第102話 この人ならきっと(クラウス視点)
「んもう! その薬はまずいから嫌だって言っているでしょう!」
部屋に響き渡る王女の怒鳴り声に、今まさにやってきたクラウスは目を丸くした。
見れば、そっぽを向いて拒否を示す王女のそばには、困り果てた顔の男性が立っている。歳は五十代ぐらいだろうか。
「ですから王女殿下、これは薬ではなく滋養強壮剤でして」
「薬でも滋養ナントカでも一緒よ! まずいものは飲まないわ! 帰って!」
メルティア王女はしっしっと追い払うような動きをしてから、クラウスの存在に気づいたらしい。
その顔がパッと明るくなる。
「クラウス様!」
それから、再度険しく顔を歪めて医師を追い払った。
「ほら! 勉強の時間になったから、お前は帰ってくれる!? はい、お疲れ様!」
「で、ですが!」
医師はまだ粘っていたが、侍女たちによってぐいぐいと追い出されてしまう。どうやら侍女たちは、メルティア王女の味方のようだ。
「王女殿下ぁぁあ……!」
弱々しくうめきながらずるずると連れられて行く医師を横目に見ながら、クラウスは尋ねた。
「ティア様、今の方は?」
「ああ、宮廷侍医のジャキヤよ。いつもまずい薬を持ってくるし、口うるさいの」
(宮廷侍医か……)
ロマンスグレーの髪に、ふさふさの髭。眼鏡をかけ黒いベストを着た姿は、確かにいかにも医者らしい。
「ですが薬を飲まなければ、お体はよくならないのでは?」
「別にいいわ。飲まなくても、熱は出なくなったんだもの。それより今日はクラウス様のお話を聞かせて?」
メルティア王女がしなを作って、クラウスの腕に腕をからめてくる。
クラウスはそれをすげなく断った。
「ダメです。今日は勉強を教えに来ているのですから」
「何よ、クラウス様のけちんぼ。……あ、ならこうするのはどうかしら? クラウス様の出す問題に全部答えられたら、わたくしが聞きたいことをひとつ話してもらうの。もしその条件を飲んでもらえないのなら勉強しないわ。それに、まためまいも起こしてしまうかも」
ぷい、と顔を背けられてクラウスはやれやれとため息をついた。
「……わかりました。ならその条件でやりましょう。ただし、本当に全問正解できたら、ですよ」
「やった! わたくし、がんばるわ!」
◆
その後、メルティア王女との勉強を終えたクラウスは、とある人物を探して王宮内を歩き回っていた。
そして庭園のガゼボに座るその人を見つけて、ゆっくりと近づいて行った。顔に、外向け用の笑顔を浮かべて。
「こんにちは」
声をかけると、その人物はびっくりしたようにクラウスを見た。
「先ほどは大変でしたね。申し遅れましたが、僕はメルティア王女殿下の家庭教師をしているクラウス・ギヴァルシュと申します」
「あ、ああ……君が噂のギヴァルシュ伯爵か。わしは宮廷侍医のオーギュスト・ジャキヤじゃ」
――クラウスが探していた人物は、先ほどメルティア王女殿下に激しい拒否を受けていた宮廷侍医だった。
(この人ならきっと、メルティア王女の病気について詳しいはずだ)
ジネットとは会えないままだったが、手紙だけは変わらず頻繁にやりとりをしている。
その中でジネットから聞かれたのだ。『メルティア王女殿下の患わっている病気について、具体的に知りたいんです!』と。
「隣に座ってもよろしいでしょうか?」
ニコリと微笑むと、ジャキヤは快くうなずいてくれた。
「どうぞ、構わんよ。しかしわしのような老いぼれに一体なんの用だね?」
「先ほど見た光景に、つい親近感を感じてしまったんです。あまろ大声では言えませんが、その……僕も王女殿下のわがままに毎日振り回されている身ですから」
これは嘘偽りのない事実だ。
クラウスの言葉に、何かを察したらしいジャキヤが「あぁ……」とうなずく。
「君も大変だろうね。わしのところにまで噂が届いておるよ。なんでも婚約者がいるのに、家に帰らせてもらえないんだって?」
「ええ、実は」
クラウスは困ったように微笑んで見せた。自分のこの憂いを湛えた笑みが、老若男女問わずよく同情と視線を集めることを知りながら。
「まったく……王女殿下にも困ったものですな」
「ジャキヤ殿も大変でしょう。薬を飲んでもらえなかったら、国王陛下にも咎められるのでは?」
「それが、国王陛下も王妃陛下もとにかく殿下に甘くてなぁ……おっと、今のは内緒じゃよ?」
言って、ジャキヤ侍医はあたりに人がいないかきょろきょろと見回した。
「今のを聞かれたら、さすがにわしでも陛下に怒られてしまうわい」
「でしたら、いかがです?」
それを聞いたクラウスはすかさず言った。
「僕の部屋で少しお話をしませんか?」
「君の部屋で?」
ジャキヤ侍医が怪訝な顔をする。
(想定内の反応だ)
そこでまたクラウスは、例の困ったような微笑みを浮かべた。
「図々しいお願いをして申し訳ありません。ただ……王宮に留め置かれてもう一か月以上。友とも婚約者とも会えず、周りには王女殿下を絶対視する者ばかり……。つい、久しぶりに心からの会話を楽しめそうな人物にお会いできた気がして、舞い上がってしまいました」
「ああ、いやいや、君が謝る必要はない」
予想通り、ジャキヤはあわててフォローをしてくれた。やはりこの侍医は、性根が素直でよい人物であるらしい。
「確かに君の境遇でそう感じるのも仕方あるまいよ……。わしとて、家に帰れずずっと王女殿下の相手をしろと言われたら、正直逃げ出してしまいたいくらいだ」
「ジャキヤ殿もですか? 奇遇ですね、僕も今すぐ逃げ出したいです」
言ってクラウスは笑った。これも本音だ。ジャキヤ侍医も笑った。
「まぁ少し話をするぐらいなら構わん。わしも、急ぎの仕事は終わったしな」
「そういえば、婚約者から差し入れにもらったワインがあるのですが、よければ一緒にいかがです? シャトー・ドルゴーの十五年ものです」
「おお、それはよいな! ドルゴーと言えば赤ワインの女王ではないか!」
ジャキヤ侍医がうきうきと顔をほころばせる。
この国の人間は大体ワインに目がないため、ジネットがいざという時用にと送ってくれたのだ。
その効果はジャキヤ侍医にもてきめんだったようで、侍医の腰が一気に軽くなった気配を感じた。
「ならば参りましょう。王女殿下に捕まる前に」
クラウスは微笑みながら、ジャキヤ侍医を自分の部屋へと案内したのだった。