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木々は陽を浴びて  作者: 村上博厚
6/7

救出

6 救出

 翌日午前三時、部屋を出た。ディーゼルエンジンの音が駐車場に大きく響く。その音にせかされるように急いでホテルを出た。街は静まりかえっていた。フェリーの発着する港へ走る数台の大型トラックにすれ違っただけだった。三時三十分、ビジターセンターの手前で私と佐竹は車を降りた。

 「それじゃ行ってくるよ。」

 私は助手席にいる朋子を見詰めた。

 「朋子、船を頼むよ。」

 「気を付けてね。きっと成功するわ。」と陽子が代わって答えた。

 見上げると、満天の星空。恐ろしいくらいの星の数だった。

 「それじゃあ、私達も行くわ。」

 森に入ると漆黒の闇だった。時々得体のしれない獣の鳴き声が遠くに聞こえた。明りを使わず一歩一歩足場を確かめて歩くので、なかなか進まない。夏草が生い茂り体に絡み付いてくる。

 「少し休みましょう。ここから下りです。」

 休むと汗が噴き出してきた。時計を見るとまだ十五分しか経っていない。すでに息が荒くなっていた。

 「さっ、行きましょう。」

 下りは楽かと思っていたが、そうでもない。前が見えないせいもあって、木の幹を左右の手で交互に握り、それを支えにして降りたが、時々足を滑らせた。ひやっとする。かなり急な傾斜だ。しばらくすると磯の香りがし始めた。その時だった。「あっ。」と言って佐竹が足を踏み外した。私は素早く佐竹の手を握った。すぐ下は海のようだ。波の音が聞こえた。

 「堀さん。離しても大丈夫です。足がつきます。」

 「なんだ。びっくりしたよ。」

 私も飛び降りた。満潮のようだ。崖下まで水がきていた。磯沿いに十分ほど歩くと、原発が見えてきた。事務本館に明りが見えた。小さな入江があったので、我々はそこで決行の時を待つことにした。しばらく休むと、少し空がぼんやり青くなってきた。

 「すっかり明るくならないうちに一仕事済ませておこう。フェンスを切っておくんだ。」

 フェンスは簡単に切れた。一ケ所だけつなぎを残して、二メートル四方に切断した。時計を見ると、ちょうど四時だった。五十メートル先に青木のいる小屋が見えた。外に見張りはいないようだ。

 『青木、あと一時間の辛抱だ。』

 引っ返すと浜辺に佐竹と並んで横になった。遠くにまだ漁火の消えていない漁船が見えた。

 「コーヒーどうですか。」

 「佐竹さん意外に度胸が良いなあ。コーヒー用意してくるなんて。」

 「いや、下へ降りても多分時間があると思って。海岸の夜明けは夏でも寒いでしょう。」

 「ところで佐竹さん、どうして原発なんかで働いてるんです。」

 「実は、以前原発メーカーで設計やってたんです。原発の設計です。仕事が好きだったので、どんなに忙しくても私は平気でした。でも妻は違っていました。何日か徹夜が続いたあと家に帰ってみると、妻が死んでました。自殺でした。田舎で見合いして結婚三ケ月目でした。今思うと、妻は見知らぬ土地で話をする人間といえば私一人だったんです。かっこよく言えば、今自分を罰しているんです。妻が死んで私はやっと自分のやってる仕事を客観的に見れるようになりました。それまで原発の安全性についてとやかく言う連中にはシロウトは黙ってろという感じを持ってました。でも私がその時徹夜でやってた仕事は、国の安全審査をパスさせるためのデータを捏造することだったんです。今私は放射線浴びて自分の仕事の責任とらされているんです。」

 しばらく二人とも口を開かなかった。海を見ていた。確実に夜が明けてゆき、空に青みが拡がってゆく。

 「そろそろ時間だ。」

 「行きましょう。」

 フェンスまで十五メートル、磯づたいに進んだ。フェンスのつなぎを切ると、小屋まで一気に走った。小屋の窓はすりガラスで中は見えない。扉には鍵もかかっていなかった。扉を開けると、中は資材や工具が散乱していた。奥の方で何かが動く気配がした。青木が縛られ、土間に転がっていた。

 「青木、大丈夫か。」

 さるぐつわをされていた青木は首を縦に降った。急いでさるぐつわを外し、縄をナイフで切った。青木の顔は日焼けし、頬はこけ、不精髭がのびて別人のようだった。

 「来てくれると思ってたよ。」と青木は力なく言った。

 「歩けるか。」

 「足をやられている。」

 「肩に掴まれ。急ごう、船が待ってる。」

 五時十分。小屋を出ると、よろめく青木を佐竹と二人で抱えて走った。フェンスまでの距離がとても長く感じられた。フェンスに辿り着くと、肩で息をしているのが自分でも分かった。佐竹が先にフェンスを抜け、私は青木を預けた。私が抜け出たその時だった。

 「そこまでだ。」

 朋子の兄が立っていた。その向こうに、朋子の乗った船が近付いてくるのが見えた。

 「佐竹さん、青木を頼む。」

 朋子の兄は落ち着いていた。前のような怒りを表に出した形相はないが、睨み合うと、その強さの印象にやはり圧倒された。時間がなかった。私は待ち切れなくなって突進した。しかし、相手の体に触れる前に腹を殴られ前につんのめってしまった。蹴られると思い、咄嗟に体を転がし、立ち上がった。吐気がした。真っ直ぐに立てなかった。

 「堀さん。」

 佐竹が近寄って来た。青木は岩に寄り掛かりこちらを見ていた。船はもうすぐそこまで来ていた。

 「青木を船に乗せるんだ。」

 「しかし…。」

 「行くんだ。これは私の問題なんだ。」

 私は一歩踏み込んだ。吐気は納まっていた。

私は体勢を低くして飛びかかった。今度は相手の体に手が届いた。しかし続け様にパンチを受けクリンチの状態になった。朋子の兄は私の肩に手をかけ突き放した。私はよろめき、仰向けに倒れてしまった。朋子の兄はつかさず飛びかかって来た。私は思わず足で相手の股間を蹴った。

 「堀さん。今のうちです。逃げましょう。」

 佐竹は私を助け起こすと、肩を入れ、海を走った。青木の差し出す手が見えた。その手を握った。佐竹は先に船に飛び乗り、私を引き上げた。そして、私は船の中に寝かされた。しばらくして我に返った私は朋子を捜した。朋子は船尾で船の舵をとっていた。朋子が頷くのが分かった。

 「不器男、見直したよ。」

 「水をくれないか。」

 「いけすに缶ビールがあるわ。」

 口の中は切れてはなかった。体全体が甦ってくるようだ。

 「みんな乾杯しよう。朋子もやらないか。」

 「私はいいわ。」

 朋子の複雑な気持をその時理解できなかった。私は勝利に酔っていた。まもなくしてK漁港の入江に入ると、護岸にランクルの止まっているのが見えた。人影が二つあった。陽子ともう一人。我々は緊張した。

 「警戒しなくても良いよ。私一人だ。君達の顔が久し振りに見たくて待ってたんだ。無事で良かった。今回の冒険はどうだった。面白かったかね。」

 「やっぱり有沢おまえか。妹の手を離せ。」

 「そうむきになるなよ。昔の仲間だろ。」

 「おまえだな。テープの声は。」

 「ああ、このテープか。君の親父さんから貰ってきた。あまり意味はないがね。心配してたんだよ。君達がもっと何か知ってるんじゃないかと思って。そうだったら、いくら私でも君達を護ってやれなかったからね。」

 「俺達を護っただと。」

 「そうだよ。感謝して欲しいね、堀君。君達がこの二、三日やった事がいったい何だったと思う。全部私のシナリオどうりだったよ。ずいぶん殴られたようだね。適当に痛め付けて逃がしてくれと、藤澤君に頼んでおいたんだが、君も不思議だったろう。あの男に君が勝つなんて。僕は気が気でなかったんだ。早く君に行動を起こして欲しくてね。早く青木君を助けて欲しかった。菊池って男が青木君を殺したがっていたからね。ところで青木君、菊池の女を寝取ったそうじゃないか。」

 「恵子をどうした。恵子はどこにいる。」

 「死んだそうだ。菊池が嫉妬に狂っていびり殺したそうだ。でも菊池は、女が死んだのは君のせいだと逆恨みしてるようだ。青木君菊池にはこれからも気をつけるんだね。」

 青木は身を預けていた私から有沢に飛びかかり胸倉を掴んだ。

 「おまえという奴は、いつだってそうだ。この裏切者。」

 有沢は青木を払い除けた。よろめく青木を私は受け止め、有沢を睨んだ。

 「君達にそんな風に言う資格があるのかね。君達も私と同類じゃないか。現実を受け入れているのを、自覚しているか、いないかの違いだけだよ。青木君、君は歯医者をやってる。今の世の中の仕組みのおかげで、人並み以上の生活ができる。これは君の車だろ。高い車だ。女だって好きに選べる。高い酒も好きなだけ飲める。一ケ月原発で働いてみてどうだった。地獄だったろう。同じ時間働いて何倍もきつい仕事して、彼等は君の収入の十分の一にも満たない給料だよ。これが現実なんだ。君はこの現実を受け入れているんだ。堀君、君だってそうだ。私と同じ役人だから分かるだろう。役人だからあの凶暴な菊池だって思うように動かせる。

 かっこつけてどうするんだ。世の中狂ってるんだよ。人類の進化はどこかで狂って破滅へまっしぐらなんだ。もう少し開き直って楽しまなくっちゃ。女が一人死んだくらいで興奮するなんてみっともないぜ。あのくらいの女ならどこにでもいるじゃないか。原発だって必要なんだよ。束の間の人生を楽しむためにわね。世の中見てみろ。君らみたいなお人好しで理性のある人間なんて少ないんだ。希望なんてないぞ。無知で粗野で、欲の皮の突っ張った有象無象が世の中動かしているんだ。 これは忠告だ。世の中君らの力で変わるもんじゃない。それともう一つ、国家権力を甘く見ちゃいけない。大怪我するよ。」

 それだけ言うと、有沢は去った。私達は車の中で押し黙っていた。車は私が運転し、朋子が助手席、三人が後部座席に座った。曲がりくねった坂道を車は登ってゆく。しばらくすると尾根に出た。

 「わぁーきれい。海が光ってるわ。」

 陽子が叫んだ。眼下の海が朝日に照らされ、キラキラ輝いていた。五人の横顔も朝日を受け、光っていた。

 「私達のやったことは何の意味もなかったの?」と陽子がポツンと言った。

 「そうでもないよ。最後、有沢の奴にあんな事言われて水さされたけど、僕自身は精一杯やったと思ってる。この十年、自分を偽って生きてた。何かあると、いつも理由を考えて逃げてたけど今回は逃げなかった。自分を取り戻せそうな気がする。」と私が言った。 「僕の場合、死に場所を求めてここまで流れてきたようなものですが、今生き抜いてやろうという気持ちが湧いてきました。」

 「有沢の奴、世の中無知で粗野で欲の皮の突っ張った有象無象の集まりで、希望なんてないと言ったが、俺はそう思えない。あいつの住んでる世界がそうなんだろう。そんな世界に住んでるからそれが唯一現実としか思えないんだ。原発の仕事は確かに地獄だったが、働いていた仲間はみんな真っ当で優しい人達だった。人間は捨てたもんじゃない、信頼できるって思えるよ。俺には希望が持てるぞ。俺自身もこの一ケ月で変わった。とことんやってやる。目的を持った行為はいつか効果を生むはずだ。狂った世の中もいつか変わる。必ず変わる。恵子の犠牲は無駄にしない。」

 青木の顔には怒りだけじゃない強い意志が感じられた。みんなの雰囲気が明るくなってくるなかで、朋子一人が浮かぬ顔をして正面を向いていた。朋子は私の視線を避けていた。何か私の知らない別のものを彼女は見ているのであろう。

 「不器男、何か音楽でもかけてくれ。」

 私は後部座席のにぎやかな笑い声を遠くに聞いていた。朋子はもっと遠くに感じられた。


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