第16話 『死んでも嫌』
クラウスとともにガタゴトと揺れる馬車に乗りながら、ジネットは考えていた。
(お義母様とアリエルは元気にしていらっしゃるかしら? と言っても家を出てまだ一週間しか経ってないけれど)
あれから一晩経って、ふたりはサラと荷物運び係数人とともに、ルセル家に向かっていた。
後ろの荷馬車にはサラたちが乗っており、前を走る馬車に乗っているのはジネットとクラウスのふたりだけ。
そのクラウスは、ジネットを見ながらひたすらニコニコとしている。
ジネットも微笑み返した。
(この間お義母様たちの話をした時は怒っているような気がしたけれど……今日のクラウス様はいつも通りとてもにこやかだわ! きっと気のせいだったのね)
ジネットがほっとしていると、ガタンと音がして馬車が止まる。
どうやらついたらしい。
先に降りたクラウスに手を支えられて、ジネットは一週間ぶりの実家に降り立った。
途端に、ジネットの姿に気付いた門番が駆け寄ってくる。
「お嬢様、元気にしておられましたか! みんなお嬢様のことを心配していたんですよ!」
「私は元気よ、ありがとう! あなたは元気?」
久しぶりの再会に和気あいあいとしていると、誰かが呼びに行ったらしい家令のギルバートが、にこにこしながらやってきた。
「お嬢様、お会いしたかったですよ」
「ギルバート! 少しだけお久しぶりね。みんな元気にしていたかしら? お義母様たちも元気にしていらっしゃる?」
「奥様方は元気といえば元気ですが……」
歯切れの悪い回答に、あら? とジネットは首をかしげる。
「というと……?」
「実は……家令として情けないことですが、お嬢様が家を出たのを機にやめる人が続出しているのです。おかげで、今は家の中が少々混乱しておりまして」
「そうなのですか? やめていった皆はどこに? ちゃんと次の職場を見つけているのかしら……!?」
「いえ、職場を決めずにやめてしまった者がほとんどです。一応紹介状は持たせているのですが……」
「まあ! 大変!」
ジネットはあわててクラウスを見た。
その視線だけで、クラウスはジネットが何を言いたいのか察したらしい。彼がにこりと微笑む。
「僕は構わないよ。ちょうど君が来る分、使用人を増やそうかと考えていたところだ」
「クラウス様、ありがとうございます!」
(ああ、やっぱりクラウス様はお優しい……! みんなをギヴァルシュ家に連れていけば、安心ね!)
ほっとしたジネットが、すぐにギルバートに向き直る。
「皆に、ギヴァルシュ家で雇うからと連絡をしてくれるかしら? それからギルバート、あなたは大丈夫? 何か私にできることはある?」
ジネットの言葉に、壮年の家令はにっこりと微笑んだ。
「いいえ、ギルバートはそのお言葉が聞ければ十分でございます。なに、私も伊達に旦那様の元で働いてきたわけではありませんからね。後のことは、お任せください。……それより、最近屋敷にちょくちょく出入りする若い男性がいるようです。念のため、お嬢様にもお知らせしておかなければと」
「若い男性? ……どなたかしら?」
(交友関係でも広げているのかしら? それとも、アリエルへの求婚者?)
アリエル本人はずっとクラウスを追いかけているが、彼女もとっくに結婚適齢期な上に綺麗な娘なのだ。求婚者がたくさん家にやってきたとしても不思議ではない。
「ジネット、そろそろ行こうか」
「あ、そうでした!」
クラウスにうながされて、ジネットはここに来た目的を思い出した。
「ごめんなさい、そろそろ行かなければ。私は今クラウス様のおうちにいるから、困ったことがあったらいつでも連絡してね」
「ギヴァルシュ伯爵家に? それなら安心ですね。クラウス様、どうぞお嬢様をよろしくお願いいたします」
そう言うとギルバートは深々と頭を下げた。クラウスが微笑む。
「もちろん。ジネットのことは、僕が必ず守ってみせるよ」
その後ジネットたちがエントランスをくぐると、まるで待ち構えていたかのようにすぐさま義母とアリエルが二階に現れた。
その姿を見て、ジネットが「あれ?」と眉をひそめる。
(なんだかふたりとも、以前と違う……?)
義母は相変わらず真っ赤なドレスを、アリエルは鮮やかなピンクのドレスを着ているのだが、首やら耳やら指やらに、これでもかとガラス玉が飾られている。
(お義母様たちは宝石にしか興味がないのかと思っていたけれど……趣向替えしたのかしら……? 最近はミルクガラスなどのガラス製品も流行っているし……)
なんて考えていると、孔雀の羽がついた大きな扇子を仰ぎながら、もったいぶった足取りでふたりが階段を下りてくる。
その瞳にはどちらも、いますぐジネットに嚙みつかんばかりの刺々しさが浮かんでいた。
少し後ろに立っていたクラウスが、すぐさまジネットをかばうようにスッと前に進み出る。
「ご無沙汰しております、ルセル男爵夫人」
にっこりと微笑まれ、義母があわてて表情を作るのが見えた。
後ろでは、アリエルが射殺さんばかりの目でジネットとクラウスを交互に見ている。
「あら、ごきげんようクラウス様。まさかジネットと一緒だったなんて、ほほほ」
「どうしてクラウス様が、お姉様と一緒にいらっしゃるの……!?」
アリエルの言葉に、クラウスが不思議そうな顔をした。
「おかしなことを聞くのですね。僕とジネットは婚約者ですから、一緒にいるのは当然のことではありませんか」
「そのことですけれど……クラウス様」
なんとか笑顔を保った義母が、パタパタと扇子を仰ぎながらもったいぶったように言う。
「わたくしは先日、お手紙をお送りしましたわよね? 『ジネットとの婚約を解消して、代わりにアリエルと婚約しなおしてくださいませ』と」
「ああ……そういえばそんな手紙も来ていましたね」
その言葉を聞いた瞬間、アリエルが瞳を輝かせ、義母は勝ち誇った顔になった。
「そうでしょう? だからあなたは、今後アリエルの婚約者として——」
「お断りします」
義母の言葉にかぶせるように、クラウスがスパッと言った。
「ええ、お断りを……え? い、今、なんて!?」
動揺する義母とは反対に、クラウスの顔には清々しい笑みが浮かんでいる。
「だから、お断りしますと言ったんです。ジネットと婚約解消するなんて、ありえなさすぎて笑ってしまいますね。しかも、代わりにアリエル嬢と婚約? ——死んでも嫌です」
――『死んでも嫌』
その言葉に、アリエルの頬がヒクッと引きつった。




