ホテルの部屋で夜明けのコーヒーを啜る
とあるラブホテルの一室で、俺はルームサービスで運ばれてきたカップを口につけている。
こんなに不味いコーヒーを飲んだのは初めてだった。俺にはコーヒーの苦さというものはまるで分からないが、このコーヒーが不味いものだということは分かる。つまりそれほど凄まじい不味さだということだ。
しかし最初は拷問のような気持ちで飲んでいたこの不味いコーヒーにも、次第に愛着のような気持ちが芽生えてきた。なんだろうか、ここまで不味いコーヒーを飲んでいる俺はたいした奴なんじゃないかとか、そういった種類の安心感だ。
高校入学して間もない頃のクラスで、自分以外にも孤立している生徒が沢山いると知ったときの、あの安心感に似ている気がする。
俺はまだこのままでいいんだとか、そんな感じだ。
「ねぇ。先にお風呂上がったよ。あなたも入ったら?」
「ちょっと待ってくれ。このコーヒーを飲み終わるまで」
「そんなに美味しいの?」
そう言って近づいてくるこの女は俺の初恋相手だ。
高校の卒業式、もう失うものがない状況で、玉砕覚悟とばかりにクラス一の美人に告白したら、あっさりオッケーされたというわけだ。高校にしろ中学にしろ、バイトを辞めるときにしろ、好きな相手がいるのに告白しない奴はバカだと思った。どうせ振られても今後の人生に何の影響もないのなら、人生経験の一つと思って恋人の一人くらい作ってみせろってんだ。
「いや、正直言って不味いよ」
言いながら俺はコーヒーカップを女の前に掲げて見せる。
「なら全部飲まなくっていいじゃん」
「そういうわけにもいかないんだよ」
ゴクゴク。
「意味わかんない」
ベットにダイブする女。
「ねえ」
「ん?」
「あなた私に告白したこと、後悔してるでしょ?」
「まさか。学校一の美少女と付き合えたんだぞ?こんなクラスでも浮いてた奴が。これを奇跡と呼ばずに何と呼ぶ?」
「浮いてた、ね、」
「何だよ、なんか違うのか?」
「いいや、別に。ただ、あなたの告白の仕方が、余りにも失礼だっただけ」
「失礼?」
「失礼っていうか、なんか無関心って感じ。こんなに感情込めずに愛の告白ができるなんて凄いって思った」
「そうかなあ」
「普通そこは否定するところでしょ。でもあなたはそれもしない。テキトーって捉えられても仕方ないよ」
「......」
「あなたがクラスで孤立していたのだってそう。あなた何事にも関心ないでしょ。だから周りから見ればツマンない奴に見える。誰も近づかない。友達なんか絶対に出来ない」
「そこまで酷く言う必要ないじゃないか」
「いいえ、私には言う権利があるわ。だって曲がりなりにも、私はあなたの彼女なのよ?だったらあなた自身の問題点を教えてあげる義務が、私にはある」
…ここまでめんどくさい女だとは思わなかった。こんなこと言われるくらいなら告白なんてしなければ良かった。
「もういいや」
俺はそう言うと立ち上がる。
部屋を出て行こうとする俺に、女が声をかける。
「どこいくの?」
「帰るんだよ」
「私たち、付き合うんじゃなかったの?」
「あんなの、冗談に決まってるだろ」
「コーヒー、飲んでいかないの?」
俺は答えずに、ドアを閉めた。
しばらくして、その女が自殺していたことをニュースで知った。高校卒業間近で付き合っていた彼氏と別れていたらしい。なんでもその彼氏と同じ大学に行くために、志望校を下げることまでしていたとか。
そんなに大事な彼氏を失ったのだから、さぞかしショックだっただろう。自殺するのもやむない。
俺はあの女の端正な顔立ちを思い出し、童貞を捨てられて良かったと思った。