最終話 ギヴァルシュ伯爵夫妻
――小さな教会の中、参列者たちは思い思いの気持ちを抱えながら祭壇の前に立つジネットとクラウスを見つめていた。
ジネットは総レースが美しい、クラシカルな雰囲気のただよう純白のドレスを。
クラウスはシルエットの美しい、燕尾服を着ていた。
ふたりを見守るジネットの父・ルセル男爵クレマンは早くも大号泣している。
その隣では、同じく声を殺して大号泣している侍女のサラ。
そんなサラを気持ち悪そうに見ているのは義妹アリエルだ。
一方、クラウス側の席では、どこかあきらめにも似た笑みを浮かべたキュリアクリスが静かに座っている。
少し離れたところではパブロ公爵とクリスティーヌ夫人が、優しい笑みを浮かべて二人を見守っていた。
神父の低く、朗々とした声が響く。
「クラウス・ギヴァルシュ。汝はジネット・ルセルを妻とし、病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も妻として愛することを誓いますか?」
「誓います」
柔らかな微笑みをたたえたクラウスが、ジネットをじっと見つめていた。
「ジネット・ルセル。汝はクラウス・ギヴァルシュを夫とし、病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も妻として愛することを誓いますか?」
「誓います」
ジネットの新緑の瞳がキラキラと輝く。その瞳が見つめているのは、もちろんクラウスだ。
「よろしい。――汝らは今この瞬間から夫婦となった」
二人は微笑みあって見つめあった。
それから皆が見つめる前で、ゆっくりと唇を重ねたのだった。
◆
「――で? 王宮から帰った二日後には、もう夫婦になったというわけなの?」
ギヴァルシュ伯爵家の応接間で、ブスッとした顔で言ったのはメルティア王女だ。
彼女は自室にいた頃に来ていたネグリジェのような薄いドレスではなく、令嬢たちが常日頃来ているような、余所行き用のドレスを着ている。淡いラベンダーカラーの美しい、ひと目で高級品だとわかるような豪華で繊細な品だ。――もちろん、ジネットが用意したものだった。
「ああ。ジネットも僕も、またいつどこで誰に拉致されるかわからないからね。むしろ今までが時間をかけすぎていたんだ。やはり善は急がなくては」
メルティア王女の不機嫌丸出しの態度にもまったく動じずに、クラウスがニコニコと答える。
一方のジネットは、王女の装いに目が釘付けになっていた。
「あああ!!! 想像通りやはりなんとお美しい! 軽やかで輝くようなタトタ織にして大正解でしたね! 可憐かつ優雅! 大勝利です!」
王女の眉間に深い皺が刻まれる。
「もう!!! なんであなたたちはこうもいつも通りなのよ! それにわたくしがわざわざやってきたのに、もう結婚していたなんて! 全部無駄になったわ!!!」
「おや、無駄になんてなっていませんよ。そもそも王女殿下が我が家にやってこられたのは、マセウス商会の最新作を見に来たからではなかったのですか?」
「うっ」
ひょうひょうと答えるクラウスに、メルティア王女がぐっと言葉につまる。
確かに王女は『マセウス商会の最新作を見たいから』という理由でギヴァルシュ伯爵家にやってきていた。
本来であればジネットたちが王宮にはせ参じるのが普通なのだが、本人が「わたくしが行く方よ!」と言い張ったため、国王も渋々送り出したらしい。
ジネットが嬉々として言う。
「大丈夫ですよ! メルティア王女殿下のお目にかなうような自信作をたっぷり用意してきましたので、安心してごらんください!」
「違う、そうじゃないわよ! あなた、わたくしが本当に商品目当てで来たと思っているの!?」
「えっ……違うのですか……?」
いままさに飛び切りの品々を机に並べようとしていたジネットが絶望の顔をする。
「ちょっと考えればわかるでしょう! あなたそういうところだけ変に鈍いの、なんなの!? まさか演技してるの!?」
「そっそういうわけでは……!」
演技、と言われたジネットがショックを受ける。
(そんな……!!! 最近だいぶ空気が読めるようになった気がしていましたのに、まさか違っていたなんて! そしてメルティア王女殿下は、マセウス商会自慢の品々が目当てではなかったのですね……)
しょんぼりと肩を落とすジネットを、クラウスが優しく抱き寄せた。
「僕はジネットのそういうところも好きだな」
「わたくしの目の前でいちゃつくのはやめてくださる!?」
クワッ! とメルティア王女が白目をむいた。
「それから、結婚したぐらいでわたくしが諦めると思ったら大間違いよ!」
王女の言葉に、クラウスが怪訝な表情になる。
「今度は何を企んでいるんです?」
「何も企んでいないわ! ただ、あなたたちの愛だって永遠というわけではないでしょう!? もしかしたら喧嘩して、そのまま離婚したりするかもしれないじゃない!」
王女の言葉に、クラウスが今度は盛大なため息をついた。
「まったくあなたという人は……。新婚三日目の夫婦に向かって離婚なんて単語を出すなんて、一体どれだけ心臓が強いのですか?」
「わたくしは王女だもの。それくらい当然よ」
「褒めてませんよ。皮肉です」
クラウスが辛辣に言い放つ。
そんなふたりを見ながら、ジネットはくすくすと笑った。そばにいたサラが、こそこそと囁いてくる。
「お嬢様は平気なのですか? あんなことを言われて。というか、王女殿下が来ること自体、嫌ではないのですか?」
「全然嫌ではないわ。それに……」
聞かれてジネットは答える。
「実はメルティア王女殿下を見ていると、なんとなくアリエルを思い出すの」
悪態の付き方といい傍若無人ぶりといい、どうにも王女はアリエルと似ているのだ。
だからだろうか。クラウスを奪おうとした女性ではあるものの、ジネットはメルティアのことが嫌いではなかった。むしろ、どこか親近感すら感じる。
「ああ……確かに、どことなくアリエル様に似ているかもしれませんね……」
納得した様子でサラもうなずいている。
「とは言え、それで婚約者をかどわかした恋敵を許せるお嬢様もすごいですが……」
「そう?」
言いながらジネットはニコニコしながらメルティア王女を見つめた。目の前ではまだ、クラウスが怪訝な顔で王女を見ている。
「まず、僕たちが離婚する日は来世になっても来ませんよ。老人になるどころか、生まれ変わっても無理なので諦めてください」
けれど王女も負けていない。
「でも、ジネットの方がクラウス様を嫌う可能性だってあるでしょう?」
「うっ!」
今度はクラウスが致命傷を負う番だった。
胸を抑えながら、クラウスが苦しそうに言う。
「そ、そんなことはない……と言いたいところですが、万が一そんなことになっても僕は絶対ジネットを諦めるつもりはありませんよ。地の果てまで追いかけて絶対に捕まえてみせます」
(クラウス様、それは少し怖いです……!)
ジネットは言葉には出さず、代わりにごくりと唾をのんだ。
メルティア王女も、どこか引いた様子でつぶやく。
「クラウス様って……びっくりするほどしつこいんですね」
「その言葉、そのままそっくりお返ししますよ」
そんなふたりのやり取りを見て、ジネットはまたくすくすと笑った。
「なんだかおふたりは、仲のいい兄妹のようですね」
「ちょっと!? それって、『全然男女の仲に見えないから私の敵ではない』って言ってるということ!?」
「えっ! そんなつもりでは!」
噛みつかれてジネットがたじたじになる。
「いい挑発じゃない……でもね!」
メルティア王女が人差し指をびしりとジネットに突き付けながら言った。
「たとえ教会が認めようがパパとママが認めようが、わたくしはおふたりを認めたわけではないわ! そのことをくれぐれも忘れないでちょうだい!」
「なんてめちゃくちゃな……」
「もしかしたらアリエル様以上にめちゃくちゃかもしれませんね……」
クラウスとサラがうんざりとした様子でつぶやいた。一方のジネットは無邪気に尋ねる。
「わかりました! では認めないというのなら、メルティア王女殿下はこれからどうなさるおつもりですか?」
「えっ?」
聞かれてメルティア王女がたじろいだ。
これからどうするか、聞かれるなんて全然思っていなかったのだ。
「え、えーっと……そうね……」
さんざん考えたあげく、王女は「ひらめいた!」というようにパッと顔を上げた。
「ならばわたくし、毎日ここに来るわ!」
ジネットが眉を下げる。
「それはちょっと邪魔なので、やめていただきたいです……」
「なっ!? じゃ、邪魔って何よ!? 王女のわたくしに向かって邪魔ですって!?」
「はい。毎日来られると、お仕事をする時間がなくなってしまうので……」
ジネットの言葉に王女が「うぐぐ」とうなる。
「な、なら……連れていけばいいじゃない! わたくしも、下々の民がどんなことをしているのか、勉強したいわ!」
「わぁ! それは素晴らしい案ですね! ではぜひご一緒しましょう! 商売はとても楽しいんですよ。きっといつか、殿下の助けにもなると思うんです。あっそうだ。休憩時間には一緒に空手もしましょうね!」
「何それ! まだ空手を続けなきゃいけないの!?」
「はい! 継続は力なりですからね! それに王女殿下と一緒に空手をするの、私はとっても楽しいです!」
楽しい。
ジネットの無邪気な笑みを前に、なぜかメルティアは黙り込んだ。
結い上げてもまだ長い髪をいじいじと人差し指でいじりながら、ちらりとジネットを見る。
「……ふ、ふぅん。ならいいわよ。付き合ってあげる。……あとその『王女殿下』っていうの堅苦しいから、あなたもわたくしのこと、ティア様って呼んでいいわよ?」
「……!!! ありがとうございます!!! ではこれから、ティア様ってお呼びしますね!」
ジネットが嬉々として、メルティア王女に話しかけた。
王女の方も、そんなジネットにまんざらでもなさそうだ。
そんなふたりを見ながら、サラがこそこそとクラウスに囁く。
「……あのぅ、クラウス様。もしかしてあの王女様。クラウス様に会いに来たというのは口実で、実際のところお嬢様に会いに来ているのでは……?」
「ああ、うん。実は僕もそんな気配を感じているんだ。ティア様はいろいろ素直じゃないからね」
言いながら、くすくすと笑う。
「しかし困ったな。ティア様に好かれる分にはいくらでも対処法があるが、ティア様がライバルになるのは困る。男性はともかく、女性相手にはどう対処したらいいかわからないぞ」
ぶつぶつと真剣に案じるクラウスを見ながら、サラはくすくすと笑った。
目の前ではまだ、ジネットとメルティア王女が、楽しそうに一日の計画を話していた――。
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長らくお付き合いいただきありがとうございました!
これにて『隠れ才女』は完結となります。
もしよろしければ、引き続きコミカライズ版『隠れ才女』をお楽しみいただけますと嬉しいです~!
(シリーズ10万部感謝です……!!!)
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!