第三十五話 〝最果ての約束〟
脇腹を貫かれたレイナさん、抵抗も虚しくその鮮血が地面を染めた。
また一つ音が消えた世界。
デウスはオモチャでも見るような目で、動けない俺に詰め寄った。
「……これで残りはオマエ一人だ、バグ・アカウント」
――……無理だ。これ以上は、どうしようもない。
いや、どうにかできると思っていたことが間違いだったのだろう。
能力値、武器、スキル、システムへ干渉する力――デウスは全てにおいて規格外のルール違反。
人ならざる演算機能、世界の神に一プレイヤーが対抗できるはずもない。
勝てる道理がなかったのだ。取り返せるものなど――そもそも存在しなかった。
「アア、無様だなSランクども!! オマエらの理不尽は今ここに応報と成った!!」
……悦に入る声。満足だろうか、その恨みが晴らせて。
「心地よい光景、殲滅の静けさだ。――どうしたアカウント名:カント。泣き喚き許しを求めたらどうだ? ……どうあれ許さぬがなァ、〝リフレクション〟ッ!!」
「…………ッ」
遠ざかるデウスの姿、身体が壁に拒絶され落下した。全身を鈍い痛みが走る。
……我が子のように思っていたスキルすら、今となっては凶器になった。
土の匂いを血の味が染める。立ち上がる気力も尽きたが、この男の怒り、下位勢の怒りはなおも収まらないようだ。
「我らは四年も理不尽に耐えてきた。――コレもそうだ、高価な装備をチラつかせやがって!!」
……何かが裂ける音。濃紺の外套、その切れ端が視界の隅を舞った。
「ククク、ハハハハハァッ!! 最高の気分だ!! ずっとこうしてやりたかった――目障りなオマエらを八つ裂きにして、笑ってやりたかったのだ!!」
「――――」
全部消えた。
装備も、スキルも、味方も――希望も。
残っているものは何もない。最後にはレベルも、アカウントすらも消え失せる。
多くのものを託された、あとを任せると言われたのに……俺の力が及ばないせいで。
俺が弱かったばっかりに、何もできずに終わってしまう。
こんなはずじゃなかった。俺が作りたかった世界は、もっと皆が笑っていて――
……あるいは、その夢こそが間違いだったのかもしれない。
やっぱり現実は厳しくて、どこかで必ず苦労して、何かを我慢しながら生きていくもの。
そんな、ありふれた常識こそが世界の真実。
ただ逃げるように生きていたのは――俺の方だったんじゃないだろうか。
ならばこれはデウスの言う通り〝報い〟なのだろう。
自分勝手に生きた者への応報、あのまま死んでおけば良かったのに、その先に手を付けた罪人への罰。
だとすれば、こんな結末も至極真っ当だと受け入れよう――
――ただ、エイル。お前に未来を示せなかったことだけが……心残りだ。
「ついに……これこそ我ら、悲願の瞬間!! クククハハァッ――……消えろオ!!」
瑠璃色の瞳を思い出す。
揺れる綺麗なストレートロング、華奢な身体、愉快な毒舌と、花のような笑顔。
よく笑い、よく怒り、可愛くてムカつく――受付の美少女。
その顔を見れば安心して、その瞳の前では文句も消えてしまう、そんな存在。
俺の言葉を笑おうとも、決して否定することのなかった君に、今度は俺が、と。
もっと自由に生きていいんだと、そう証明して見せたかったのに……ごめん。
「ごめんな、エイル――」
「……何言ってるの。まだ、終わってないわ」
なんだ、声が――……ああそうか、ついに幻聴が聞こえ始めたようだ。
頭の中のエイルが喋り始めた。妄想力もここまでくれば立派と言えるだろう。
こんな場所、ダンジョンの最深部にあいつがいるわけないのだから。
「未来が視えるんじゃなかったの? 諦めるなんて、あなたらしくないわ」
「…………?」
――随分とリアルな幻聴だ。
まるでエイルが言いそうなセリフ、本物のように凛とした声色。
土と血の匂いに混じって鼻腔をくすぐる爽やかな香り。
純白のノースリーブ、すらりと伸びる指先と――瑠璃色のストレートロング。
ぼやける両目に映ったその姿は、俺の意識から飛び出してきたような。
まるで、本物みたいな――
「私の知っているあなたは、こんな絶望を楽しむ男――そうでしょう、カント?」
いるはずなどなかった。
その声、その香り、その姿は俺の妄想……であるはずなのに。
顔を上げた先に立っていたのは、瑠璃色に光る、一輪の――……
「エイル――なのか……!?」
「他の何に見えるの? 似合わない顔してないで、いつもみたいに笑いなさいよ」
言いながら、凛と微笑む美少女は……ああ、間違いない。
妄想なんかじゃなかった。いや違う、これが妄想であってたまるものか。
そんなものより遥かに鮮やかな少女、それこそがエイルなのだから。
――でも。
「お前、どうして――」
「〝どうして〟なんて、分かりきった質問ね。……約束したじゃない」
「約束した……?」
「〝一人で立ち向かえない時は、その声で思い出させてくれ〟――私は忘れてないわよ」
「それって……」
俺がエイルをパーティに誘った時の……いや、でもそれは――
「それは、俺からエイルに言った約束で――」
「違うでしょう? 私と、そしてあなたの約束よ。――思い出して。いつもあなたが語っていた理想、あなたの挑戦は、もっと楽しいものだったはずよ」
いつかの会話、いつかの約束を果たしに来たのだと、エイルは優しく笑う。
「そんな約束のために、危険を冒して来たのか……?」
「大切な約束だから来たのよ。あなたの力になりたいと思った、この気持ちが間違いだなんて絶対に言わせない。……あなたは強くて、一人でも戦えてしまうから。今まで一人で戦ってきたと思っているかもしれない。――けど、それは違うわ」
エイルは穏やかに、悲しげな目元を毅然と支えながら。
「忘れないで。あなたにはもう、たくさんの仲間がいるわ。――だって、カントがこうして生き残ったのは仲間がいたから。あなたの理想を信じた人がいたからよ」
薄い涙を溜めた瞳で、しかし、力強く言う。
「だからカント――あなたが仲間と歩いて来た道は、間違いなんかじゃないわ」
――自分一人でも、そう思っていた。製作者の責任は俺が果たして見せると。
仲間のいなかった向こう側の世界。こっちの世界でも同じことで、そんな現実に必死に抗っているのだと、そう思っていたけれど……でも、それは違った。
ランザスに、キキョウさんに――ヴォーダンに。多くの人にあとを任された。
だから、俺がこうして生きていること。それこそが何より仲間がいたことの――仲間が支えてくれていたことの証明だったんだ。
「……ああ、なにが未来視だ。一番大事なものを見落としてたよ。――俺にはもう仲間がいたんだな。それに気付けなかった事、それだけが俺の間違いだった――」
溢れ出したのは――感謝と、安堵と、懐かしさと。それを伝えられない悲しさ。
そして、視界を濡らすその他の全てで。
「――ええ、それでいいのよ。たとえ孤独に耐えられても、傷つかない人はいないんだから」
エイルはただ優しく。
弱い俺を――間違っていた俺を、受け入れるように笑ってくれた。
――と、そこへ。不満を示すデウスの――いや、フラッグの声が響いた。
「何をしているエイル、許可を与えた覚えはないが?」
デウスがスキルで姿を変えたのだ。明らかな攪乱だが、しかしエイルには――
「お父様ッ――なんて、愚かねデウス。私はもう、その程度では揺るがない」
「……ダンジョンへの挑戦は禁止していたはずだが?」
「ええ、ですからその禁を破りました。今思えば『神の末裔がユミルの瞳を失っては面目が潰れる』などという理由、従っている方がバカげた話だわ」
……エイルはフラッグに挑戦を禁止されていた?
なるほどダンジョンへ入れないとは、そういうことか。
だからエイルは受付にいた――いや、そもそもなぜ気付かなかったのだろう。
〝これがユミルの瞳。あなたたち『挑戦者』がチュートリアルで手に入れるもの〟
ユミルの瞳を持っている時点で、エイルも挑戦者の一人であるということに。
「父に逆らえばどうなるか……分かっているのか?」
「当然でしょう。ですからこうご理解ください――エイルは家を出ました、と」
「なんだと……!?」
「いいえ、元よりこうなる運命でした。――ずっと私も戦いたかった。見送ることしかできないのが歯がゆくて……でも、そんな気持ちはもういらない」
瞬間、フワリと髪をなびかせて、決意の視線が鋭く光る。
「やっと見つけた、これが私の〝やりたいこと〟だから……!!」
抑え込んでいた本音を解き放つように、一点の濁りもない澄み切った笑顔で。
「これよりここに立つのは神の末裔でも、ましてやお嬢様でもない。……私は私、たった一人の挑戦者。――挑戦者エイルよ!!」
お嬢様のドレス、受付の女神を脱ぎ去ったエイルは高らかに言い放つ。
同時に抜き放たれるそのソードは、容易く俺の汚染を斬り割って。
「あなたが私に希望を見せた、ここへ呼んだの。――だから立って。今度はあなたが、ここにいる私が正しいんだって証明しなさい!!」
それは激励の一声。強く気高い少女の願い。
自分の正しさを俺に預けると。――それほどまでに、信じてくれているならば。
そんな言葉を受け取れたのなら、もはや、迷う理由などありはしなかった。
「――ああ、思い出したよ。絶望からの大逆転――最ッ高に楽しそうだ……!!」
もし良ければ右下のブックマーク↘、下↓の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】に、ランキングタグ↓クリックよろしくお願いします。……お願いしますね!!!
では、次話でまたお会いしましょう。 ―梅宮むに―