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第115話 その感情を知っている

(私と違ってメルティア王女殿下はクラウス様の隣に並んでも見劣りしません。まさに一対の絵のよう。王女殿下は、なんと言っても王女殿下でありますし……)


 ふたりの見目麗しさもさることながら、王女がクラウスと結婚すれば、クラウスはパブロ公爵のように、王族の後ろ盾という非常に強力な力を手に入れられるのだ。

 王族の血筋はジネットがどう頑張っても、クラウスに与えられるものではない。


(それに、クラウス様はもともと紳士でいらっしゃいますからどんなご令嬢にも優しいのですが……メルティア王女殿下には、やはり特別打ち解けていらっしゃる気がします)


 メルティア王女は日々の空手の成果があったらしく、息を切らすことなく心の底から楽しそうにクラウスとダンスを踊っている。

 一緒に踊るクラウスの顔も穏やかで、そこに嫌悪感や、無理矢理やらされているという義務感はない。非常にリラックスしているように見えた。


(――そういえばもう、おふたりは二か月以上も同じ王宮で過ごしているんでしたね……)


 ジネットがジャキヤ侍医の助手として参加し始めて気づいたが、メルティア王女は勉強以外の時でも隙あらばクラウスのところにでかけていたのもあり、ふたりが顔を合わせる時間は驚くほど多い。


 そしてメルティア王女はもともと、勉強に関してはとても呑み込みが早く優秀な人物だ。

 王女の苦手分野である体力づくりを教えているはずのジネットですらそう感じるということは、王女の得意な座学を教えているクラウスにとってはもっとよき生徒であるはず。


 必然的に、国王夫妻の狙い通り、距離が縮まらない方がおかしいというものだった。


「……本当に、お似合いのふたりです……」


 気づけばぽつりと言葉が漏れていた。


「ん? 何か言ったか?」


 尋ねてくるキュリアクリスに、ジネットはあわてて首を横に振る。


「いえ、なんでも」

(なんで今、そんなことを口走ってしまったのかしら?)


 不思議に思いながらも、ジネットはまたクラウスたちを見つめた。

 ふたりは手と手を取り、ぐっと体を近づけ、何かをささやきあいながら笑っている。


 ――これは決して珍しい光景ではない。

 社交界の男女は唯一、この舞踏会という場でのみ体の触れ合いが許されているのだ。既婚者も婚約者持ちも独身者も、ダンスを踊っている最中にそんな風に触れ合うことは、なんら不思議なことではない。

 皆やっている。


 ――そう思うのに、なぜかジネットはぴくりと眉を震わせた。


(…………? 何だろう……?)


 なぜか無性に、胸が苦しい。

 心臓は早鐘のようにどくどくと脈打ち、胃のあたりを誰かにつかまれたような、きゅうっと縮こまる感覚が襲う。


(もしや私、何か変なものを食べてしまったのでは!)


 ジネットは胃も体も、控えめに言ってかなり強い方だ。めったなことでは食あたりを起こしたりしないが、万が一ということもある。

 ジネットは横を向くと、気持ちを落ち着かせるようにスーハ―と静かに呼吸をした。

 気づいたキュリアクリスが目をひそめる。


「どうした? ジネット。具合でも悪いのか?」

「いえ! いつも通り元気ですよ!」


 あわてて否定すると、キュリアクリスは笑った。


「そうか、それはよかった。……なら、せっかくだ。私たちも踊らないか?」

「喜んで!」


 ジネットはキュリアクリスとともに、ダンスフロアへと滑り出した。

 クラウスともまた違う、力強く男らしいダイナミックなリードに、ジネットの体がくるくると回る。

 満足げにほほ笑んだキュリアクリスが言った。


「皇子という身分を明かすのは面倒ごとが増えるだけだと思ったが、こうしていいこともあるものだな」

「いいこと、ですか?」

「ああ。こうしてジネットとともに、ダンスを踊ることができるだろう?」


 言って、一瞬の隙をついたキュリアクリスがチュッとジネットの手の甲に口づけを落とした。


「わわっ!」

(踊っている最中に口づけを落とせるとは、なんて無駄なく洗練された動き!)


 謎の部分に感心していると、キュリアクリスが「おや?」と声を上げる。


「どうやら、クラウスたちはまだ踊っているようだな。あの王女も頑張っているじゃないか」


 彼がさした方向を見れば、確かにクラウスとメルティア王女がまだ踊っていた。

 その表情は先ほどよりもさらにくだけており、初めて見た人なら彼らを恋人だろうと思うぐらいには親密さをただよわせている。


「……」


 そのことになんとも言えない感情を抱いた時だった。


「いっ……!」


 というキュリアクリスのうめきが聞こえたと同時に、ジネットは彼の足を思いきり踏んづけてしまったのだ。


「申し訳ありませんキュリアクリス様! すぐに手当を!」

「気にしなくていい。そういう日もある」

「いえ、ですが万が一大事になったら……!」


 言いながら、ジネットはキュリアクリスを無理矢理ダンスの列から引きずり出した。


「これくらいで何を言う。私はまったく平気だぞ?」

「ならいいのですが……!」


 おろおろとするジネットに、彼は何やら意味ありげに言った。


「それよりも、何か気になることでも? 先ほどはずいぶん集中が欠けていたようだが」

「いえ。特に何も……! しいていうなら、王女殿下が倒れてしまわないか心配なぐらいで――」

「嘘だな」


 キュリアクリスが即答した。


「ジネットなら知っているし、信じているはずだ。あの王女がやろうと思えば、今日の舞踏会の最後まで踊っていられることを」

「それ、は……」


 確かに、それはジネットも思っていたことだ。


 毎日必ず正拳突きを繰り返したのは伊達ではない。

 メルティア王女はめきめきと体力をつけ、ついでに上達し、ジネットですら驚くほどきれいな空手の型を保てるようになった。


(ならば、私は何を……?)


 考えていると、キュリアクリスが真剣な表情で言った。


「ジネット。あのふたりをよく見るんだ」

「あのふたりを……?」


 うながされて、ジネットは再度ふたりを見つめた。

 生命力を爆発させ、生き生きと踊るメルティア王女を。

 そして王女が熱いまなざしで見つめる、クラウスを。

 彼は彼で、ジネットにしか見せたことのないような優しい瞳で、メルティア王女を見つめている。

 ずくん、と胸の奥が苦しくなった。


「っ……?」


 思わず手で胸を押さえてしまう。


(やっぱり、どこか体調がよくないのかも……!)


 おまけに、息苦しさまで加わってきた気がする。


「す、すみません、キュリアクリス様。やはり今日は体調が優れないようです。しばしあちらのテラスで、夜風にあたってまいります!」

「ジネット」


 ジネットはキュリアクリスの返事も聞かずに駆け出した。

 令嬢が人前で走るなどはしたないことこの上ないのだが、今はそんなことを気にしていられない。


(体調優先! 命優先、です!)


 胸を押さえ、息を切らせながら、たたたっと走る。

 バルコニーについたころには、肩で大きく息をしていた。

 だというのに、ひとりになれたと思った矢先に、聞きなれた声がしたのだった。


「まったく、意外と足が速いな? ジネットよ?」

「キュリアクリス様!」


 どうやら彼は、ジネットを追いかけてきていたらしい。


「ついてきていたんですね! ごめんなさい、私ったら気づかず……!」

「いや、いい。おかげでジネットの全力疾走を見れて満足だ」

(そ、それは褒めているのでしょうか……!)


 羞恥で頬が赤くなる。


「だがそれだけ走れるのなら、体調はそんなに悪くないということか?」

「いえ、そういうわけでもなく……」


 あいかわらず心臓は痛かった。それに、胸もまだ締め付けられるような苦しみを覚えている。

 加えてなぜか泣きたい気分になってしまい、ジネットはあわててぎゅっと目をつぶった。


「うう、私は一体何の病気にかかってしまったのでしょう! 体はめっぽう強い方なのですが、なぜか苦しくてたまりません。困りました……!」

「……ジネット、それは病気ではないぞ」

「え?」


 言われてジネットが顔を上げると、そこにはなぜか優しい瞳でこちらを見つめるキュリアクリスがいた。


「まぁ人によってはそれを病と呼ぶものもいるが……私はその感情を知っている」

「感情、ですか? 病ではなく?」

「ああ」


 言いながら、キュリアクリスの視線がダンスホールの方を向く。


「ジネット。今感じているその苦しさの正体は――〝嫉妬〟だよ」

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