第107話 監修代は大事です
「む……無理よ。ステップは知っているけれどあんなに長い曲、最後まで踊れる自信がないわ」
無理もない。
(ダンスはゆったりしているように見えて、実は意外と体力を使いますからね。普通の人ならばなんてことのないことかもしれませんが、メルティア王女殿下にはきっと難しいはず)
王女の話を聞いたジネットは、ゆっくりと言った。
「では、ここにございましたね。〝メルティア王女殿下が手に入れられないもの〟、が」
「なっ!!!」
先ほど、メルティア王女は豪語していた。王宮内になんでも手に入れられる、と。
だが――。
「クラウス様と踊りたくても、体力がないから踊れない。これは立派な『手に入れられないもの』なのではありませんか?」
「屁理屈よ!」
メルティア王女が怒鳴る。
「第一、別にダンスができないことぐらい、どうってことないわ!」
負け惜しみのようにプイと顔を背けるメルティア王女に、ジネットはにこりと微笑む。
「なるほど……。ではメルティア王女殿下は、クラウス様の腕のぬくもりをご存じでないのですね?」
言って、自分の腕をするりとクラウスの腕に絡ませる。
「クラウス様からただよう、スミレとムスクの官能的な匂いも?」
クラウスも、微笑みながらジネットを抱き寄せた。
「そして――踊っている最中にクラウス様に見つめられる幸せも、ご存じでないと?」
クラウスと口付けしそうなくらい顔と顔を近づけてから、ジネットはちらりと流し目をしてメルティア王女を見た。
「ぬっ、ぬぐぐぐ……!!!」
予想通り、王女は顔を真っ赤にして怒っていた。
(よ、よし……! あともう少しよ! 頑張るのよ私! 頑張って、メルティア王女殿下が悔しくなるようなせくしぃな女性を演じ続けるのよ!)
必死に演技をしつつ、ジネットはわざとらしく大きくため息をつく。
「本当に残念ですね。クラウス様にリードされるダンスは、夢のように素敵な時間なのですが、メルティア王女殿下はそれを知ることができないんですね……本当に残念です」
「そ、そんなに言うならやってやるわよ! 別に最後まで踊らなくたって、ちょっと踊れば十分わかるんだから!」
鼻息荒く、王女が進み出て来た時だった。
「姫様駄目ですよ! ご無理をなされて倒れられたらどうするのです⁉」
と、侍女頭があわてて止めに入ったのだ。
しかも、見れば彼女だけではない。侍女頭の後ろでは他の侍女たちも、不安そうにうんうんとうなずいている。
気づいたクラウスが、困ったように微笑む。
「残念ながら、無理なようですね?」
「むっ、無理なんてことは!」
けれど王女がそう言うと同時に、また侍女頭たちが必死な顔でずいっと止めに入る。
「ちょっと、邪魔をしないで――」
「メルティア様」
クラウスがなだめるように、優しく言った。
「みんな、あなたのことを心配しているんです。もし一緒にダンスご一緒していただけるのであれば、踊っても倒れないという最低限の体力を確保していただかないと」
やんわりとたしなめられて、王女が悔しそうに唇を噛む。
「ううう……」
その隣では、侍女たちが心配そうに王女を見つめたままだ。
「ジネット、どうやらメルティア様はずいぶん悩んでいるようだ。その間にもう一曲でも?」
「素敵ですね! ぜひ!」
ふたりが手と手を取り、再度踊り出そうとしたその時だった。
「~~~っわかった、わかったわよ!!!」
眉間に深い皺を刻んだメルティア王女が、ふるふると肩を震わせながら言ったのだ。
「そんなにわたくしにつけてほしいのなら、つけてやるわよ体力ぐらい!」
(やりました!!!)
ついに狙っていた言葉を弾き出せて、ジネットはにっこりした。
そばで見ていたジャキヤ侍医も顔をほころばせる。
「おお! 良い決断ですぞ姫様!」
「素敵ですメルティア王女殿下! ぜひともに頑張りましょう!」
「ともに? まさかジネット、あなたがわたくしの体力作りに付き合ってくれるというの?」
「はい! こういうのは、一緒に頑張る人がいた方が続きますからね!」
「つまり、姫様のお尻を叩いてくれる人ってわけですな」
ジネットとジャキヤ侍医の言葉に王女は不満そうだったが、最後にはしぶしぶうなずいた。
「ふぅん……。まぁいいわよ別に。あなたがいた方が効率よさそうだもの」
(おや……!? すぐにそこに気づくとは、この方は賢い方なのかもしれません)
そういえば、クラウスも手紙の中で褒めていた気がする。意外にもメルティア王女は勉強に対して熱心で、飲み込みが早いと。
(これは案外すぐに、いい結果を期待できるかもしれませんね……!)
メルティア王女にとってのいい結果は、ジネットにとってのいい結果にも繋がっているはずなのだ。
「その代わり、わたくしの気分を害したら容赦なく追い出すわ!」
「わかりました! がんばりますね!」
ジネットはグッと両手を握ると、これからのことを考えて気合を入れたのだった。
◆
後日。
ジネットは改めて、王宮にやってきていた。
もちろん今回は忍び込んだわけではなく、ちゃんと〝ジャキヤ侍医の助手〟として許可を得た上でやってきたのだ。
その証拠に、ジネットの名目上の〝先生〟であるジャキヤ侍医もそばに控えている。
「いやあ、話を聞いた時は驚きましたが、本当に始められるおつもりなのですね?」
「はい! ご迷惑はおかけしませんが、もし医師として気にかかることがあったらすぐに止めてくださいね!」
ジネットはどんと胸を叩いた。それから、こそこそと囁く。
「それよりも、どうかくれぐれも国王陛下と王妃陛下の足止めはお願いしますね……!」
ジネットがメルティア王女にやらせようとしていることを知ったら、おそらく国王夫妻――特に王妃――は「なんてはしたないことを!」と卒倒するかもしれない。
そこで足止めを食らうわけにはいかなかった。
「うむ、うむ。そこは任せておきなさい。わしも、ジネット嬢のそれでどんな効果が出るのか、医師としてぜひとも知りたいですからなぁ」
同じくジャキヤ侍医もこそこそと囁いた。
ジネットはクラウスを取り戻すための方法として、ジャキヤ侍医は医師としての興味のため、ふたりは手を組んだというわけだった。
――ちなみに、貧血改善のためメルティア王女に差し出される『貧血一日これ一本!』はマセウス商会でも売られ、なおかつ監修代として、売り上げの一部がジャキヤ侍医に入る仕組みにもなっている。
そのことを提案してから、ジャキヤ侍医がものすごく協力的になったのは言うまでもない。
「ご協力に感謝いたします。皆でともにメルティア様の体質改善に励みましょう」
ニコニコしながら言ったのは、家庭教師の時間ではないのになぜかやってきたクラウスだ。もちろん、ジネットの横に陣取っている。
「それで、わたくしは何をすればいいの?」
「まずはこちらに着替えていただきたく思います!」
言いながらジネットはひと揃いの服を差し出した。
「メルティア王女殿下のドレスは大変美しいですが、運動する上では動きづらいことこの上ないですからね」
「ふぅん。……って何これ! 下は男性の服じゃない!」
摘まみ上げながら,王女が眉をひそめた。
今日ジネットが用意したのは、どれも動きやすいよう設計された服だ。
上は木綿で作られたシンプルなシャツ。ただし全体的に動きやすいよう、ゆったりとしている。
そして下は、男性が履くようなズボンだった。
「はい! 運動にはやはりズボンが最適です! 動きやすいですし、裾を踏んで転んだりしませんからね!」
「わたくし、嫌よ! こんな服! 下品だわ!」
「えっそうですか?」
そう言ったジネットは、着ていたドレスをばさりと脱いだ。