第111話 信じてほしいのです
「ご無沙汰しておりますわ。国王陛下、王妃陛下」
王宮の一室で、ジネットはクリスティーヌ夫人が国王夫妻相手に見事なカーテシーを披露しているのを見ていた。隣ではジャキヤ侍医が、ジネットと同じく夫妻を前に頭を下げている。
椅子にゆったりと腰かけた国王が朗らかに言う。
「久しいな、クリスティーヌよ。息災にしておったか?」
王妃もにこやかに続いた。
「夫や御子息たちは元気でいらっしゃる?」
「おかげさまでみんな元気にしていますわ」
「して、後ろにいるのは?」
国王に尋ねられて、ジネットはすばやく進み出た。
「ご機嫌麗しゅうございます、国王陛下、王妃陛下。ジネット・ルセルと申します」
「ジネット・ルセル」
確か……と思い出そうとする国王に、クリスティーヌ夫人がすかさず説明した。
「わたくしのお友達で、クラウス様の婚約者ですわ」
その途端、国王と王妃の顔がぎくりと強張る。
ジネットが誰か、気づいたのだ。
「あ、あぁ……なるほど、君がクラウスくんの……」
どうやらジャキヤ侍医鉄壁の防御のおかげで、ジネットが日々王宮に潜り込んでメルティア王女に空手を教えていたことはバレていないらしい。
国王の言葉尻がもにょもにょと消えていく。
彼らにも一応、罪悪感というものが存在していたようだ。
「あーその。君たちには申し訳ないことをしたと思っているんだ。代わりと言ってはなんだが、今度私たちからの贈り物を……」
「お兄様。そんなことで解決になると思っておりますの?」
ぴしゃりとクリスティーヌ夫人が言った。
「うっ……」
黙り込む国王の代わりに、王妃が言う。
「ねぇ、クリスティーヌ。あなたのことは家族だと思っているから言うけれど、わたくしたちもわかっているのよ? クラウス様には他にちゃんとした婚約者がいるって。でもねぇ……あの子のことを考えると、一瞬でもいいから、夢を見させてやりたいと思ってしまうの」
国王もあわてて続いた。
「そうそう。あの子は幼い頃は本当に体が弱くて、何歳まで生きられるかわからないと言われたんだよ。……まぁそれはでたらめだったが。でも、その子がついに十六歳を迎えたんだ。十六歳だぞ? 十六歳。結婚だってできる年齢だ。親として私も夢を見たくなってしまってね……」
力説する国王に、その言葉に涙ぐむ王妃。
クリスティーヌ夫人はにこやかに微笑んで聞いていたが、後ろに立っていたジネットにははっきりと見えていた。
そのこめかみに、怒りの青筋が浮かんでいるのを。
「………………まぁ、お兄様、お義姉様の気持ちもわかりますわ」
たっぷりと間を開けてから、クリスティーヌ夫人がのんびりと言う。
「マリーは遅くにできた、待望の娘ですものね。わたくしだって今娘ができたら、それはそれは溺愛してしまうかもしれません」
夫人の言葉に、国王がうんうんとうなずく。クリスティーヌ夫人は続けた。
「だから別に、お兄様たちを責める気はこれっぽっちもありませんのよ? ねぇジネット様?」
話を振られて、ここぞとばかりにジネットは進み出た。
「はいっ! 国王陛下方を責めようなんて気持ちはこれっぽっちもありません! むしろ、王女殿下とお知り合いになれたことは大変光栄で感謝しているのです。王女殿下のおかげで、いくつもの新商品を開発できましたので!」
嘘ではない。
クラウスの件を除けば、メルティア王女と顔見知りになれたことは、ジネットにとって間違いなく幸運なことだった。
(『女性の味方! あのメルティア王女も愛飲している貧血改善ドリンク!』……なんて謳ったおかげで、『貧血一日これ一本!』が飛ぶように売れておりますしね!)
近頃、がっぽがっぽと入って来たお金のことを想像して、ふふふと笑みがこぼれてしまう。
「そうなのか。それならばよかった」
国王は明らかにほっとした顔をしていた。
そこにクリスティーヌ夫人が続ける。
「それより、先ほどマリーに会いましたが、以前よりずいぶん顔色がよくなっていましたわね?」
「ああ、そうなんだ。実はジャキヤ侍医の治療の効果がでてきたようでな!」
国王の言葉に、侍医がぺこりと頭を下げる。やはり、国王夫妻はジャキヤ侍医の助手としてジネットが紛れ込んでいた件には気づいていないらしい。ジネットも素知らぬふりをした。
「それはよかったですわ。なら――」
クリスティーヌ夫人の瞳がきらりと光った。
ここからが、作戦の重要局面だ。
「そろそろ社交界に復帰してもよいのでは?」
にっこりと言い放った夫人とは反対に、国王が渋い顔になる。
「ううむ、社交界か……」
「ええ。先ほど、お兄様たちは言っていたでしょう? 『マリーが結婚できる年齢になった』と。結婚を考えられると言うのなら、王族の責務として社交界にも参加するのが筋なのではなくて?」
クリスティーヌ夫人は畳み掛けた。
「それに、マリー本人も舞踏会に参加したいと言っておりましたわ。必要であれば、わたくしが主催しても構いませんし」
正確には、王女が言ったのは「舞踏会に参加したい」ではなく「クラウス様と踊りたい」なのだが、クリスティーヌ夫人はあえて拡大解釈したらしい。
いわく、
「嘘はついていないわ」
とのことだった。
だがそれでも国王の反応はかんばしくない。
「舞踏会かぁ……ううむ、どうしたものか」
「一体何をそんなに悩んでいますの。舞踏会のひとつやふたつ、貴族の嗜みでしょう? ましてや王女ならなおさらのこと」
「だけど、クリスティーヌ」
夫に加勢するように、王妃が心配そうに口を開いた。
「あの子はほら、デビュタントにあたる最初の舞踏会で気絶してしまったでしょう? あの後ずいぶん落ち込んでいたから、少しは良くなったとはいえ、また無理をさせて同じことになりやしないかと心配なのですよ」
「お義姉様……」
「うむ。妻の言う通り、私も心配だ。それに万が一できると思って失敗したら、それこそあの子が立ち直れなくなるのではないか?」
「お兄様まで……!」
クリスティーヌ夫人がハァとため息をつく。
どうやら国王夫妻の過保護っぷりは、夫人から聞いていた通り相当のものであるらしい。
(このおふたりには、今もメルティア王女殿下が小さな女の子に見えているのかもしれない)
彼らはまるで、幼児を守るのと同じ感覚で王女を守ろうとしている。
少なくともジネットにはそう感じられた。
そばではいい加減うんざりしてきたらしいクリスティーヌ夫人が、キッと表情を険しくしている。
「マリーの叔母として言わせてもらいますが、お兄様たちは過保護すぎますわ。先ほどジャキヤ侍医の治療の効果が出てきたと言ったのは、お兄様の方だったのに」
「効果は出ているが、舞踏会に出られるほどかと言うとまだそうではないだろう」
国王はまだブチブチと言っている。
ジネットは微笑むと、一歩前に進み出た。
「――僭越ながら、発言をしてもよろしいでしょうか」
「……一体なんだね? 男爵令嬢よ」
国王が露骨に怪訝な表情をした。
普通であれば、この国一番の権力者にそんな顔をされたら大体の令嬢は怯んでしまうだろう。
だがジネットは全然平気だった。
なぜなら、元義母のレイラやアリエル、それにもっと強面の商人や闇ギルドの人間たちとも渡り合ってきたのだ。
国一番の権力者とは言え、一歩間違えば命を奪われる……なんてことはないのだ。せいぜい爵位と財産を没収されるぐらいだろう。
ニコニコと人の良さそうな微笑みを浮かべながらジネットは言った。
「舞踏会に参加すると言っても、最初から最後まで参加しなくてもよいのではないでしょうか? 一曲か二曲、無理のない範囲で踊り、その後早めに退出したとしても、舞踏会に参加したことになると思います」
「そうよ! それがいいですわ!」
すぐにクリスティーヌ夫人も加勢する。
「最初から完璧にこなそうだなんて要求が高すぎますわお兄様。ジネットが言ったように、一曲だけでも十分じゃありませんか。それだけでマリーが社交界に戻ってきた証になりますし、きっと本人だって自信がつくはず。ジャキヤ侍医もそう思いませんこと?」
「ええ、ええ。わしもその意見に賛成です。一曲ぐらいであれば、今の王女殿下も無理なく踊れましょうぞ」
どん、と胸を叩く侍医を見て、国王夫妻が何かを言いたそうに顔を見合わせた。
それを見て、ジネットはさらに一歩進み出る。
「それに……もう少しだけ、ご両親であるおふたりにメルティア王女殿下のお力を信じてほしいのです」