丘の屋敷
ホーホーとフクロウが鳴き、叢からは虫の音が聞こえてくる。
暗く、星が瞬く丘の上の屋敷の前に、キスケはやっとこさ到着していた。
「でっけぇ……。この屋敷に、タダ同然で泊まれるってのか……」
石で造られた三階建ての洋館で、不思議なことに門や柵が一切無い。
この丘までの道を来ると、直ぐに庭に入る形だ。
昔は領主が住んでいたと番兵は言っていたが、それにしては随分とセキュリティが甘い。
怪しさはあるがしかし、一階の窓から明かりが見えている。
どうやら人はいるようだ。
キスケは玄関扉前まで足を進め、その木製のドアをノックする。
「すみませーん。良ければ、一晩泊めて欲しいんですけど」
キスケの言葉に返事はない。
だが、数秒後、代わりに足音が近づいてきた。
そして扉が開く。
「────お待たせ様。どうぞ、入って」
出てきたのは、メイド服を着た黒髪の少女だった。
なんの問答もなく、軽い口調であっさりと招き入れるその少女に、キスケは少し驚いてしまった。
「え?あ、お邪魔します」
「ええ」
メイドと言えばもう少し礼儀正しい言葉遣いな気もするが、こういったスタイルらしい。
そしてキスケは、屋敷に入ってすぐに広がるロビーの光景に息を飲んでしまった。
「ッ……すっげぇ。天井高ぇ……」
床には赤いカーペットが敷かれ、正面には大きな階段。
それが壁突き当たりで左右に別れ、二階、三階へと登っていく。
三階建ての建物ではあるが、それは左右のみで、玄関ロビーにあたる中央は三階の床にまで天井の高さがあった。
そこに長く垂れ下がっているシャンデリアの僅かな明かりを、周りの白い壁や貴金属が反射し、この広い空間に十分な光を与えている。
「良い屋敷でしょ。二階の好きな部屋を選んでいいわよ。それとも、まだ夕飯を食べてないかしら」
「いや、それはもう頂いた。その時にここを紹介されてさ。お金が無くても泊まれるって」
「そうね、間違ってないわ。掃除だったりの軽いお手伝いはお願いするけれどね」
「へぇ。まぁそれだけでいいなら、確かにタダ同然ってやつだな」
感心するキスケに、メイドは「こっちよ」と言って歩き始めた。
キスケはそれに従い、誘われるがまま二階へ登っていく。
「私の名前はクレア。あなたは?」
クレアと名乗るその少女は、振り返るでもなくそう言った。
キスケも応える。
「俺はキスケ。キスケ・ウォード。ちょいと色々あって、今日、魔王討伐の冒険を始めたとこだ」
「へぇ、いいわね。そうやって大きな夢を追いかけてるの、生きてるって感じがするわ」
青年が一人、魔王退治の旅をする。
笑われてもおかしくない話だが、クレアは良く受け止めたらしかった。
そのうち階段を登りきり、二階の廊下に到達した。
右の壁は庭に面した窓。
左の壁にはいくつもの扉がある。
ますます息を飲む豪華な屋敷だが、しかし、キスケはとあるものに目線が惹かれた。
「……なぁ、クレアさん。この肖像画は?」
キスケの視線の先にあるのは、壁にかけられた小さな絵画。
描かれているのは、長い金髪の女の子。
まだ十歳くらいだろうか、屈託のない笑顔から、ずいぶんと幸せそうな印象を受ける。
「同い年くらいでしょう、呼び捨てでいいですよ」
クレアはキスケの接し方に一言申し、その絵画に目をやって説明を始めた。
「……彼女は私の主、サンドラ・オルコット様です。《《生前は》》この村の領主を務めていらしました」
「りょ、領主!?この絵の子が?」
「ええ。凄いでしょう。十二歳にして財務も政務もおひとりでこなし、この大きな屋敷の主としても立派でいらっしゃいました」
「……」
その話を聞けば、立派な女の子であることは容易に想像できる。
ただ、もう亡くなられているらしい。
クレアはまるで、仕舞いきれない思い出を分け与えてくるように、歩幅をゆっくりと話を続けた。
「ご両親を早くに亡くした悲しみを乗り越え、とても他人を思いやる方でした。この屋敷を宿として提供しているのも、サンドラ様の遺言のひとつ。彼女はこの『ミリオ村』が大好きですから。訪れてくれた旅人に、良くして差し上げたいのだと仰って。けれど年相応に、食べ物の好き嫌いだけはどうしても治らなかったんですよね。私が作るものは何でも美味しいと仰られておいて、いざキノコをお出しすると可愛らしい困り顔をされて────ッ!」
そう長々と語るうちに、クレアはなんと廊下の端まで歩いてきてしまっていた。
目の前の壁に気がついて、慌てて後ろを振り返る。
キスケに怒ったような様子はなく、微笑ましいものを見る目で笑っていた。
「いいご主人様だったんだな。クールそうな感じさせといて、主の話になると我を忘れるってか」
クレアは下唇を甘噛みして視線を落とし、服を握って赤面する。
「すみません。お恥ずかしいところを見せちゃいましたね……。こ、この廊下のお部屋でしたらどこを使って頂いても構いませんから。どうぞごゆっくりお体をお休め下さい。また何かありましたら、お気軽にお呼びください」
「うん。ありがとう」
「は、はい。おやすみなさい」
クレアは若干早歩きでそのまま廊下を去っていく。
まだ少し言葉を交わした程度だが、何やら、間違っても悪い人では無いと確信できる少女だった。
その主もまた然りだろう。
キスケは廊下を少し戻って先程の絵画に再び目を向けた。
「十二歳の領主様、か。すげぇ童女が居なさるもんだ。……ありがたく、今日は泊まらせていただくぜ」
キスケは適当に選んだ扉を開き、部屋の中に入っていった。
もう日を跨ごうかという時間。
その部屋の明かりも、ものの数分で消えてしまった。
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幼い領主、そしてその後も従者が住み守るこの屋敷。
至って平和で、暖かいお話だ。
しかし、そんなものをクソほどにも思わない者もいる。
やがてこの屋敷を巡って訪れる騒動に、キスケはこれから巻き込まれることになるのだった。