第2話 進学、どうする?
◇ ◆ ◇
次の日の放課後、少し遠慮がちに誘ってみた。
そうしたら颯くんは、
「ゆず、お前さ……」
と言いにくそうにしている。
「どうしたの?」
「……旧校舎の音楽室って、……出るんだろ? 幽霊。七不思議の」
言葉を溜めにためて、絞り出した。
〝幽霊が怖い〟なんて言うことが、なんとなく恥ずかしそうだ。
「えー、出ないよ……」
言いかけて、わたしは黙ってしまった。
……幽霊って、まさか瑠璃のこと?
瑠璃は〝ピアノの妖精〟なんだけどな……。
そうしたら颯くんは、慌ててしまったようで、
「ヘンなこと言ってゴメン。行こう音楽室。練習するよ」
と、急に素直になって、ついてきてくれた。
古い木造の旧校舎。
きしむ廊下に、少し腰が引けていたみたいだけれど。
音楽室では、瑠璃がニコニコして待っていた。
でも颯くんには、見えないみたいだった。
開け放った窓から、爽やかな風が入ってくる。
だんだん日が沈むと、夕焼けの光も差し込んできた。
「へえ、……けっこう居心地がいいんだ。音楽室って」
怖がっていた気持ちが、ホッと落ち着いたようだ。
「でしょう? とっても居心地がいいんだ、ここ。……じゃあ始めるよ。まずは校歌からね」
颯くんは最初、一人で歌うことを恥ずかしそうにしていた。
それを見た瑠璃が、そばに寄ってきて、やさしく一緒に歌った。
すると颯くんの声がだんだんと出てきた。
声もよく通るようになった。
高音で声が出にくいところも、瑠璃につられて上手くなった。
わたしは伴奏しながら、そんな2人のハーモニーを聴いていた。
颯くんにも聴こえているのかな?
チラチラと様子を伺ったけど、瑠璃に気付いている感じは受けない。
でも、瑠璃のやさしい気持ちは伝わっているはず。
颯くんはちゃんと、瑠璃の影響を受けて歌っている。
わたしは伴奏しながら、声の抑揚を感じ取っていた。
その日から、音楽室ではいつも、瑠璃が練習を見守ってくれた。
でもいつまでたっても、颯くんには瑠璃の姿が見えないようだった。
◇ ◆ ◇
合唱祭は秋だから、ゆっくり練習すればいい。
颯くんは陸上部なので、まずは中学生活の集大成となる夏の大会へ向けて身体を調整していた。
でも音楽室へ誘うと、歌いに来てくれた。
無口な子なので、やっぱり必要なことくらいしか、おしゃべりはしなかったけど。
ただ一つ、
「将来、音大に行くの?」
と急に聞かれたことがあったので、
「まさかぁ」
と答えたくらいだ。
『音楽大学を卒業したって、就職はどうする。ピアノを弾きたければ、趣味でやればいい』
これが、わたしの両親の口癖。
わたしもそう思っていた。
でも、颯くんは驚いていた。
「まいにち練習してるから、てっきり音楽の道に進むのかと思っていたよ」
と言うので、
「ピアノは高校へ行ったらやめる。音大はうちの両親が許してくれないと思うんだ。お金もかかるだろうし」
とだけ答えた。
「じゃあ大学はどうするんだよ」
「考えてないよ。まだ中3だもの。普通に勉強して文系に行くんじゃないの」
わたしがそう言うと、もう颯くんは何も言わなかった。
◇ ◆ ◇
知らなかったのだけど、颯くんはそのころになると、全国レベルの中学生ランナーになっていた。
単に〝足が速い〟と聞くと、100mとか200mの短距離かなと思うでしょう。
でも颯くんが得意なのは、長距離だった。
スプリンターじゃなくて、マラソン向き。
だから毎日、山の中を走ったり、校庭を何周もしたりしていたんだね。
小学4年のころから、県内外のマラソン大会で入賞していた。
6年生のとき、ついに男子800mで県の新記録を樹立した。
「ゆず。あした俺、県大会で1500mと3000mに出るんだけど」
夏休みに入ったばかりのころ。
そんな颯くんが、急に話しかけてきた。
学校は休みでも、もちろんわたしは音楽室に入り浸り。
颯くんも、校庭で陸上部の練習をしていた。
その日、お昼に練習を終えた颯くんが音楽室へ来たとき。
わたしは瑠璃といっしょにお弁当を食べていた。
妖精の瑠璃は食べないのだけど、付き合っておしゃべりをしたり。
他愛のないことで笑い合ったり。
でも颯くんには瑠璃の姿が見えないから、ポツンと一人で食べているように見えたことだろう。
「応援、来てくれるだろ」
「……え?」
今まで、陸上部の応援に行ったことなんか一度もない。
来いと誘われたことも、もちろんなかった。
「県央の陸上競技場。絶対に優勝するから、ゼッタイ来いよ」
〝絶対〟を2回言った。
ぶっきらぼうにそれだけ言うと、さっさと背中を向けて、部屋を出ていってしまった。
颯くんはわざわざ自分から音楽室へ来てまで誘ってくれた。
こんなことは初めてだった。
ポカンとしてしまった。
「颯くんがあんな風に誘ってくれるなんて、珍しい。ねぇ瑠璃。あした応援に行った方がいいのかな?」
わたしが瑠璃に視線を戻すと、瑠璃の姿は消えていた。
まるで、最初からそこには誰もいなかったかのように。