失踪
4 失踪
青木の家を訪ねると、父親に玄関で迎えられ、応接間に案内された。すぐ陽子がコーヒーを用意して現れた。
「不器男さん、ごめんなさい。電話で取り乱してしまって。」
「いや、すぐ来ないといけないのに。ところで、一志の奴どうしたんです。一ケ月も帰らないって。」
陽子と父親は顔を見合わせたが、父親が口を開いた。
「先月、ちょうど一ケ月前、息子の奴が突然理由を聞かないでしばらく仕事を代わってくれと言いますので、その言い方がいつになく真剣なので、いいだろうと許したのですが、それ以来音信不通というわけです。」
「一ケ月くらい留守ならいいのだけど、それが最近変なの。私この一週間いつも誰かに見られている気配を感じるの。それが兄のせいじゃないかって気がしてしょうがないの。」
「兄はなにか大変な事に巻き込まれたのじゃないかって心配で。そして今日変な電話があったの。“一志さんからの伝言です。不器男に相談しろ。宝箱を探せ。”それだけ。気味が悪くて。不器男さん、なにか知ってる?」
私は思わずニヤリとした。青木の言う宝箱はすぐ解った。彼は子供の頃、庭の大きな樟の根元にある空洞に宝箱だと言って小さな箱をぶら下げていた。
それはやはり樟のうろの中にあった。私宛ての手紙とカセットテープだった。
『不器男、俺はこれからY市へ行こうとしているところだ。行けば殺されるかもしれない。これは冗談じゃない。おまえがこの手紙を読むという事はその危険が現実に迫っているという事だ。けれど、俺は行かなければならない。今行かなければ、俺は生きている間一生後悔し続けるだろうから。
今、俺は恋をしている。この歳になっておかしいが初恋だ。相手は例のパーティーで知り合った女だ。おまえが先に帰ったあと、俺は最後まで楽しんでいた。会場を出ようとした時、彼女は出口のドアに立ち、俺を見ていた。哀しい目だった。しばらく彼女の目を見詰めていた。彼女の方から視線を外し、背を向けた。それが彼女との出会いだった。
夜中目が覚めると闇の中、彼女の哀しい目が浮かぶ。その目に見詰められると、“俺はほんとうはそんな男じゃないんだ。分かってほしい。”と叫びたくなる。しかし、彼女の目を哀しくさせているのは、“俺”なのだと己の身を振り返えざるをえない。
俺からは言い辛いが、彼女はY市の菊池工業という原発関係の下請けをやっている社長の愛人なんだ。もう何年も、彼女が学生の頃からその関係は続いているらしい。例のパーティーもその菊池っていう男と一緒だったそうだ。彼女とその男の間には俺の入り込めない部分があるのだろう。
恋とはこういうものなのか。不思議な気持ちだ。彼女とすれちがってしまうことは、全世界とすれちがってしまうことのように思われる。セックスはしていない。しないように努力している。並んで座って彼女の足と触れ合うだけで、柔らかい指先を見るだけで、胸のなかに何かが突き上げ下腹部も熱くなる。でも我慢している。やせ我慢だ。でもここはやせ我慢をする局面だろう。なにより彼女の哀しい目を見ていると、生々しい事はできなくなる。かわりに優しく抱き締める。目を閉じると、闇の中に哀しい目をした彼女が静かに笑っている。依然として彼女は俺にとって不明のままだ。俺は一人で空回りしているのかもしれない。
そろそろ問題の核心に入らないと時間がない。彼女から大変な相談を受けたんだ。同封しているテープを渡され、どう処分していいか相談を受けた。あとでテープを聞いて欲しい。彼女がそのテープを手に入れたのは次のような事情だ。
彼女は菊池から、東京から大切なお客さんが来るから相手をして来いと言われて、市内の料亭に出かけて行ったそうだ。行くとまだ“お客さん”は密談中だったので、彼女は別室で待たされていた。しばらく待ったが、手持ち無沙汰なので廊下に出ると、若い男が飛び出してきた。男は彼女に気がつくと、“頼む、これを預かってくれ。連絡先はここだ。”と言ってカセットテープと名刺を彼女に預けて走り去った。すぐあと、別の男達がその後を追って走り去った。しばらくして彼女は用はないと言われて帰されたそうだ。
同封しているテープが若い男から預かったものだ。彼女は翌日の夕刊を見て俺に相談してきた。夕刊には、フリージャーナリストのT氏車の運転を誤って海に転落、溺死という記事が出ていた。名刺の男だった。そして、彼女も俺に相談してきた翌日、菊池に呼ばれてY市に行くと電話をかけてきて以来行方不明というわけなんだ。胸騒ぎがする。俺もこれからY市へ行こうと思う。彼女の行方を探すためだ。それと、テープに録音されている事の真相を見極めるためだ。テープの内容は全く理不尽だ。俺は久し振りに怒りを覚えた。危険な事だと思う。でもこのことで、俺は毎日感じている本来の自分を見出だせずにいる焦燥感から解放されそうな気がする。何よりも彼女の哀しい目が俺を呼んでいる。
もう一つ気に懸かる事がある。テープの声の主の事だ。確かに聞き覚えのある声だ。不器男、頼みがある。この手紙をおまえが読んでるという事は、俺は多分危険な目に会っていると想像していい。Y市まで手助けに来てくれないか。七月十二日十二時、Y市駅前のイルカホテルのロビーで待っている。誰か代わりの者に行ってもらうようになるかもしれないが、よろしく頼む。それと万一の事があったら妹の事を頼む。』
私がその手紙を読んでいる間、青木の父親と陽子は心配そうに息を詰めて私を見ていた。二人に手紙を渡すと、私は青木のことに想いをめぐらせた。奇妙な青木との一致点を想っていた。私もあのパーティーで朋子と知り合った…。そして本来の自分を取り戻そうとしている。
ふたりが読み終えると、早速テープを聞くことにした。
『県の方へは知らせる必要はありませんよ。彼等原発が安全だと信じ込んでいるんでね。平岩さん、その点、国の方へ知らせてくれたあなたの処置は適切でしたね。』
『……。』
『まさかあなた方も原発が安全だと信じているわけじゃないでしょ。安全面だけで言えば反対派の連中の言う事は逐一正しいと私は思いますがね。』
『……。』
『まあ、良いでしょう。あの三人はこちらの指示どおり処分していただいたんでしょうね。良い方法だとは思いませんか。考えようによれば至極当たり前の処分ですがね。放射性廃棄物には違いないんだから。』
『……。』
『三人の処理にあたった職員にはしばらく監視を付けておくようにして下さい。死んだ三人のうち一人は地元の人間だそうですが、こちらでだびに付したという事で、遺骨を渡しておくように。金も忘れずに、そして監視も。』
『遺骨ですか。』
『どこかで適当に捜して下さい。残りの二人りはジプシーという事ですが、一応身元調査をお願いしますよ。まっ、不幸中の幸だと思いますよ。目撃した人間も少ないし、死んだ人間も日本人だけで。』
『誰かいるぞ。』
ここでテープは終わっていた。
「警察に任せた方が良いのじゃないかな。堀さん。」
「警察ですか。あてにはなりませんよ。むしろ危険かも。とにかく僕がまず行ってみます。一志との連絡をとるだけですから、無理なようなら連絡します。その時はお願いします。」
「私も行くわ。」
「だめだ、陽子ちゃん。これは危険な事なんだ。」
「兄さんと連絡をとるだけじゃないの。」
「とにかくだめだ。君がいたら僕が自由に動けなくなる。」
陽子はしぶしぶ納得した。
アパートに帰ると、ドアが少し開いていた。不吉な予感。静まりかえっている。部屋の中はメチャクチャだった。迂闊だった。朋子は、ベットの上でぐったりしていた。さるぐつわを嵌められ、後手に縛られていた。
「大丈夫?」と声をかけると、朋子は頷いた。さるぐつわを外すと、血のりが付いていた。朋子は私に抱きついたまましばらく震えていた。
「何があったんだ。」
「アパートに戻ってしばらくして彼等がやってきたの。男が三人。ドアには鍵をしてたはずなのに。私がいるのを見て彼等もびっくりしてたわ。私は殴られ、縛られたの。あっという間だったわ。三人であちこち何か捜してたわ。三十分程捜してたけど、結局彼等何も見つけることできなくて諦めたみたい。捜すの諦めると、若い男が私に近寄って来て、顔を平手で二回殴ったの。でも、もう一人の男が“やめろ、女は関係ない。”と言って止めてくれたの。その男の顔私知ってるわ。兄と一緒のところ何回か見てたから。」
「捜してたのはカセットじゃなかった?」
「違うと思う。テーブルの上にカセットたくさんあったけど、目もくれなかったから。」
朋子はたいした怪我ではなかったが、恐怖心が湧いてきた。今まで冷静でいられたのが不思議だった。しかし恐怖心は黙っていると募ってくるが、一歩踏み出せば消えてしまうはずだ。
「朋子、Y市で原発の下請けやっている菊池っていう人知ってるか。」
「ええ。でも、何故社長さんのこと不器男さん知ってるの。」
『やはり。』
菊池、朋子の兄そしてテープの声の主、私がこれからY市で出会わなければならない男達との奇妙な関係を考えると、不思議な気持ちだった。怒りをストレートに彼等にぶつけることができるだろうか。
「朋子、明日Y市へ行くけど一緒に来るかい。友達がそこで僕の助けを待っている。部屋が荒らされたのと関係があると思う。危険な目にも会うかもしれないよ。」
「連れて行って。私不器男さんといないと不安なの。」
その夜、初めて朋子を抱いた。




