第5話 音楽室の怪談
◇ ◆ ◇
次の日から颯くんは、8月中旬の全国大会に出るため、調整に余念がなかった。
それでも音楽室へ行きたいと言うと、休憩がてら一緒に付いてきてくれた。
音楽室はしんと静まり返って、知らない教室のようだ。
瑠璃の姿はない。
今までなら、彼女はピアノを弾きながら、ニコニコしてわたしを待っていたのに。
「どうしてひとりで入っちゃダメなの」
何度聞いても、はぐらかして答えてくれない。
「学校の七不思議ってあるだろ。トイレの花子さんとか。……ウチの学校の場合はさ、この音楽室の……」
「そんなの本気で信じてるなんて、颯くんらしくないよ」
昨日はあんなに大人っぽいことを言っていたのに。
急に幽霊が怖いだとか、小さな子みたいなことを言う。
「颯くんは、ここで幽霊を見たことがあるっていうの?」
「いや。ないけど」
「なんだか見損なったよ。きのうは少し尊敬したのに」
「俺は本気で心配しているんだよ」
「だっていい年して幽霊の心配なんて、おかしいでしょ」
「ゆずだけだよ、知らないのは。みんな知ってることなのに」
颯くんは少し本気になって言い返してきた。
「ゆずは、死んだピアノの持ち主に取り憑かれているんだ。小さい頃から、みんなが噂していたんだよ。ひとりで音楽室に籠って、おかしな子だって」
びっくりした。
そんな噂が耳に入ったのは初めてだった。
「ゆずは友だちがいないから、陰で何を言われてるか知らないんだ」
「ひどいこと言わないで!」
友だちがいないから、と断言されたのはショックだった。
わたしにはね、ちゃんといたんだよ。
瑠璃という親友が。
「俺だって最初は七不思議なんて信じていなかったよ。だけど……」
颯くんは少し言いよどんだ後、続けた。
「このピアノの持ち主、ずっと昔、中3の夏休みに亡くなってるんだ」
中3の夏休み。
わたしたちにとって、それは今だ。
小1のときから一緒に成長してきて、おととい、急に消えてしまった瑠璃。
「……それって、学校の怪談とかで、そういう言い伝えがあるっていうことだけでしょ」
「そう。単なる作り話だと思うだろう。だけど、そうじゃないんだ」
「事実だって信じてるの?」
「言ったよね、俺、県内のいろんな学校で陸上やってる子と友達だって。あと、いろんな学校の陸上の先生とも知り合いだ。それで何年か前の、夏合宿の夜に聞いた話なんだけど……」
25年前、ある資産家の邸宅に凶悪犯が入った。
県内を震え上がらせた凄惨な事件で、大人なら今でもみんな覚えてる。
犠牲になったのは父親と、その家の15歳になる女の子。
命を取り留めた母親は娘が愛したグランドピアノを、学校へ寄贈した。
「それがこのピアノ?」
「ピアノとバレエを習っていた可愛いお嬢さんだったんだって。当時同じクラスだったっていう他校の先生が話してた」
ピアノとクラシックバレエ。
それは確かに妖精のような瑠璃のイメージと重なる。
認めたくはないけど、自然と納得してしまった。
「だからお願いなんだ、ゆず。せめて夏休み中だけでも、ひとりでここへ来ないでほしい」
だから最初、あんなにも颯くんは音楽室を怖がっていたんだ……。
「みんな、ゆずが中3の夏に〝あの世に連れていかれてしまうだろう〟って噂してる。そりゃ、根拠はないし、誰も本気で信じちゃいないけど、万が一って思うと心配なんだ。ゆずには友だちがいないから……。心配するヤツなんて、俺くらいだし」
そういう言い方もどうかと思うけど……。
でも本当に、もう二度と会えないのだろうか。
もういちど瑠璃に会いたい。
親友として、せめて会って話がしたい。
どうしてわたしの前に現れてくれたのか。
親切にピアノを教えてくれたのか。
でもその夏を境に、瑠璃の姿も気配も、音楽室から完全に消えてしまったのだ。
◇ ◆ ◇
秋の合唱祭の練習は、体育館のピアノですることになった。
その方が颯くんにとっても安心するようだ。
旧校舎の音楽室とは違って、体育館にはいろんな子が出入りする。
颯くんも館内でストレッチをしたり、周回したりして体を動かしながら、伸びやかに歌の練習をした。
いろんな学年の子が来て、みんなで課題曲や自由曲を歌った。
授業ではないせいか、みんなが遊びながら、声を合わせている。
伴奏がこれほど楽しいなんて、初めて知った。
みんなの楽しい気持ちが伝わってきて、それがわたしの心身を通して、またピアノの音に伝わって流れた。
「あのねー。あたし、ピアノ習ってるんだけどさあ」
体育館で弾くと、下級生の〝ナナちゃん〟という女の子が、よくまとわりついてきた。
「ゆずちゃんみたいに弾けるようになりなさいって、親に言われるのー」
わたしは今年で卒業。
来年からは、このナナちゃんが伴奏するのかもしれない。
「でもさー、練習するの、めんどくさいのー」
「少しずつ上達するのが自分でも分かるとね、だんだん楽しくなってくるよ」
「だけどー、練習、しろしろって親に言われるの、すごくイヤなのー」
「だって、遠い街まで送り迎えしてもらっているんでしょう。それはとっても幸せなことなんだよ。ご両親に感謝しないとね」
「でもさー。友達のアっちゃんはさー、習い事なんて親のエゴだよ、一方的な押しつけだよ、ホント迷惑だよね? って、言うよー?」
「…………」
ピアノは楽しいね、というのが瑠璃の口癖だった。
瑠璃からはピアノの楽しさを思う存分、教わった。
『颯くんには、歌うことを楽しいって思ってほしいんだ』
それは瑠璃がいつも言っていたこと。
『音楽の勉強だからやらなくちゃとか、イヤだけど練習しなくちゃっていう気持ちになってほしくないの』
それは颯くんにも、ちゃんと伝わっていた。




