第113話 〝死のドレス〟
「これ、は……」
感嘆の表情をしていたジネットの顔が、みるみるうちに青ざめていく。
そんなジネットには気づかず、王女がドレスに近づき触ろうとした。
「どう? 美しいでしょう? わざわざ他国から取り寄せたのよ。色はもちろんのこと、このレースも一流の職人に作ってもらったもので――」
「触ってはいけません!!!」
直後、ジネットが大声で叫んだ。
その声に、ドレスに触れようとしていた王女がびくりと震えて固まる。
かと思うと、ジネットは全速力で王女のもとにかけよった。そして彼女の細い手首を引っ張り、ぐいぐいとドレスから遠ざけた。
気づいた侍女頭が怒りをあらわにする。
「何をしているのです! 口の利き方のみならず、ティア様になんてことを!」
「今すぐそのドレスから離れてください!!! あなたたちもです!!!」
「えっ、な、なんなんです!?」
「早く!!!」
ジネットは必死だった。
そんなジネットの気迫に圧された侍女たちが、戸惑いながらも各々ドレスから距離を取り始める。
「誰か、今すぐジャキヤ侍医を呼んできてください! その際には必ず、防毒の対策を忘れないようにとお伝えして!」
「毒?」
その単語に、メルティア王女がいぶかしげに首をかしげる。
「ジネット。あなたはこのドレスに毒があるというの?」
「はい。このドレスは毒がある――〝死のドレス〟です」
言いながら、ジネットは険しい目でドレスを見た。
――世にも鮮やかな緑。
それはかつてとある国の皇帝を殺したと噂される、猛毒入りの緑と同じ色だった。
「どういうことなの? ただのドレスにしか見えないけれど?」
王女の問いに、ジネットはじっとドレスを見つめた。
「……私は以前、トレンの科学者が出した投書を読んだことがあります。そこにはこのシェレグリーンが大量の〝ヒ素〟を有していると書いてありました」
「ヒ素……?」
「猛毒です」
ジネットの言葉に、侍女たちが「ヒッ」と叫びをもらした。侍女頭が叫ぶ。
「どういうことですか! ではこのドレスを売った仕立て屋は、毒だと知っていてティア様に売りつけたと!?」
「それはわかりません。なぜなら残念なことに、この緑が毒であるということ自体がまだあまりこの国で知られていないからです……」
かつてシェレグリーンが爆発的に流行ったのは、ここから少し離れたディロ王国周辺だ。
当時聞きつけた父がすぐにルセル商会でも取り扱おうと手を出したのだが、なぜか関わった商会の人たちに体調不良者が続出。
それは一見すると些細な変化であったが、幼いジネットは見逃さなかった。
不思議に思って父に報告したところ、父がすぐさま流通を停止させたのだ。
(お父様が他のおじ様たちにも共有し、おじ様たちもお父様の言うことを信じたからこの国で爆発的に増えることはなかったのだけれど……)
時を経て、仕立て屋が知ってか知らずか、死のドレスが王女のもとにたどり着いてしまったらしい。
侍女頭が激昂する。
「なんてこと! ティア様に毒を売りつけるなんて……! 知らなかったとしても、重罪ですよ!!! すぐさま陛下たちに報告しなくては!」
ずんずんと歩いていこうとする侍女頭の腕をジネットがつかんだ。
「同時に、このシェレグリーンの顔料は猛毒であることもお伝えください! このまま放っておいたら、ほかにも被害が出るかもしれません。どうか陛下たちから、正式な注意喚起を……いえ、使用禁止令を出してほしいのです!」
「……わかりました。それもあわせて報告しましょう」
歩いていく侍女頭の後姿を見ながら、ジネットはほっと息をついた。
(知らずに取り入れたのだとしても、陛下がお触れを出してくれれば被害は抑えられるはずよ……!)
それからメルティア王女を見ると、王女は呆然としていた。
「……ただのドレスに見えたのに、本当にあれが毒なの……?」
ジネットは悲しそうにうなずいた。
「今ここで証明するすべはありませんが……一見すると美しい色であっても、人体には毒となるものが多いのです。コバルトバイオレットの絵具は有毒で有名ですし、極東で使われた白粉は鉛白を含み、たくさんの命を奪ったと聞きます。そして今回のシェレグリーンも、この顔料のせいでディロ王国で多くの人々が病気になりました」
「ではこのドレスを着ていたら……」
「メルティア王女殿下本人はもちろん、おそらく触れた相手や周囲の相手も、巻き込んでいたかもしれません」
ジネットの言葉に、メルティア王女はよろよろと座り込んだ。
「わたくし、知らなかったとはいえ、なんてことを……! みんなを危険に巻き込むところだったのね……」
震えおののく王女のそばに、ジネットがそっとしゃがみ込む。
「メルティア王女殿下、ドレスを見せてくださって本当にありがとうございます。おかげで未然に防げたのですよ」
「……」
ジネットを見上げた水色の瞳は、助けを求めるように揺れていた。ジネットが優しく微笑む。
「大丈夫ですよ。これからも、何かあったらいつでもおっしゃってください。きっと殿下をお助けいたします」
「本当に? 本当にあなたがわたくしを助けてくれるの? だって……」
何かを言いかけて、王女は黙り込む。
ジネットには、その後に続く無言の言葉が聞こえた気がした。
『わたくしはあなたから婚約者を奪おうとしたのに』
ジネットはまた微笑む。
「それとこれとは、話が別です。私が殿下を助けるのに理由はいりません」
「……そう」
「あっ! それよりも!!!」
あることに気づいたジネットが、急いで顔を上げる。
「もしや今ので、着ていくドレスがなくなったのでは!? どうでしょう!!! 不本意かとは思うのですが、ぜひここはマセウス商会のドレスをお召しになっては!? 緑ではありませんが殿下の美しさを引き出す大変すばらしいドレスだという自負はありまして!」
「わかった、わかったわ」
猛烈にしゃべりだしたジネットを、メルティア王女が遮る。
「マセウス商会の……あなたのドレスを着るわ」
「ありがとうございます!!!」
喜びに、ジネットがぴょんぴょん跳ねる。
「気が進まないけれど、仕方ないわね。毒を見破った恩人の言うことはひとつぐらい聞いておかないといけないもの」
「あっ!!! それでしたらクラウス様をおうちに帰していただいても!」
「言ったでしょう、ひとつだけよ。ドレスを着たからそれでおあいこよ!」
「うぐぐ……」
唸るジネットを見て、メルティア王女はふふっと笑った。