1話 始まりの街
「入隊審査……し、失格!?何でだよ!!」
ひとりの青年の叫び声が響き渡り、周りの屈強な男共の視線が集まる。
青年の相手は座する軍の審査官。
審査結果に不服を申し立てているらしかった。
「簡単な話だ、キスケ・ウォード。貴様は体力・座学のどちらにおいても一般的な結果しか残していない。ここは王国軍でも中枢を担うエリート、『中央隊』の入隊審査所だぞ。ナメているのか?」
メガネをくいと上げ、審査官は結果用紙を机に置いてそう言った。
しかしキスケは食い下がらない。
「おいおい、俺は申請書に『能力持ち』って書いてたはずだぞ。軍からしても、能力者なんて喉から手が出るほど欲しいはずだろ。体力の成績は大幅加点してくれていいんじゃねえのか?」
「抜かせ!『物質ものを磁石のように引き寄せる』というだけの能力に、加点する価値などあるものか!しかも『自分より重い物に対しては逆に自分が引っ張られてしまう』そうじゃないか」
「少し自分より重いくらいなら、別に頑張れば引き寄せられるぞ!」
「そんなものは大して変わらん!さっさと出て行け!その力で、大道芸でもしているんだな!」
審査官のその怒号と共に屈強な番兵が数名やって来て、キスケを外へ連れ出して行った。
「お、おい!まだ話は終わってねーぞ!」
キスケのその叫びも虚しく、審査官は既に次の人物の審査結果対応にあたっている。
それを見たキスケは歯を食いしばり、拳をにぎりしめた。
傍から見ても分かるその必死さと悔しがり様に、番兵のひとりが口を開く。
「……おい坊主。聞いてりゃ、別に一般レベルの成績はあったんだろ?しかも能力も持ってるってんなら、そこらの街で普通の審査を受けりゃ間違いなく合格だ。わざわざこの中央隊にこだわる必要はねぇだろうに」
同情を寄せた優しい言葉だったが、キスケの気持ちは収まらない。
「ダメなんだよ、中央隊じゃなきゃ……!」
「何故だ?確かに収入はいいが、魔王軍との最前線に立たされる。まず長生きはできないぞ」
「それでいいんだよ!俺は、魔王を倒すために王国軍に入りたいんだ!だったらここしかねぇだろ!」
「っ……」
番兵は一瞬、その気迫に気圧され冷や汗を感じた。
まるでそれを叶えるために生きているかのような、義務に近しい覚悟が伝わる。
その壮大で無謀な夢とは裏腹に、本人には確固たる覚悟があるらしい。
「そ、そうか。頑張れよ……」
番兵はこれ以上何を言えばいいのか知らず、話を流してそれっきり黙した。
キスケももう抵抗することはなく、ただ連れられるままに審査所を後にする。
かくして、キスケ・モニカ・ウォードは中央隊の審査に不合格となった。
原則、中央隊の入隊審査を二度は受けられない。
魔王を倒すという夢に欠かせない要素を今、キスケは取り逃してしまったのだった。
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「あー、ちくしょう!」
キスケは未だ煮え切らない気分を噛みしめながら、宿を探して街を歩いていた。
キスケの故郷は遠い田舎。
この時間からの馬車は無く、もう明日まで待つしかないのだ。
「……まさか不合格だとは思わなかった。ルール上、もう中央隊の審査は受けれねぇ。普通の隊なら、もし出世できても地方上官が限界だ。もう王国軍は諦めるしかない。けど俺一人じゃ、いくらなんでも魔王討伐は夢のまた夢。母さんの仇かたきを討てねぇ。……どうすればいいんだ」
行き場の無い思いを抱えたキスケは、先程までの興奮はとうに冷めており、今はただ、ため息混じりに独り呟く。
そう冷静になった今、あの審査官を一概に責めることはできないでいるのだった。
「……いや、とりあえず今日はもう宿を見つけて寝ちまうか。考え事をするならベッドの上が一番だからな。腹も減ったし」
キスケはそこで最後のため息をつき、くっと前を向いて歩く速度を上げていく。
なすがまま絶望に沈んでいれば、希望など到底視界に入るはずがない。
ひとまずここで一区切り、またこれから先を考えよう。
と、キスケが振り切った気分で足を進めていた、その時だった。
「キャッ!や、やめてください!誰かー!」
「……?」
人が多く賑やかなこの街道に、一際目立つ悲鳴が上がった。
人々の視線はそこへ集中し、キスケもふと足を運んだ。
見れば、貴族衣装に身を包んだ細身の男が、一人の女性を強引に捕まえていた。
「そんな嫌がっちゃって、まるでボクが襲ってるみたいじゃないか。大丈夫、少しボクとお茶するだけさ。ほら、馬車に乗って」
「嫌です!わ、私これから彼と約束がありますから!」
「ったく強情だね。ボクが誰だか知らないワケじゃないでしょ?手荒なマネはしたくないのに。…………おいフラット、この女を馬車に載のっけろ」
「了解」
「んな……ッ」
その男がとった行動に、キスケは思わず声を漏らした。
フラットと呼ばれた従者は女性を強引に抱え、そばにある馬車に連れ込もうとする。
「いや!やめてください!いや!! いやーッ!!」
女性は涙ぐみながら足をバタつかせて抵抗しているがしかし、それを見ている周りの市民は、ただ固唾を飲むばかり。
……当然だ。
従者は武装している上、恐らく細身の男はこの街の貴族。
止めに入ろうものなら、今度は自らと家族の生活が脅かされる。
けれどそれは、この街に住む者に限る話だった。
「────いい加減にしろよ。貴族ってのは、白昼堂々の誘拐が許されるのかよ」
「……何だ?お前」
人混みの中から姿を現したのは、もちろんキスケ・ウォード。
貴族の男は突然の邪魔者に機嫌を損ね、声を低くしてそう言った。
「ガキが、でしゃばって来るじゃないか。ボクはこの街で二番目に偉い、シリンプル・ロドリ様だぞ!」
「知らねーよ。余所よそのモヤシなんか」
そう言い放ったキスケに対し、男は露骨に顔をしかめる。
どうやら悪口がそうとう効いているらしい。
怒りは頂点付近まで達したようだ。
「……知能の低いクソガキめ。周りの愚民共に倣ならって、見て見ぬふりをすればよかったものを。……もう許さん!フラット!あのガキをぶち殺して、愚民共の見せしめにしてやれ!!」
「了解」
従者フラットは女性を馬車の荷台に投げ、腰から剣を抜き構えた。
さすが貴族に仕えているだけあり、大して隙が見当たらない。
一方のキスケは武闘家を見よう見まねで模したような薄い構えで、まるで隙だらけ。
従者はそれに口角を上げる。
「何かと思えば、ふざけた構えだ。力のない者が他者を守ろうとするなど見苦しい。……いいか青年よ。人をお守りするには力が必要だ。私のように厳しい訓練を重ねて腕を磨き、強くなって初めて────」
従者が長々とそう語っている、その時だった。
「────テラ・アダマント」
「ッ!?う、ぅあぁああ!?!?」
突然従者が体勢を崩したかと思うと、そのまま、まるで磁石に引かれるかのように、勢いよくキスケの元へ吹っ飛んで行った。
高速で進む空中で姿勢をとるなどできるはずもなく、剣は手から落ち、従者ただ声を上げるのみ。
そして、引き寄せられるその先には当初の構えをとるキスケの姿があった。
「……よく味わえよ、お前がバカにしたガキのこの拳!!!」
「ッ────!!」
勢いよく放たれた右ストレートは従者の顔を正面から穿うがってみせた。
声にならない声を上げた従者は地面に転がり落ち、白目を向いて見事に気絶した。
可哀想に、折れた歯と鼻血が、無様な敗北の形相を引き立てている。
途端、周りの市民から大きな歓声が上がる。
「……ほら、どうしたよモヤシ男。お前の従者、ああいう割に弱いじゃねえか」
「くッ……!今、お前の目に黒いイナズマが走ったのを見たぞ!あれは能力使用の証拠!さてはお前、能力持ちか!!……じ、冗談じゃねえ!!」
男は今までの怒りの中に恐怖の感情を滲にじませ、飛びつくように馬に乗ってすぐにそれを走らせた。
「どけどけ愚民共!どけ!!」
人混みを蹴散らし、全速力でキスケから逃げる貴族の男。
顔を歪ゆがめ、冷や汗を流し、その手はがっしりと馬に捕まっていた。
「痛いのは嫌だ!痛いのは嫌だ!クソ!何だあの磁石のようなガキの能力は!……だが、流石に馬車を引っ張れはしまい!このまま屋敷まで逃げてしまえば、あのガキも……!」
みるみるうちにキスケから離れていく馬車。
見過ごすわけにはいかない。
荷台には女性が乗せられたままだ。
キスケは馬車の方に向くと、しゃがみこむように姿勢を低くする。
そして。
「ふぅ。………………ッ!!」
地面を蹴ると同時に目に黒いイナズマが走り、能力を発動させる。
すると今度は逆に、キスケの方が馬車に向かって引き寄せられるように飛び行き、あっという間に追いついてしまった。
その慣性の力を残したまま、キスケは能力を解除すると、その体は馬車を追い越して馬に跨またがる貴族の男の頭上に到達した。
「なッ!?」
「くらえモヤシ!!」
キスケは空中で上手く体を回してみせ、男を横薙よこなぎに馬上から蹴り飛ばした。
「ぐほぉおッ!!」
男は道に跳ね転がり、気絶はしなかったものの、当分動けなさそうにもがいていた。
キスケは蹴りをかましたまま馬上に着地し、手網を引いて馬を止めた。
しばらくして、それを見た市民らが再び拍手して歓声を響かせる。
「……なんか、えらいパフォーマンスになっちまっな」
キスケはそう言って馬から降り、荷台に回って女性の安否を確認した。
どうやら恐怖からか意識を失っているみたいだが、外傷も特に見当たらず、一件落着とみて良さそうだった。
キスケは安堵し、荷台を切り離して再び馬に乗った。
「お、おい君。もう行くのかね?この街に住んでいながら何も出来なかった我々から、ぜひ、何かお礼をしたいのだが」
市民のひとりがそう言うと、他もまた同調する。
しかし、キスケは首を振った。
「貴族吹っ飛ばしてヤバいのは、さすがの俺もわかってるからな。さっさと逃げさせてもらうよ。お礼はまた今度。……それと、荷台の女性は頼んだぜ」
「そうか、分かった。くれぐれも気をつけてくれよ!」
「ああ」
そう言い残し、背後から聞こえてくる感謝の声に振り返らず、キスケは街を出る門を目指して馬を走らせた。
そしてついに門番の制止を無視して街を脱し、だだっ広い平原の中、通商のために敷かれた石畳の道を進んで行く。
追っ手は無いが、これだけやれば、もう二度とこの街には戻れないだろう。
「……決めた!貴族はまるで腐ってて、王国軍も不合格。もう、これ以上権力をアテにするのはやめだ。これからもっと強くなって、仲間を見つけて、俺は……この手で魔王をぶっ倒す!!やっぱ冒険しなきゃ男じゃないよな!!」
他の誰でもなく自分自身にそう宣言し、入隊審査に落ちた絶望はどこへやら、キスケは希望に満ちた笑みを浮かべて手網を握り直す。
後先のない、行き当たりばったりのようなこの決心。
これぞ、キスケ・モニカ・ウォードの生涯に渡る大冒険の幕開けだった。
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「────と、以上が、シリンプル・ロドリ伯爵が被害にあったという事件です。犯人は中央隊を不合格になったばかりだったキスケ・モニカ・ウォードという青年で、既にどこかへ逃亡したようです。……いかが致しましょうか」
質素ながらも豪華な部屋で、椅子に座る老爺に対してとある報告がなされていた。
その白髪の老爺は手をついて少し考え、口を開いた。
「……犯人を追う必要はない。もともとシリンプル伯爵の悪行にはいずれ制裁を行うつもりだった。一般人の貴族への暴力は犯罪に違いないが、私の権限で『不問』としてくれたまえ」
「わかりました。そのように手配します、総帥」
兵はそう言って頭を下げ、部屋を出ようとする。
しかし、そこで老爺が呼び止めた。
「待て。もうひとつ」
「はっ。何でしょう」
かしこまる兵に対して、視線を落とし、老爺は机に置かれた書類を見る。
そこに書かれているのは『審査結果 41930番 キスケ・モニカ・ウォード』の文字。
老爺は手を組み肘をつき、さきよりも低い声で言い渡した。
「……この青年を不合格にした審査官をすぐに追放しろ。間違いなく、こやつは化ける。中央隊に迎え入れられなかったことは、我々反魔王勢力にとって大きな痛手となるであろうな……」