第12話 その頃のルセル家(義母視点)
「ねえお母様。いつ私とクラウス様の婚約を結んでくださるの?」
その頃のルセル家では、夕食を食べながらアリエルがレイラにねだっていた。
娘の甘い声を聞きながら、ルセル家の夫人――いや、ルセル家の新主人であるレイラ・ルセルは、真っ赤な唇で微笑んだ。
「もちろん、すぐにでもよ。ジネットと婚約解消して、代わりにあなたと婚約し直すよう手紙を出したから、しばらくすればクラウス様がやってくるわ。……あなたに、愛を乞うためにね」
『愛を乞う』
その単語に、アリエルがほぅっと甘い吐息を漏らす。
ワイングラスに口をつけながら、レイラはほくそ笑んだ。
(ふふっ……それにしても、いいタイミングで夫が死んでくれたものだわ)
――伯爵令嬢として育ったレイラは、同じくらいの家柄に嫁いで一人娘のアリエルを産んだ。
だが金遣いが荒く、そのせいで夫や義実家と揉めたのは一度や二度ではない。そこへ夫である伯爵が病死して、ここぞとばかりにレイラは義実家に追い出されたのだ。
実家にも帰れず、無一文でさ迷い歩いていたところを、たまたま酔いつぶれたお人好しなルセル男爵を見つけた。それを介抱して、うまいこと後妻としてもぐりこんだのが今というわけだった。
そして表では今度こそ完璧な妻を演じながら、裏では憂さ晴らしに、実娘のジネットをちまちまといじめていたのだ。
(夫の目を気にしなくてよくなった分、これから堂々とジネットをいびってやれると思ったのに……。ま、出ていっちゃったものはしょうがないわね。それより財産よ)
レイラの目がぎらりと輝く。
(ふん。あの娘が継ぐはずだった商会も、もちろん渡してなんかやるものですか。これからはわたくしが有効活用してあげなければ)
ルセル男爵家のありあまるお金を想像して、思わず口元がゆるむ。それからレイラは、上機嫌でぱくっと子牛のソテーを口に運び――。
「……ん? 何よこのお肉、いつもより硬いわね。どうなっているの? すぐに料理人を呼んできてちょうだい。味が落ちていると叱ってやらねば!」
バン、と机を叩きつけながらレイラが叫ぶと、ルセル家の家令であるギルバートがそっと進み出た。
「お言葉ですが、奥様」
壮年の家令が、表情を一切変えずに淡々と言う。
「先日お伝えした通り、今までいた料理人はおやめになりました。旦那様もジネットお嬢様のいないこの家で仕える気はないとのことです。なので今は、料理人見習いが作っています」
「な……なんですって!?」
怒りに顔を赤くしたレイラが、口から泡を飛ばす。
「見習いの料理をわたくしに食べさせるなんて! 早く新しい料理人を雇いなさいよ!」
「お言葉ですが、奥様」
またもやギルバートが一切表情を変えずに言う。
「どこに求人を出しても、みな旦那様とジネットお嬢様がいないと知るや否や、辞退されてしまいます。賃金を相場の二倍にしなければ、もはや腕のいい料理人は誰も来てくれそうにありません」
「な、なんでそんなことになっているのよ!」
「それと奥様」
顔を白黒させるレイラに、ギルバートが追撃する。
「商人たちから聞いた話によると、今まで我が家の食材は、通常よりも優遇されていたようです。ですがジネットお嬢様がいなくなった今、商人たちは同じ品を用意するためには三倍のお金が必要だと言っています。いかがいたしますか?」
「はあ!? 意味がわからないわよ!!! 三倍って……どれだけ強欲な商人なの!?」
「あくまでもお嬢様がいたからサービスしてくれていただけで、三倍が適正価格とのことです」
「な、なん……!? もういい、不愉快だわ! 食事をする気分じゃなくなった!」
レイラは怒りに任せてガタンと立ち上がった。
(なんでジネットがいなくなっただけでそんなことが起こるわけ!? まったく、みんなしてたるんでいるのよ!)
それからイライラと廊下を歩きながら、必死に考える。
(いけないいけない。イライラはお肌の大敵よ。……こういう時は、彼に会って気分を鎮めなければ。だってわたくしは、お金をいっぱい持っているんだもの)
彼というのは、レイラが最近気に入っている宝石商バルテレミーのことだ。
まだ二十代の彼は、商人とは思えないほど甘い顔立ちをしており、何より女性に対する扱いが完璧だった。
「――嗚呼、絹のような肌に、魅惑的な視線……。奥様は今日もなんとお美しいのでしょう! まさに愛の女神アプローディだ! あなたにお会いできるのが、私の幸せでございます!」
「ふふっ。あいかわらず口が上手ね」
早速呼び出した商人の口から並べ立てられる美辞麗句に、レイラはようやく気持ちが慰められた。
(今までこの家にやってくる宝石商と言えば、夫と付き合いのある冴えないおじさんばかり……。おまけに持ってくる宝石はどれも小さくて、わたくしの好みじゃなかったのよね)
だがこの若い宝石商が持ってくる宝石はどうだろう。
どれもキラキラとして大振りで、レイラの好みにぴったりだった。
「ああ、これなんか素敵だわ。真っ赤で大きなルビー、わたくしにぴったりだと思わない?」
「さすが奥様、お目が高い! こちらは私どもが所有する鉱山で採れた最高級のルビーです。ええ、ええ、値段は張りますが、その代わり奥様にふさわしい輝きでございますよ!」
「ふふっ。そうよね。わたくしにはこれくらい華やかなものが似合うわよね。よし、これをいただくわ」
「ありがとうございますっ!」
――けれど、レイラは気づいていなかった。
上機嫌なレイラを前に、若い宝石商がにやりと邪悪な笑みを浮かべていたことを。