第1話 入学――ピアノの妖精との出会い
仙道アリマサ様主催「仙道企画その1」への参加作品となります。
全6話(約15,000字)です。
楽曲を拝聴して想像した具体的な場面については、最終話のあとがきで触れる予定です。
どうぞよろしくお願いいたします。
わたしの名前は優月。
あだ名は〝ゆず〟。
山あいの村にある、小さな公立小中一貫校の、中学3年の女の子だ。
わたし、ピアノが大好き。
弾くのが楽しくてしょうがない。
練習はつらいとか、苦しいとか、そう思ったことは一度もないの。
勉強せず、ご飯も食べずに、毎日毎日、朝から晩まで弾いていたい。
実はね、それには秘密があるんだ。
笑われちゃうかもしれないけれど、旧校舎の音楽室にはね。
わたしにしか見えない、ピアノの妖精が棲んでいるんだ。
わたしのピアノに合わせて、歌ったり、踊ったりしてくれるんだよ。
◇ ◆ ◇
そう、あれは9年前。
小学校へ入学した日のこと。
ここは山村にある、分校みたいに小さな学校。
新1年生はわたしと、颯汰君という男の子だけ。
あだ名は颯くん。
駆けっこがとても速い子だ。
入学式が行われた体育館。
壇上にはグランドピアノ。
初めて聴く校歌。
そのとき、先生が弾くグランドピアノの影に、誰かがいた。
同い年くらいの女の子だった。
女の子は髪が真っすぐで長かった。
刺繍入りのふわっとしたドレスに、バレエシューズのような靴。
ドレスはちょっと変わったデザインだ。
前から見ると膝が見えるけれど、後ろから見るとくるぶしまで長い。
(颯くんのほかに、もう一人いたんだ、同級生)
そう思ってみんなに聞いたけれど。
颯くんも先生たちも、
「青いドレス? 入学式にドレスなんて、着る子いないでしょ」
と、笑って首を横に振るばかり。
あんなに目立っていたのに、誰もあの子の姿を見なかったようなのだ。
◇ ◆ ◇
でも女の子には、すぐに会えた。
放課後、古い校舎の音楽室から、ピアノの音が聴こえてきたんだ。
いま思えば、その音は、わたしにしか聴こえなかったみたい。
そっと音楽室の扉を開けた。
覗いたら、あのドレスの子が弾いていた。
女の子は弾きながら、顔を上げてこっちを見て、
「待ってたよ、ゆず。一緒に弾こう」
と、ニコッと笑ってわたしを誘った。
「私の名前は瑠璃だよ。よろしくね」
音楽室のピアノは、体育館にあったのと同じ、黒いグランドピアノ。
通っていた幼稚園の、スリムなアップライトピアノとは違う。
近くで見るのは初めてだった。
おそるおそる、もっと近づいた。
小柄な瑠璃は両手を大きく使って、揺れながら鍵盤を叩いている。
軽やかに、跳ねるように、まるでピアニストみたいに。
メロディーは、瑠璃の雰囲気にも似て可憐。
少し切ないながらも、軽やかな曲だった。
それまで、ねこふんじゃった、とか、チューリップ、のような曲しか知らなかったわたしは、
(こんなに小さい子が、大人っぽい曲を弾いてる!)
って、とてもびっくりした。
「ねえ、それ、なんていう曲?」
わたしが声をかけると、瑠璃は演奏をやめた。
ぴょんと椅子から飛び降りると、わたしにピアノを譲った。
「弾いてみたい?」
「え……、む、ムリ」
「教えてあげるよ。でも今の曲は難しいから、もっと大きくなってからね」
「う、うん」
「まずは触ってみて。知ってる曲を、好きなように弾いてみてね。片手だけでいいよ」
それが、わたしのピアノレッスンの始まりだった。
◇ ◆ ◇
わたしの家には、今もピアノがない。
「学校で弾かせてもらえるのなら、買わなくてもいいだろ」
という父の一言で、買ってもらえなかった。
「家で弾かれても、うるさいしなあ」
だからレッスンは、古い校舎の音楽室だけだった。
父も母もピアノに興味がなかった。
お稽古にも通わせてもらえなかった。
というか、そもそも村にピアノ教室がなかった。
通いたければ、隣の町の、そのまた隣の市まで行かなきゃならない。
車で往復2時間もかかる。
父も母も共働き。
長くベッドに臥せっている祖父母を看病していた。
わたしのお稽古になど構っていられない。
◇ ◆ ◇
だからわたしの先生は〝ピアノの妖精〟。
学校の音楽室に棲んでいる、青いドレスの女の子。
妖精さんはわたしが1学年大きくなるごとに、一緒に成長した。
まるで親友のように。
同学年に女の子は、いないんだけどね。
瑠璃からはきちんと楽譜の読み方も教わった。
でも、めんどくさいので大抵は〝耳コピ〟。
お手本に瑠璃が弾くのを聴いて、丸暗記して練習した。
「ゆずは音感がいいね。すぐ覚えちゃうんだもの」
瑠璃はいつも褒めてくれた。
「じゃあ、さっき聴いた曲を、楽譜に書いてみよっか」
わたしが楽譜を好きじゃないことを知っていた瑠璃。
だけど五線譜の読み書きを、根気よく教えてくれた。
「あとね。ピアノを弾くときは、軽~く指の関節を曲げて、手の形を丸くしてね」
指を伸ばしたまま弾くクセを直してくれた。
折を見て、基礎からちゃんと教えてくれたんだ。
◇ ◆ ◇
「優月さん、本当にピアノは独学ですか?」
「家にピアノがない? 信じられない」
「独りでここまで弾けるようになったんですか。すごいですねえ」
毎年4月になると、新しい先生が異動してきた。
みんな、びっくりして褒めてくれた。
でもとうとう、音楽の専門の先生は、この山間の学校へは来なかった。
大抵どこの学校にも〝音楽の先生〟がいると知ったのは、ずっと後になってからのこと。
だから5年生にもなると、周りの大人たちは誰も、わたしにピアノを教えることができなくなった。
その代わり、音楽室のピアノを好きなだけ弾かせてくれた。
わたしは朝早く学校へ行って、始業前や、授業の合間に弾いた。
放課後は、日が暮れるまで音楽室で過ごした。
瑠璃はあんなに上手いのに、わたしが行くと譲ってくれた。
腕が痛くなるまで弾かせてくれた。
そして、いつも演奏に耳を傾けてくれた。
ハミングしたり歌ったり、ふわっとバレリーナのように即興で踊ったりもした。
◇ ◆ ◇
瑠璃と一緒に、連弾もした。
ふたり並んで弾くと、音の圧力が倍になる。
たくさんの音が瀧のように響いて、とてもゴージャスだ。
クラシック音楽から、歌手のうた、ゲームやアニメの楽曲まで。
わたしが高音のメロディーで、瑠璃が低音の伴奏。
高音を強く叩けば、凛と冴えた音。
鍵盤をやわらかく撫ぜれば、まろやかな音。
指の動く限界まで速弾きを競ったり。
思いつくままアレンジしたり。
お互いのパートを自由に入れ替えたり。
ノリでリズムをいじってみたり。
とくに楽しいのは、好きなシーンをイメージして弾くこと。
映画やアニメの場面や、キャラクターを思いながら音を出す。
すると夢中になって、自然に指が踊った。
音も気持ちよく反響した。
わたしにとってピアノはお稽古というより、お遊び。
楽しくて楽しくて、大好きで疲れ果てるまで遊んでいた。
◇ ◆ ◇
そんなとき。
唯一の同級生である〝駆けっこの速い颯くん〟は、走っていた。
山道や校庭を、いつもひとりで。
日が暮れるまで。
颯くんはもともと、あんまりしゃべる子じゃない。
低学年の頃は、忘れ物の多い子だった。
教科書や筆箱を、よく忘れてきた。
ひどいときはランドセルも背負わずに学校へ来た。
「走ってきたから」
とか、いつもヘンな言い訳をしていた。
そんなときは、隣で教科書を見せてあげた。
鉛筆や消しゴムも貸したりしたので、親しくないこともなかった。
でもわたしは入学以来、音楽室に籠りきり。
颯くんも、学年の違う子とあまり遊ばなかった。
ひとりでストレッチをしたり、校庭を何周も走ったり。
学年が進むにつれて、お互いにしゃべらなくなっていた。
◇ ◆ ◇
ところが、今年は違った。
わたしは毎年、秋の合唱祭では必ず、ピアノ伴奏を任される。
小中一貫校だが、山の分校みたいに児童生徒が少ない。
1学年平均3、4人で、全校生徒29人。
校内の合唱祭では小1~3、小4~6、中1~3の3組に分かれる。
課題曲と自由曲を1曲ずつ。
伴奏は全部わたし。
広域圏の学校対抗合唱祭へも、その3学年ひとまとまりのグループで出た。
でも中3になった今年は、違った。
「どうかしら。卒業記念に、2人だけで舞台に立っては」
担任の先生の発案で、わたしと颯くんにだけ、自由曲が1曲増えた。
わたしが伴奏、颯くんが独唱。
「優月さん。毎年、伴奏を任せてしまっているから、歌ったことがないでしょう。もしチャレンジできるなら、弾きながら女声パートを歌ってもいいわよ」
学校対抗の合唱祭でも、この追加曲を披露する予定だという。
「まだ初夏だし、本番は秋だから、ゆっくり練習すればいいわ」
先生はそう言ったけど……。
わたしはピアノが得意だからまだいい。
でも颯くんは、慣れない独唱に戸惑っていた。
音楽室へ行って瑠璃に相談すると、
「颯くんを誘って、一緒に練習しよっか」
と言ってくれた。
その足で誘いに行ったら、なぜか颯くんの顔が青くなった。
「いやだ」
と頑なに首を振る。
汗をかいて震えている。
瑠璃に伝えると、
「そっか……。じゃあ、無理はさせないでおこうか」
と残念そうだった。
「歌うことを、楽しいって思ってもらえるようにしなくちゃね」
わたしたちは、腕を組んで考え込んでしまった。




