットが興奮したように声を上げた。見開かれた目が、鮮やかな光を放つ宝石にくぎ付けになる。


「ほう? すぐに見抜くとは、噂は本当らしい」


(噂って、どの噂のことかしら……?)


 気になりつつも、ジネットの目は宝石にくぎ付けだった。

 なにせ目の前にあるのはめったにお目にかかれない、ものすごく希少価値の高い宝石なのだ。商人魂がうずかないはずがない。


 ジネットは(せき)を切ったように熱く語り始めた。


「トルマリンは、ない色がないと言われるほど種類豊富な宝石ですが、その中でも近年バイラパ州で見つかったバイラパ・トルマリンは唯一無二! 美しさと希少価値で並ぶものはなく、トルマリンの王様とも呼ばれていますよね!?」

「確かに商人からも似たような説明を受けたな。それで……おほん。やはり、女性から見てこれはいい宝石なのかね? 妻の瞳の色と同じだから選んだのだが、喜んでもらえると思うかね?」


 そう言ったパブロ公爵は、どこかそわそわとして落ち着かなさげだ。

 どうやら女性であるジネットに、このプレゼントの可否(かひ)を判断してもらいたいらしい。

 ジネットは微笑んだ。


「もちろんです! 例えバイラパ・トルマリンの名を知らなくても、こんなに美しい宝石ですもの。それに瞳の色と同じなんて、なんてロマンチックなのでしょう! センスのいいクリスティーヌ様だったら、きっと喜んでくれると思います!」

「そうか、そうか」


 うなずくパブロ公爵は満足げだ。

 それを見て、ジネットはもう少しだけ身を乗り出す。


「あのう……もう少し近くでじっくりよく見ても!?」


 こんなにたくさんの高品質バイラパ・トルマリンを近くで見る機会なんて、そうそうない。

 いつもポケットに忍ばせている、特別に作ってもらった小さな虫眼鏡もひっぱりだす。


「ついでに、こちらを使っても!?」


 ジネットが持っているものに気付いた公爵が、目を丸くして笑った。


「虫眼鏡? お嬢さんはおもしろいものを持ち歩いているのだな。傷さえつかなければ、どれだけじっくり見てもらっても大丈夫だ」

「ありがとうございます! トルマリンはナイフでも傷をつけられない硬さですから、よっぽどのことがない限り大丈夫です!」


 ジネットはすぐに嬉々(きき)としてバイラパ・トルマリンを観察しはじめた。その横で、パブロ公爵とクラウスがまた歓談(かんだん)を始める。


(ああっ! なんて美しい輝き! 鮮やかなブルーグリーンは本当にどれも()み渡って、まさにトルマリンの頂点と呼ぶにふさわしい輝きだわ……! って、あら……?)


 宝石の一粒一粒の輝きを楽しむようにじっくりと眺め――それからジネットは、サーッと青ざめた。


「……ジネット?」


 すぐに、ジネットの異変に気付いたクラウスが声をかけてくる。


 ジネットはのろのろと顔を上げた。その顔はいまや、死人のように青ざめている。


「あの……クラウス様……」


(――どうしましょう、この中に、偽物が混じっています……)


 口には出せず、ジネットは金魚のようにパクパクとあえいだ。

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