第18話 ぜひ勉強のために!
「……うん、ちゃんと、全部揃っているわ!」
帰ってきたギヴァルシュ伯爵邸で、ジネットはサラとともにルセル家から運び込まれた資料を確認していた。
ここはジネット専用の書斎。
持って帰って来たノートは壁一面の本棚を占領するとんでもない量になっていたが、やはりそばに置いておくと安心する。
なんと言っても、ジネットが長年記してきたすべてがそろっているのだ。
満足げに眺めているジネットに、サラが手を拭きながら言う。
「それにしても、さすがクラウス様ですね。お嬢様のお部屋以外に、書斎まで用意してくださるなんて」
「そうなの! 私もまさか、自分の書斎がもらえるなんて思ってもみなかったわ!」
この国では、貴族女性が働くことは卑しいことだとされている。労働は堕落の証であり、妻や娘を働かせた当主は嘲笑の的にすらなった。
けれどクラウスは、やはりジネットの父の影響を色濃く受けているからなのだろうか。
ほかの家だったら絶対にありえない、ジネット専用の書斎を作ってくれたのだ。
「やっぱり自分用の書斎って最高だわ……! 本にはすぐ手が届くし、机だって大きくてたくさん資料を広げられるし、こんなお部屋で仕事するのが夢だったの! 次は何の商品を出そうか、考えただけでわくわくするわね!」
ジネットはうっとりしながら、つややかな黒檀の机にほおずりした。机は両手を伸ばしても端と端に届かないほど大きく長く、引き出しもたっぷりと用意されている。
「そんなに喜んでくれると、用意したかいがあったよ」
涼やかな声が聞こえて、ジネットははっと姿勢を正した。
目の前では、クラウスが口元を押さえてくすくすと笑っている。サラがさっと駆け寄ってきて、ジネットの髪の乱れを直してくれた。
「ご、ごめんなさい。恥ずかしいところを……!」
「いいんだ。喜んでくれているようで何より。それに、僕たちはこれから夫婦になるんだから、何も恥ずかしいことなんかないよ」
「そういうものですか……?」
「それに、本当はね。ジネット」
言いながら、クラウスが一歩近づいてくる。
「僕の書斎に君の机を入れてもよかったんだけれど……そうすると、ずっと君を眺めてしまって仕事にならなそうだから、泣く泣く諦めたんだ」
そう言い切った彼の顔は、なぜか頬が赤らんでいた。
(私を眺める……? サーカスの珍獣的な意味合いでしょうか?)
クラウスのような絶世の美男美女ならともかく、ジネットを眺める利点はあまりない。考えていると、彼が思い出したように言った。
「そうそう、僕が留学から帰ってきたのを聞いて、パブロ公爵から家にお呼びがかかったんだ。よかったらジネットも、明後日一緒に来てくれるかい? 改めて、婚約者として紹介したいんだ」
「パブロ公爵からですか……!?」
パブロ公爵と言えば、この国でも有数の大貴族。
家系から何人もの王妃を輩出し、また何人もの王女が嫁いできた家でもある。現在のパブロ公爵夫人も元王女で、それはそれは美しいご婦人だった。
「クラウス様はすごい方とつながりがあるのですね!」
「どうやら、公爵は僕の経済論文をいたくお気に召したらしい。留学中の話も聞きたいそうだ」
「でも、私が同行しても大丈夫なのでしょうか。公爵はとても厳しい方だとお聞きしますし……」
そんなパブロ公爵は齢五十の、伝統を重んじる保守派のはず。
価値観は貴族中の貴族とも言うべき人物で、女性が働くなんてもってのほかという考え方だ。
また、強面で気難しい人物としても知られており、下級貴族にすぎず、堂々と商売を公言しているジネットは毛嫌いされてもおかしくない。
「私を連れて行ったら、クラウス様にご迷惑がかかるのでは……?」
ジネットの言葉に、クラウスが微笑む。
「大丈夫だよ。公爵は気難しいところはあるが、偏見だけでけなすような人ではない。実は許可も既に得ているんだ。奥方のクリスティーヌ夫人は実家に帰っていて不在のようだけど……どうだい、君もあの“パブロ公爵本邸”に行ってみたくないかい?」
クラウスの言わんとしていることがわかって、ジネットはごくりと唾をのんだ。
(パブロ公爵本邸と言えば、かの有名なグランベロー城! きっとお宝の山だわ……!)
公爵家は普段、夜会を行う際は豪華な会場を貸し切ったり、専用のダンスホールがあったりと、なかなか本邸に踏み入れる機会はない。
だが由緒正しい本邸には、歴史ある数々のお宝が置かれていると、風の噂で聞いたことがある。
一度は社交界とお別れすることも本気で考えたジネットだが、グランベロー城を拝める機会があるのなら、お金を積んででも行きたかった。
(これはクラウス様が作ってくださったまたとない機会! ぜひ勉強のために、見学させていただきたいわ!)
ジネットはぐっと拳を握ると、目をきらきら輝かせながら言った。
「行きます! ぜひ、私も連れて行ってください!」