第108話 〝四股立ち〟
ドレスの下から現れたのは、まさに今メルティア王女が「嫌だ」と叫んだ服装一式。
クラウスがニコニコと言う。
「こういう格好も新鮮で可愛いね。ジネットは何を着ても似合う」
「そ、そうでしょうか……!?」
その様子を隣で見ていたメルティア王女がぴくりと反応する。
「……ふー。着ればいいんでしょう、着れば。わたくし着替えたいから、部屋から出て行ってくれる? もちろん、見たいならクラウス様は残ってもいいけれど」
ちら、と流し目を送って来たメルティア王女の言葉は無視して、クラウスがジネットの肩にそっと手を添えた。
「行こうジネット。邪魔するとよくないからね」
「あっはい!」
「んもう!」
後ろから王女の叫び声と刺さるような視線を感じたが、ジネットはクラウスとともに部屋を退出した。
「それにしても、大変便利ですね……!」
着替えを待っている間、ジネットがぼそりと言う。
「クラウス様の名を出せば、王女殿下が面白いようになんでもしてくださいます。ジャキヤ侍医も喜んでおられましたよ!」
そこまで言ってから、ハッとする。
「って、ごめんなさい! クラウス様を利用するようなことばかり……!」
「構いやしないさ。それで僕が解放されるのならなんだってしよう。一番大事なのは、早く僕たちの家に帰ることだからね。それより、ジネットは大丈夫かい?」
「私ですか?」
きょとんとするジネットに、クラウスがどこか探るような眼を向ける。
「打合せ通りとは言え僕が王女殿下に手ずから飲ませたり、ダンスをしたり……ジネットはそういうことが、嫌ではないかい?」
「大丈夫ですよ! だって、作戦ですから!」
ジネットがにっこりと言い放つ。
それに対して、クラウスは一瞬どこかさみしそうな顔をした。
かと思うと、クラウスがジネットを抱き寄せて額に唇を落とす。顔を上げたジネットはクラウスと見つめ合った。
「……こうしてふたりきりで会話を交わすのも。ずいぶん久しぶりな気がするね」
「はい。……あの、この一か月半、クラウス様がいなくてとても寂しかったです」
頬を赤らめて白状すると、またクラウスにぎゅっと抱きしめられる。
「僕もだ。君と話した過ぎて、頭がおかしくなりそうだったよ。そのせいで会った瞬間、自分を抑えられなくなってしまったけれど」
先日、王女たちの目の前でされた熱烈な口づけを思い出して、ジネットの顔がますます赤くなる。
「そういう理由だったんですね!? てっきり王女殿下を動揺させるための作戦かと……!」
「残念ながらあれは作戦ではないよ。ただ僕がしたかったからしただけだ」
「そ、そうなんですね……!」
ジネットがうつむいた時だった。
ガチャリと扉が開き、いつもメルティア王女に甘い侍女頭がじろりとこっちを睨んだのだ。
「……姫様の着替えが終わりました」
「あっはい!」
部屋の中ではメルティア王女が不満そうに、けれどきっちりと用意した服を着てくれていた。
その服は素朴なデザインでもあるにもかかわらず、抜けるように白い肌と華奢な体格のせいで、王女が着るとどこか神聖さを感じさせる。まるで宗教画に出てくる天使が人間の服を着ているようだ。
「わぁ……! さすがメルティア王女殿下、何を着ても大変お美しいですね!」
「ズボンって変な感じね。脚にまとわりついてきて慣れないわ」
ジネットの褒めをものともせず、王女はズボンをじろじろと見ている。
「それで、着替えたら次は何をするの」
聞かれてジネットは答えた。
「そしたら次は、準備体操です!」
「準備体操?」
「はい! 運動をするにしても散歩をするにしても、まずは体をほぐさなくては。急な運動は怪我に繋がると言いますからね!」
言いながら、ジネットはぐっと両手を上げた。
「まずは両腕から! 左手を右手で抱えて、こうしてぐっ! と伸ばします。無理せ
ずゆっくり、私を真似してください!」
「ふぅん?」
いぶかしみながらも、クリスティーヌ王女はジネットの動きを真似をした。
肩を伸ばし、体を逸らし、片足ずつを伸ばし、体を前に、後ろにと逸らせていく。
やがて、早くもフッ、フッと息を切らせた王女が眉をひそめてジネットを見た。
「……ね、ねぇ。これで、本当に、準備運動?」
ジネットはふふっと笑った。
「どうですか? 意外と、今の時点でもう体が暖かくなってきたのではありませんか?」
「そ、そう、ね……。意外と、暑くなってきたわね……」
「ちょ、ちょっと。本当に姫様は大丈夫なんでしょうね!? 無茶をさせたら承知しませんよ!!!」
心配になったらしい侍女頭からギッと睨まれて、ジネットはニコニコした。
「もちろん大丈夫です。無理はさせませんよ。……さぁ、準備体操が終わったところで、いよいよ本番です。――ただし、ひとつ約束してください」
「約束?」
「はい。今から教える技は、門外不出の秘伝の技です。そのため、この件は国王陛下にも、王妃陛下にも秘密にしていただきたいのです」
ジネットの言葉に、侍女頭がカッと吠える。
「な! 陛下たちに隠し事をしろと!? やはり危ないことをやらせようとしているのでは!!!」
「わかったわ」
「姫様!?」
侍女頭を差し置いて、メルティア王女はあっさりと了承した。
「だって秘伝の技なんでしょう? それにお父様お母様はすぐ大げさに騒ぐから、変に邪魔が入るのもめんどくさいもの。あなたたちも内緒にしてよね?」
「しょ、承知いたしました……! それが姫様のご意向であれば……!」
(やっぱりこの方は、少し変わってはいるものの、ご自分で考えられる方なんだわ)
本当は、深窓の令嬢として収まっているような器ではない。直感的にジネットはそう感じた。
(もしかしたらこの方には、本当にいろいろな可能性が秘められているのかもしれない……)
そんなことを思いながら、ジネットは続けた。
「まずは両手をこのように握ります」
言って、軽く足を開くと前に出した両手をグーに握った。見ていたメルティア王女も真似する。
「そして……」
次の瞬間、ジネットはカッと両目を見開いた。
「構え!!!」
大きな声に、王女がビクッとする。
ジネットは構わず、足を横にスッ! と大きく移動させて中腰になった。同時に左手をぴたりと体の横につけ、右手は握ったまま突き出している。
侍女頭が叫びを上げた。
「ま、まぁ! なんてはしたない大股!!! そんなこと姫様にさせられません!」
足を大きく横に移動すれば当然、その分脚が大きく開かれる。
しかしジネットとて負けていない。
「何をおっしゃるのです! これは〝四股立ち〟と呼ばれる立派な型ですよ! 足腰を強くする要です!」
「シ、シコダチ……?」
「服だってそのための服! そのためのズボン! そのための室内です! さぁメルティア王女殿下もどうぞ! クラウス様と、ダンスを踊りたいのでしょう!?」
その瞳にはいつになくギラギラとした情熱の炎が宿っており、まるで何かにとりつかれたようだった。
「足は肩幅の二倍開く! 膝を曲げ、腰はしっかりと落とす!」
「えっ、えぇ……?」
気圧された王女が控えめながらも真似すると、ジネットがニコッと笑う。
「その調子です! 次はこの姿勢のまま、〝正拳突き〟です! セイッ!」
足を大きく広げた大勢のまま、ジネットは体の横につけていた拳をバッと突き出した。代わりに右手を、今度はぴたりと体の横につける。
「さぁ私の真似をしてください! セイッ! セイッ! セイッ! セイッ!」
掛け声とともに、右手、左手、右手、左手、と何度も交互に拳が突き出される。
メルティア王女が目を丸くし、ぽかんと口を開く。
「真似をしてくださいって……それは一体何なの!?」
「これは〝空手〟ですよ!」