花の童話:かすみ草
昔々あるところにとてもなまけ者の天使がいました。
神様がサンタクロースや聖ヴァレンタインといった多くの聖人をお招きして、パーティをするときには、天使たちはいろいろと準備をお手伝いすることになっています。だのに、そのなまけ者の天使は何もしませんでした。お掃除のときは雑巾をバケツに向かって何回も投げたり、お料理を作るときは味見ばかりしたり、パーティの飾り付けの天の川を引っ張って遊んだりしていました。
「困ったやつだな」
神様が言います。
「困ったやつです」
天使長ガブリエルが首を振りながら答えます。
「どうしたもんかな?」
「どうしたもんでしょう」
「ふむ。人間にして、ちょっと苦労させるか」
「それは名案です。確かに名案です」
そんなわけで、なまけ者の天使は人間にされて下界に落とされてしまいました。おまけにいちばんかわいい男の子の天使だったのに器量の悪い女の子にされてしまいました。
天使が男なのか女なのか、昔のえらい学者たちが一生懸命議論をしたのですが、結論は出ませんでした。だって、えらい学者さんたちは誰一人として天使を見たことがなかったんですからね。
でも、みなさんには本当のことを教えてあげましょう。天使は男の子なんです。ちゃんと見たわたしが言うんだから間違いありません。
それはともかく、人間の女の子になった天使はそれまでの記憶はぜんぶなくなって、ドリーという名前になりました。記憶はなくなったんですが、なまけ者の性格は変わりませんでした。身よりもなく、貧しいのに働こうとしないのです。
ノラ猫といっしょに暮らして、パンやキャンディを分けてもらってその日暮らしを続けていました。いつも汚いなりをして、街をぶらぶら歩いたり、猫たちとノミの取りっこをしたりして、お日様が昇って沈むまでだらだら過ごしていました。
でも、そんなことがいつまでも続くはずがありません。冬になりました。石畳の路地は氷のように冷たく、見上げる窓の中の暖かさがうらめしく見えます。霜焼けになった手の甲を猫たちがなめてくれますが、餌がないのは彼らも同じなのです。雪がちらちらと降ってきます。ドリーはなんだか眠くなってきました。……
クリスマスの買い物をすませた若い夫婦が凍えた女の子と猫を見つけました。
「このままじゃ死んでしまう」
「どうするの?」
「連れて帰って、お風呂にでも入れてあげないと」
「そんなこと。……悪い病気でも持っていたら」
「心配ないさ。イエス様のお誕生日前にはいいことをしないとね。君もぼくも」
「あたしも?」
女の子は眠ったままでしたが、猫は気づいて紳士ににゃあにゃあと甘えてきます。
「君は猫を助けるんだ」
「いち、に……7匹もいるわ。あなたは女の子だけなの?」
「これから生まれる赤ちゃんの分さ。この子で十分だろう?」
夫婦には赤ちゃんがどうしても生まれなかったので、奥さんはそう言われるとそれ以上ダメって言えませんでした。
結局、ドリーと猫たちはそのクロードとエマの家でメイドと飼い猫として暮らし始めました。メイドと言っても相変わらずなまけ者のドリーは、お掃除では見えるところをちょちょっと拭くだけ、料理ではじゃがいもの皮もまだらに残るといった有り様でした。見かねた奥さんのエマが夫のクロードに言います。
「困った子だわ」
「困った子だね」
「どうしましょう?」
「どうしようもないだろ。追い出すわけにもいかんさ」
まだ寒い風に震える菩提樹の木に目をやりながらクロードは言います。奥さんはため息をつきながら、ドリーの楽しそうな歌声が聞えてくる台所に行きました。クロードはドリーの歌声が聞えると幸せな気分になりました。それはそうでしょう。だって、元は天使の歌声ですから。
春が来て、花が咲き乱れ、小鳥たちがにぎやかにさえずる頃、エマはほんの数日寝込んだだけで、おなかの赤ちゃんとともに、あっけなく死んでしまいました。柩が穴の中に下ろされ、土が掛けられるのをクロードは呆然として見ていました。黒い服を着たドリーも猫たちもしょんぼりとしています。神父さんの言葉は誰の耳にも入りませんでした。
その時、歌が聞こえてきました。ドリーが静かに歌っていたのです。
「なんて美しい歌なんだ」
「こんな歌は聴いたことがないぞ」
参列者は口々に言います。それはそうでしょう。だって、死者が天国に召される際に天使が歌う歌ですから。ドリーにしても思い出したわけではなく、自然と口ずさんでいただけでした。
それから、もう一度春が来た時にクロードとドリーは結婚しました。その2か月前にこんな会話がありました。
「ねえ。ドリー、ぼくは君の歌をずっと聴いていたいんだ」
「ここに置いていただければ、ずっと歌っていますよ」
「そうじゃなくて。……ぼくと結婚してくれないか?」
「あはは。亡くなったエマに比べればずっと不器量で、なまけ者のあたしとですか?」
「そうだね。でも、なぜだかそうしたいんだ」
ドリーは黙ってうなずきました。
もう1年経つと女の子の赤ちゃんが、その次の春には男の子の赤ちゃんが生まれました。でも、男の子の赤ちゃんは秋の頃にとても高い熱が出てしまいました。相変わらずなまけ者のドリーは、夜になって猫に教えられるまで気づかなかったのです。
仕事から帰って来たクロードはびっくりしてお医者さんを呼びましたが、明け方赤ちゃんは死んでしまいました。それまで火のように熱かった赤ちゃんが自分の腕の中でだんだん冷たくなっていくのを感じ、ドリーはそれまで流した涙をぜんぶ合わせたよりたくさんの涙を流しました。
それから、ドリーは変わりました。とてもよく働いて、子どもたちの面倒を細やかに見るお母さんになったのです。子どもたちはすくすくと育ち、赤ちゃんはその後も生まれ、死んだ男の子も含めて7人になりました。
その間に猫たちの何匹かは年老いて死にましたが、その子猫たちが生まれ、育ちました。そんなとても幸せな、時々悲しみの混じった日々がずっと続きました。……やがて孫ができる頃、クロードも年老いて死の床に就きました。
「ドリー、最後に歌を聴かせてくれないか」
それは秋の深まる頃でしたが、ドリーは春に恋人たちが愛をささやき合う歌を唄いました。ドリーの髪も白くなり、顔には深い皺が刻まれていましたが、目を閉じたクロードにはいつまでも若々しい声だけが聞えていました。
クロードが亡くなって、7年後にドリーにも寿命がきました。多くの子どもや孫やもう何代目かもわからなくなった猫たちに見守られて、静かにその時を待っていると真夜中に神様がやってきました。
「ドリー、わたしを覚えているかい?」
「今、何十年ぶりかで思い出しました」
「おまえはなかなかよくやった。わたしと一緒に帰ろう」
「……いえ、わたしはいいんです」
「いいって? 天使に戻してやろうと言うんだよ」
「いえ、いいんです」
「不思議なことを言うね。どうしてかね?」
「わたしはふつうの人間として死んでいきたいんです。夫や子どもや、猫もそうだったように」
神様はちょっと驚いて、ドリーの心の中をのぞき込み、決心が固いことがわかったので、もう何も言いませんでした。……
明け方にドリーが冷たくなると神様は天使長ガブリエルに言いました。
「人間を死んでから、花にしてやったことがあったな?」
「はい。神様が愛された者だけ特別に」
「ドリーをそうしてやってくれ」
「あのドリーをですか?」
神様は黙ってうなずいて立ち去ろうとしましたが、ふと立ち止まり、こう言い添えました。
「あいつの家族と猫も一緒にな」
その神様の命令に天使長ガブリエルはあれこれ悩んだ末、ドリーと彼女の愛した者たちをかすみ草にしました。